ギアガの大穴とバラモス

2006-12-30 23:32:59 | ゲームよろず
遅まきながら、ブログ名をギアガの大穴にした理由を考えてみた。
初めは「表世界と裏世界を繋ぐもの」といった観念的理由なども連想したが、おそらく本質にあるものは違う。では本質にあるものとは何か…それは「愛」だ。ギアガの大穴前に控える表世界のボス、バラモスに対する愛こそが、このブログ名を私に採用せしめたのだ。


バラモスへの愛…それはドラクエⅢで勇者の一人クリアを目指していた時に逆上る。おそらくやったことのある人々はわかると思うが、この試練における難所は二箇所ある。一つは二回目カンダタ、そしてもう一つがバラモスである。カンダタとの戦いもかなりの労力を要するが、バラモスはそれと全く比較にならない。当然何度も敗北し、戦いはくり返されることになる。当時自然回復を知らなかった私は、殴っても殴っても死なないのをバグだと考え、結局ファミコン版の一人クリアは放棄したことを覚えている。


そしてスーファミ版。ファミコン版に比べれば随分一人旅は楽になっており、バラモスのところへはそれほど苦労する事無くたどりついた(意外とやまたのおろちに苦戦したが)。しかし、やはりこいつだけは別だった。何回叩いても倒れることなく激しい攻撃を仕掛けてくる敵に、「強え、強えよコイツ!!」と某ボクシングマンガのフリッカー使いの如く嘆きつつ(32巻参照)、最後は力負けするということが繰り返される。その中で、歓喜の時は突然やってきた。レベル50代半ばにして挑んだ戦いで、ようやく息の根を止めてやったのだ。やつが戦闘画面から消えたそのとき、私は思わず天を仰がずにはいられなかったのを覚えている(もちろんその後でバラモスゾンビとの死闘などもあったが、バラモスへのあくなき挑戦に比べれば全く取るに足りないものでしかない)。


そして気が付けば、ファミコン版のとき何度となく呪ったバラモスは、勇者の、そして私の宿敵(「とも」と読め)としてほとんど愛すべき存在にまでなっていた。一体何人の勇者が彼のために死んでいったことか…しかし、ようやく倒された彼は、名ゼリフを残し「悪の美学」すら感じさせるあのゾーマを超えて、私の心に深く刻み込まれたのであった。バラモスは、「永遠のボス・宿敵」として永久に私の中で生き続けるであろう。


バラモスとかけて、ギアガの大穴と解く。その心は………俺の屍を越えて行け

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東方、∀、そして白山通りの旅 | トップ | 仕事収め »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ゲームよろず」カテゴリの最新記事