リベラル排除を上から目線で強行した小池百合子率いる希望党の退潮は、総選挙直前の予想では当然の下馬評となった。反面、立憲民主党への判官びいきが枝野氏自身の予想を越える手応えとなってきた。
そんなとき、リベラリズムの大家井上達夫の弁舌の歯切れの良さに注目して、『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムのことは嫌いにならないでください』(毎日新聞出版、2015.6.)を読む。
表題に惹かれサブタイトルが「井上達夫の法哲学入門」とあり、論文ではなくインタビューに答えるという形式なので、やさしい入門書のはずだった。
がそれでも、オイラには手ごわい専門書だった。
自民党の保守本流は戦後ながらく鳩山・宮沢など脱軍部という意味でのリベラル派だったが、今は国家主義者の安倍晋三の一強自民党が本流になってしまったと指摘する政治評論家に納得する。
井上達夫氏は、憲法9条削除や徴兵制を提案するというタブーに挑戦していたが、その記述は粗いものだったが、今はそれを論議するべきではない時期だと思う。
また、護憲派の憲法9条信仰を原理主義と批判するのはわかる気もするが、もう少し寄り添った論戦をくまないと誤解される。
井上氏によれば西欧のリベラリズムはイギリス市民革命以来の自負・アイデンティティーがあり、非西洋諸国には関係ないという態度・偏見がみられるという。
また、最近の現状は世界のエリートリベラリストが「頭は左、財布は右」という現状追認の保守化が顕著になってきているという指摘も鋭い。それは日本も例外ではない。
リベラリズムの定義は広すぎてオイラはますます迷宮にさまよってしまったが、リベラルの勢力が強くなっても一筋縄ではいかないことは今後予想される。
それでも嫌いにならないで下さいと井上氏が切望する姿は異端の研究者としての果敢な侍を連想する。