片づけを進めている物置に こんなものがあります。
うちでは「とろんこ」と呼んでいました。
若い頃 アメリカに渡って働いていた 祖父のトランクです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/38/12d3be1ca52e065ea01567492c17d0e9.jpg?1588860079)
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木で作られ 外は何が張られているのかわかりませんが
中はきれいな布張り しっかりした金具がついています。
宿屋のシールが貼られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/af/4ef488c63354731f30899453ea617085.jpg?1588860086)
内外汽船問屋 とは 移民する人たちを泊めた宿のようで
横浜桜木駅前「廣島屋」と印刷されています。
移民が盛んな時代は 何軒もあったようです。
明治時代の日本に こんなシールをトランクに貼るなんて
時代の先端 おしゃれだったでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/b7/b812ea2bb96441557d816b340cef493f.jpg?1588860083)
もう一枚のシールには
アメリカ サンフランシスコの 永本ホテルの 名前が見えます。
ひと月はかかる 長い船旅だったと思います。
祖父は その後 ユタ州 ソルトレークシティにいき
大陸横断鉄道の建設に従事していたと聞いています。
昼間働いた後 夜には 英語を習って よくわかるようになるまでは
上司のアメリカ人の支持が聞き取れず よく叱られたもんだ
と よく話してくれました。
日記も数冊あります。
明治45年の日記に 「渡米して 5度目の正月をお雑煮で祝った」と
書かれています。
明治20年生まれの祖父が 25歳の時の日記です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/b5/70d89f017d5390b3072fddad79a3cee1.jpg?1588860083)
このころはもう すっかり英語も喋れて
休日にはグレートソルトレークに 泳ぎに行ったのでしょう。
塩分の強い湖で 泳がなくても浮いたまま 本が読めるんだ
と話してくれたことがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/9d/43b722b4dcfd10911c7d338af4781067.jpg?1590164272)
かかった費用の記録なのか? 英語で書かれています。
アメリカで15年働き 日本に戻って 10歳年下の祖母と結婚しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/28/8772d69ee11805ffdb54d27b87f111bc.jpg?1588860074)
ボストンバッグも まだ しっかりしています。
私が6年生の年の 暮れも押し詰まった日の夜明け前に
突然心臓発作で 亡くなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/3c/efcd05fde4c7eec6b13af060b5412f29.jpg)
これは日本での晩年です。お花見でしょう。
わたしの記憶している祖父の姿です。
この帽子も まだ帽子箱に収まっています。
おしゃれで 優しい おじいちゃん
「おお ようかえってきたなあ」と 学校から帰ってきただけでも
ハグしてくれました。
このトロンコとボストンバッグは また しまっておきます。
日記は 少しづつ読んでみたいと思います。
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