私の職場近くのコンビニも、家の近くのコンビニも、店員はオーナー夫婦と思しき人たち以外ほとんど全て外国人のアルバイトで構成されている。こうした状況について示唆に富む動画を見たので掲載してみた(ちなみに私はこれらの動画を見ながら、「愛しのアイリーン」や「バンコクナイツ」を連想した)。
様々な論点はあるが、これらを見て私が感じたのは、もはや多数の外国人労働者抜きには日本が回らなくなっている、ということに他ならない。もちろん、たとえば無人コンビニの導入も始まっているわけで、外国人労働者の受け入れ=唯一無二の解ではないだろう(このような手法は「AIなどの導入による生産性の向上」と言い換えてもいい。あるいはもしかすると、外国人労働者の年限を区切っているのは、ただ住み着くのが嫌だという短絡的思考の人間もいるだろうが、将来技術が発達し人手不足が解消される段になった時段階的に追い返しやすくする、という像を描いている人もいるかもしれない)。ただ、それが一般的になるにはまだ少しばかり時間がかかるであろうとことを考えると、外国人労働者に頼らないのであれば、少なくとも今は女性が社会に進出しやすいよう労働や育児の環境を整えたり、あるいはコンビニのように人を募集しても人が来ないのであれば、時給を上げて対応するしかないだろう。すなわち、賢明な読者諸兄はお気づきのことと思うが、外国人労働者が増えるのが嫌なら、それを防ぐためには我々自身が生活コストの上昇という形で相応の負担をせねばならないかもしれない、ということを意味している(ゆえに、遠い世界のことを生理的な好き・嫌いで論じるような気分でこの問題を考えるのは、愚の骨頂と言う他ない。これは日本国内の労働者に限らない話だが、我々の生活とその低いコストは、まぎれもなく外国人労働者たちの安い賃金で成り立っているのである)。
そのような中で、外国人技能実習制度という悪しきシステムは人手不足の現場のニーズにもとづいて運用されている形になっており、また日本が世界4位の実質的移民大国である状況が生み出されているわけである。こうした短期的な現場の事情でシステムを運用するというのは、バブル崩壊後の新卒採用絞り込み=就職氷河期を思い起こさせるが、その結果として30代後半~40代の非正規雇用者が多数生まれ、将来的に生活保護を受けることになる人々も少なくないと予測されている(一説には追加で2兆円程度の費用がかかるとも)。ことほどさように、短期的にその場を乗り切ろうとしての政策は、後々に深刻な歪みを生み出すことになってしまうのである・・・といったようなことを考えながら話を聞くと、宮台真司の予測する「どうしようもない実態を作っておいて国民を強引に納得させる」という手法はなるほどありそうなことだと思うし、またそういった「現場の歪みを長い目でどう是正していくかではなく、それを短期的な弥縫策で乗り切る」というやり口は、以前も書いた東京医大の点数操作と根っこは同じだなと思わせるものであった(というわけで、やはり「ジスイズジャパン」なのである)。
ということで、最後に杉田水脈の「生産性」発言と東京医大の入試操作について言及した次の動画を掲載して、この稿を終えたい(なお、前者についてはLGBTに絡むようなことも私は度々書いてきたが、ここでは長々と述べることはしない。その代わりに、マイノリティとの交換可能性を描いた傑作、「ヒヤマケンタロウの妊娠」と「秋の日は釣瓶落とし」を紹介しておくこととしたい)。
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