山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

次郎兵衛と治郎兵衛は同じ人物?

2015-06-15 21:54:16 | 石仏・石造物
先日、浜松市春野町の水窪で祀られている石仏を見たが、ネットで調べてみる。
 格子越しで見た2体の石仏。
 向かって左側は、寛保2年(1740年)10月建立の「次郎兵衛様」と言われる地蔵菩薩。
 
 相良出身の商人松下治郎兵衛という人が水窪の市を繁栄させたのでその功労を称えた石仏だという。

           
 隣の佐久間町相月(アイヅキ)の諏訪神社に、「治郎兵衛霊神」が祀られているという。
 この治郎兵衛は、過酷な年貢に抗議して首を切られた名主だという。
 こちらの話のほうが信憑性がある。
 次郎兵衛と治郎兵衛とは同じ人物なのであろうか。

                           
 次郎兵衛様の隣に「双体道祖神」があった。
 解説には、美男美女の兄妹が婚活をそれぞれしたがうまくいかず、結局その二人が結婚したという物語が書いてあった。

          
 画像ではわからないが、脚がからんでいたり、妹の手が兄の○○をつかんでいるらしい。
 天明3年(1783年)建立というから、全国的な飢饉があってもなおおおらかに生きようと願う民衆の願いが込められているのかもしれない。

 わが家の和宮様は、昨日収穫した梅で甘いカリカリ梅に初めて挑戦。
 手間のかかる梅仕事にいよいよとりかかる。

 
 
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 林道から中山間地の集落を歩く | トップ | 飛び交う昆虫にも多様性あり »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

石仏・石造物」カテゴリの最新記事