辺境の外国を探検し、山岳登攀を生きがいにした比較文明学者の大御所・梅棹忠夫『日本とはなにかー近代日本の形成と発展』(NHKブックス、1987.5)を読む。世界の国で近代化をスムーズにやり遂げた日本は奇蹟だったのかどうか、それを生態学の立場で読み解き、フランスで講義したものをまとめたものが本書だ。それはちょうど、作者の視力が喪失した最中での出版だった。
著者は「日本の近代化は西洋文化によってもたらされたものだ」という従来の考え方を否定して衝撃を与えた。それは戦国時代からの武士社会の自治的主従関係をベースに、幕末には手工場群・鉱山開発・治水・水道・交通・教育のどれをとっても世界的水準にあり近代化の入口にあったとする。それによって、大阪・京都・江戸は世界的都市でもあったとして、近代化は急に展開したのではなくすでに独自に下地があったと提起した。
要するに、西欧と日本の近代化は平行的に発達したのだとする「平行進化過程」説を唱えた。遊牧民の破壊と征服の繰り返し(いまだに絶えない)は、地理的に辺境にあった西ヨーロパと日本への影響が及ばなかったこと、また土地の生産力の高さなどもあって両者は発展を遂げていき現在に至る。
著者の理論は首肯できる事柄も多く従来の歴史学にも影響を与えたようだ。日本の近代化は「文明開化」で進展したとする考え方に一石を投じたわけだ。しかし文明の生態史的解明というところでは説得力が粗い気がする。それは1967年に上梓した著者の代表作『文明の生態史観』を11月中には読むことにして宿題にしてみる。