朝鮮戦争に従軍したアメリカ人ノエル・ペリンが書き上げた『鉄砲を捨てた日本人』(中央公論新社、1991.4)を読む。
200ページに満たない短い歴史書だったが、訳者が静岡県知事の川勝平太、副題が「日本史に学ぶ軍縮」。
作者は「400年ほど前に日本は、火器に対する探究と開発とを中途でやめ、徳川時代という世界のほかの主導国がかつて経験したことのない長期にわたる平和な時代を築きあげた」と讃える。
さらに、「ワシントンの野心家の機嫌をとるだけのために日本が新式兵器に金をかけることのないよう、貴国に希望を託しています」と、現代日本への衷心の心情を吐露している。
世界が軍拡と植民地獲得に明け暮れ戦争を繰り広げてきたなかで、「世界のどの国よりも大量に持っていた」鉄砲を日本が「捨てた」という徳川の歴史的選択に、「そう言われればそうだね」とその切り口に初めてハッとする。
その鉄砲も日本人独自の技術革新で性能を発展させていったという。
川勝氏は、「着目すべきは、軍縮によって技術の発達がとまったわけでない」として、火薬は花火に、銅は銅銭や寺鐘の材料に、民生用に転用させていった」と指摘する。
そして、「鉄砲を捨てた近世日本人の物語は、世界に、あるいは日本に、軍事強大化への動きがあるかぎり、それに反省をうながすエピソードとして語られるに値するであろう」と結んだ。
ノエル・ペリンは、これは「ほとんど世に知られていない歴史上の出来事で」あり、今日的に「核兵器の廃棄という類似の事態を考える余地は十分にある。それゆえ、この話はもっとよく知られる価値がある」と訴えている。
この事実は確かに知られていない。
この話を知られてはまずい政治家や経営者がいるのだろうか、もちろん、教科書には掲載されてはいないようだ。
「今こそ鎖国をしろ」とは言わないが、独自の平和国家づくりをした過去の歴史から学ぶことが多い。
それができなかったから「富国強兵」に突っ走って多数の国民のいのちを犠牲にして敗戦、そして現在がある。
オイラがこだわっている「西洋化」の正体とはなんだったのか、そのヒントがここにある気がする。
200ページに満たない短い歴史書だったが、訳者が静岡県知事の川勝平太、副題が「日本史に学ぶ軍縮」。
作者は「400年ほど前に日本は、火器に対する探究と開発とを中途でやめ、徳川時代という世界のほかの主導国がかつて経験したことのない長期にわたる平和な時代を築きあげた」と讃える。
さらに、「ワシントンの野心家の機嫌をとるだけのために日本が新式兵器に金をかけることのないよう、貴国に希望を託しています」と、現代日本への衷心の心情を吐露している。
世界が軍拡と植民地獲得に明け暮れ戦争を繰り広げてきたなかで、「世界のどの国よりも大量に持っていた」鉄砲を日本が「捨てた」という徳川の歴史的選択に、「そう言われればそうだね」とその切り口に初めてハッとする。
その鉄砲も日本人独自の技術革新で性能を発展させていったという。
川勝氏は、「着目すべきは、軍縮によって技術の発達がとまったわけでない」として、火薬は花火に、銅は銅銭や寺鐘の材料に、民生用に転用させていった」と指摘する。
そして、「鉄砲を捨てた近世日本人の物語は、世界に、あるいは日本に、軍事強大化への動きがあるかぎり、それに反省をうながすエピソードとして語られるに値するであろう」と結んだ。
ノエル・ペリンは、これは「ほとんど世に知られていない歴史上の出来事で」あり、今日的に「核兵器の廃棄という類似の事態を考える余地は十分にある。それゆえ、この話はもっとよく知られる価値がある」と訴えている。
この事実は確かに知られていない。
この話を知られてはまずい政治家や経営者がいるのだろうか、もちろん、教科書には掲載されてはいないようだ。
「今こそ鎖国をしろ」とは言わないが、独自の平和国家づくりをした過去の歴史から学ぶことが多い。
それができなかったから「富国強兵」に突っ走って多数の国民のいのちを犠牲にして敗戦、そして現在がある。
オイラがこだわっている「西洋化」の正体とはなんだったのか、そのヒントがここにある気がする。