草下シンヤが語る裏社会の実情ですか。いや~クレイジーやな~(・∀・)
前に「頂き女子」に関して「同情するかしないかはいい、構造を解析するんだ」って記事を書いたけど、要するに構造把握もしようとせず、ただ現象に噴き上がっているだけではモグラ叩き以上の何の意味もないんだよね。で、別にこういう発言は同情してるか包摂のためにしてるとか以前に、そもそも問題解決に向けた合理的行動を考えたら、必然的に出てくる態度なわけで(いわゆる「情けは人の為ならず」というヤツ)。
そういう意味でも、こういう話が色々出てくるのは免疫化という意味でもいいことだね。確かに、知ることは手を出すことのリスクになることを完全には否定しないが、それ以上に、無知であるがゆえに容易に絡め取られる「バカ」の数を減らすことでターゲットのパイを縮小させる方がプラスがより大きいと思われる(逆に社会は自己責任論でこれを放置すべきというのなら、そのエビデンスを出してほしいワ)。
「福祉が繋がらない」とも言われるように、「やりさえすれば問題は解決する」という発想はナイーブの極みなので捨てるべきだが、一方で「だから何もしない方がいい」と二項思考のような発想をするのも愚の骨頂と言える。
ちなみに何でこの手の話をちょいちょいするかと言うと、前の後期室町将軍の王権とその機能に関する記事でも触れたように、当時(あるいは当事者)の発想法や行動原理やそれがどのように作り上げられたのかを解析しなければ、それが理解できようはずもないからだ(念のため言っておくが、理解とは「同情」でもなければ「共感」でもない)。
そしてもう一つは、「『学校であった怖い話』から受けた影響について」でまとめて述べたことだけど、「宗教と思索」や「嘲笑の淵源:極限状況、日常性、『共感』」、「私を縛る『私』という名の檻」などで書いてきたように、要は社会の目に見えている秩序が、所詮は砂上の楼閣やと思ってるから、こういうものにも興味が湧くんだろうね(だから個人レベルではリバタリアンだし、世界理解は「カオス」になると)。
ともあれ、草下シンヤの出している本までは読んでいなかったので、これからあれこれ目を通してみようと思った次第。
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