ようちゃんばあば日記

お米と野菜をつくり、保存食作り 編みものなどの日常を綴っています。

祖父の とろんこ

2020-05-25 | 家族とともに
片づけを進めている物置に こんなものがあります。

うちでは「とろんこ」と呼んでいました。

若い頃 アメリカに渡って働いていた 祖父のトランクです。



木で作られ 外は何が張られているのかわかりませんが

中はきれいな布張り しっかりした金具がついています。

宿屋のシールが貼られています。 



内外汽船問屋 とは 移民する人たちを泊めた宿のようで

横浜桜木駅前「廣島屋」と印刷されています。

移民が盛んな時代は 何軒もあったようです。

明治時代の日本に こんなシールをトランクに貼るなんて

時代の先端 おしゃれだったでしょうね。



もう一枚のシールには 

アメリカ サンフランシスコの 永本ホテルの 名前が見えます。

ひと月はかかる 長い船旅だったと思います。

祖父は その後 ユタ州 ソルトレークシティにいき

大陸横断鉄道の建設に従事していたと聞いています。

昼間働いた後 夜には 英語を習って よくわかるようになるまでは

上司のアメリカ人の支持が聞き取れず よく叱られたもんだ

と よく話してくれました。

日記も数冊あります。

明治45年の日記に 「渡米して 5度目の正月をお雑煮で祝った」と

書かれています。

明治20年生まれの祖父が 25歳の時の日記です。



このころはもう すっかり英語も喋れて 

休日にはグレートソルトレークに 泳ぎに行ったのでしょう。

塩分の強い湖で 泳がなくても浮いたまま 本が読めるんだ

と話してくれたことがあります。



かかった費用の記録なのか? 英語で書かれています。

アメリカで15年働き 日本に戻って 10歳年下の祖母と結婚しました。



ボストンバッグも まだ しっかりしています。

私が6年生の年の 暮れも押し詰まった日の夜明け前に

突然心臓発作で 亡くなりました。


これは日本での晩年です。お花見でしょう。

わたしの記憶している祖父の姿です。

この帽子も まだ帽子箱に収まっています。

おしゃれで 優しい おじいちゃん 

「おお ようかえってきたなあ」と 学校から帰ってきただけでも

ハグしてくれました。

このトロンコとボストンバッグは また しまっておきます。

日記は 少しづつ読んでみたいと思います。

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コメント (20)
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