山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

明善の足跡がありそうだ!

2011-05-12 20:13:48 | 歴史・文化財
 まーちゃんから渡された宿題、『金原明善の一生』(三戸岡道夫、栄光出版社、H19.9発行)を読み終えた。384ページの読み応えある大作だ。
 林業家金原明善の記録を積み上げた淡々とした伝記だ。
 「木を植える男」はすでに明治に存在した。しかも、暴れ天竜川を治水するために全財産を投入して植林に生涯をかけた。金融業の利益の多くを治山治水にかけ、いまでいう社会貢献を貫いた。それは二宮金次郎と並ぶ農山村復興の報徳精神そのものだ。

 それはまた、前近代的な山林地主と小作人関係を近代的な賃金労働者を導入することで山村での雇用を確立した先駆者でもある。そして、植林・伐採・運搬・製材・販売の流れを一貫する企業経営者でもあった。
 つまり、日本の林業を経営と緑化事業とを無私の精神で両立させた開拓者だ。

 しかしながら、金原林の中心だった瀬尻村周辺は、明善に関係する苔むした石碑がひっそりあるだけで、きわめてさびしいかぎりだ。
 また、春野町の気田の旅館「対秋楼」や元熊切村長松下義十宅などに宿泊したり、長蔵寺・越木平にも足を運んでいる。明善の足音が身近にあったということだ。
 
 明善の精神に学び、それを生かしたまちおこしができないものだろうか。
 目先の便利さや利益にまみれている現代だからこそ、人間の可能性を実現した明善のロマンをもっと抉り取るときがきているのではないかとつくづく思うのだ。 
  
コメント
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