山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

台風対策・倉庫のガラス窓を防御

2019-10-11 20:45:08 | できごと・事件

 いつもはまったく手を付けなかった台所隣の倉庫の窓ガラスにベニヤを打ちつける。この部屋の昔は、味噌蔵だったようだ。そこに床を張って棚を作って倉庫としたのだった。しかし、窓ガラスはむかしのままの薄いガラスだったので今回は初めてベニヤ対応とする。時間がないので寸法もはからず打ち付けながらノコギリを挽く。

     

 もう一つの隣の倉庫の屋根裏部屋は、使わない木材が置いてある。入口は屋根から入るのだ。しかしその入り口は軒下の半分が開いたままなのだ。これでは屋根が飛ばされてしまうということで急遽板を打ちつける。夕方近くになってきているのでここも寸法を測らず打ち付けながらありあわせの板で覆う。

 午前中にホームセンターに行って砂利を買ってきて床下の通気口付近を補強する。土台・縁の下の通気口のある扉(名称不明)が強風で外れたり、雨水が床下浸水するのを阻止するためだ。菓子パン・カップ麺等はきれいさっぱり完売、商品が置いてない棚を見るのはめったにない。ここでも史上最強クラスの台風の影響があった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今までにない最強の台風に対し

2019-10-10 20:25:18 | できごと・事件

 今までにない最強の台風が迫ってきた。気象予報によると静岡はズバリ的中するコースのようだ。今のうちにできることはやっておこうと動き出す。まずは、しばらくやっていなかった雨どいに溜まった泥や枝葉を取り除く。裏山に接しているので樹木の枝葉・花の残骸があっという間に詰まってしまう。4m近い脚立に乗って慎重に行う。

    

 トタン屋根も日陰はてきめんですぐに錆びてしまう。場所によっては樋に苔が育っていたほどだった。家のメンテナンスは1年に1回はやらないと、とは思うがなかなか手が出なかった。

       

 次に、突風が吹くといつも重い実が飛び散ってしまう「パプリカ」の枝を誘引する。場所によっては支柱も打ち込む。この作業だけで半日もかかってしまった。ついでに、追肥も行いもう一回り大きな色とりどりのパプリカを期待する。

       

 さらに、イノシシやムジナをめくらましに使っていた寒冷紗を朝から干しておいたので、夕方には畳んで整理する。多少の効果はあったようで里芋被害はなんとか半分で済んだ。台風は今まで直撃を免れていたが今回はどうやらそうはいかない。地球の怒りの雄叫びは人類の自己中心に対する「祟り」だ。

      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出てこい、出てこい「言の葉」やーい!!

2019-10-09 18:32:41 | 特産品・モノ
 ブログを日々書き込むのは毎日のルーティンワークとなりつつある。しかしながら最近、書き込みながら単語やセンテンスが湧き起こらなくなってきた。まさに、前頭葉も海馬もストライキを起こすようになったのだった。そこで、語彙が出てくるようにと『類語大辞典』(講談社)を購入してみた。定価は6500円だったが某大手の通販で1500円ほどで入手した。すると、あまり脳が機能しなくなってもこれをめくることでけっこうフォローしてくれるのがわかった。これでしばらくブログは継続できそうだ。
      
 同時に、慣用句や故事が思い浮かばないときのために、『故事・ことわざ・慣用句辞典』(三省堂)も購入する。定価は2500円だったが、2000円ほどで入手した。こちらも頁をめくると自分がいかに無知であるかを痛感する。
 ついでながら、読めない漢字が出てきた時は、『新漢語林』(大修館書店)を重宝している。中国の事情や故事の説明も詳しく表示されているのが素晴らしい。こうして、なんとか脳梗塞対策をしながら死滅しそうだった「言の葉」をほじくりだそうというわけだ。
 強力な台風が近づいてきているので、午前・午後とも畑の倒れそうなエゴマ・ナス・パプリカに支柱を補強する。イノシシやムジナのめくらましに使っていた寒冷紗や防虫網も飛んでしまうのであわてて片づける。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花マークのある実が食べられる

2019-10-08 21:28:46 | 春野山の村
 先日、春野山の村に行ったときに不明だった樹木の名前がわかった。検索の仕方が悪くてなかなかゴールにたどり着けられなかったが、「ナツハゼ」(ツツジ科)だった。夏にハゼノキのような紅葉が見られるというのが名前の由来だが、一部が淡く紅葉していた。
       葉は粗毛でざらざらしていた。葉は指紋だとかねがね思っていたがしぼりきれず、迷宮入りになりそうだった。花崗岩の土壌を好むので関東ローム層など関東には自生は少ない。
 
 5mmくらいの実の頂点を見ると、花のマークが刻印されている。ガクの落ちた跡らしいがこれがかわいらしく特徴的だ。熟していると食べられるというジャパンブルーベリーの仲間でもある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原風景としての地域のまつり

2019-10-07 20:35:43 | 出会い・近隣
 再来週に地域の祭りが開催される。運営の中心は「まつり青年会」という30~50代の若手が準備から当日の担い手となる。昨日はその青年会を中心に提灯を路上際に設置していく作業があった。おじさんたちはそれをフォローしていくという仕組みだ。
         
 オイラは提灯設置に邪魔になっている竹の伐採作業の運搬を手伝う。元気のいいおじさんが汗をビッショリかきながらチェンソーで竹を伐っていく。それを数人で運搬するのだがそれだけで2時間もかかってしまうほどの量があって、それだけで筋肉痛になってしまった。
 地域の祭礼は地元の老若男女がふるさとを共有するコミュニティーでもある。そこに神道がからむのがこれからの時代にはむずかしいところだが、圧倒的にそれを疑問に思わないのがふつうだ。そろそろ天皇も神道から止揚していかないと特定の宗教に利用されてしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男がいなくても生きられる!?

2019-10-06 19:15:01 | 生き物
 ブログは夜間に書き込むことがほとんどだ。そんなとき、足元の畳にナナフシらしきものがいて動かない。脚がなければ小さな枝が転がっているように思える。しかし、よーく見るといつものナナフシには見えない。からだに棘があった。これは「トゲナナフシ」だ。
   トゲナナフシはほとんどメスだという。メスは単独で卵を産むので、オスは必ず必要とは限らないのだ。日本の野外でオスが発見された例は、2009年、京都で発見された1例しかないという。わが家にやってきたトゲナナフシがオスだったらビッグニュースになったかもね。
         
 なぜ、オスがいないのかはまだ未解明だそうだ。生命の誕生のときにはメスしかいなかったようだからその名残なのだろうか。餌はアザミ・ノイバラなどの棘植物が好きなようなので、それで棘を擬態として採用して生き残り戦略にしたのだろう。なにしろ、飛ぶことも走ることもはねることもできないので、じっとして棘の擬態で相手を攪乱させるしかなかったんだね。   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脱糞による糞害に[糞慨?]する

2019-10-05 21:26:00 | できごと・事件
 このところ、畑の内外での糞害が続いている。最初は犬の仕業かと思ったがその気配はなかった。また、目だつ所に誇らしく糞をするというイタチの糞にしては太すぎる。向かいの家では玄関前に堂々と糞をするタヌキを見たという。そんな傍証もありぐーたら当局はタヌキ犯人説に傾いてきた。
           
 さらにまた、大根を植えようとしていた黒マルチの上にも、まるで糞で遊ぶようにして脱糞していた。これがタヌキのため糞というものなのだろうか。それは当局に対する侮辱的な挑戦であると当局は怒りをあらわに表明した。糞の内容には柿の種が見られた。まだ赤くない柿を食べるとはけっこうすきっ腹のようだ。     
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「万願寺甘とう」ではなく「万願寺トウガラシ」なんだ

2019-10-04 18:24:28 | 食彩・山菜・きのこ

 畑に1本の「万願寺トウガラシ」がある。先月からたわわの実をつけて、いまだに健在だ。十数cm以上の元気な実をいただくが、忘れているとどんどん緑から赤色のトウガラシに変身する。大正から昭和初期、京都府舞鶴市の万願寺地区で「伏見甘長とうがらし」とアメリカのトウガラシとが自然交配したのを好機に、栽培・研究を続けていき好評を得る。

 甘いとうがらしがいつから生産されたかについては定かではないが、17世紀後半には栽培された文献があるという。「伏見甘長とうがらし」は江戸時代から続く在来の京野菜だ。「万願寺甘とう」は「伏見甘長」よりやや大型。

 そのうちに、万願寺地区の甘とうがらしは、平成元年「京のブランド産品」第1号に認証され、「万願寺甘とう」となる。それは他の地区では「万願寺甘とう」とは名乗れないそうだ。したがって、わが家の元気はつらつたる甘いトウガラシは、京野菜ではないが「万願寺とうがらし」ということになる。わかったようなどうでもよいような、しかし万願寺地区の品質向上努力は大変なものであったらしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目くるめく「原発マネー」は踊る

2019-10-03 19:56:12 | 意見・所感

 連日、関西電力と福井・高浜原発にまつわる原発マネーの循環が取りざたされている。「やっぱりそうだったかー」という想定内の感想だ。3200億円の金品が動いたというが、これだけでは済まされない規模の原発マネーが動いてきたのは言うまでもない。全国で動いた巨額の原発マネーの汚染は地域・人間を分裂させていく。

            

 原発建設といい、再稼働といい、暗躍する電力会社や関連業者や行政の秘密工作・隠蔽工作は以前からすさまじかった。原発マネーの裏金は一部の利益者を豊潤にし、公的施設の箱もの建設で住民の目先の利益をかっさらう。さらには福島のメルトダウン事故のおかげで工事請負費をたんまりいただく構造も見えてくる。庶民の電気料金はどんどん値上がりしていくのに電力会社は赤字にならない料金設定だ。だから原発事故が起きても黒字で乗り切れる。

 企業や行政に社会的倫理というものが喪失してしまった。明治期には「報徳思想」が顕在し今でいうNPO的な先導的な活動が機能していた。首長は自分の財産を地域のため提供していた。それが最近の大企業は軒並みそういう企業倫理を事実上捨て去り利益第一主義に狂奔してきた。だから、このごろの殺人事件といい、子どもへの虐待といい、あおり運転といい、政治家の暴言といい、お粗末な事件に事欠かない。

 放射能で故郷や国が汚染されても、自分の利益さえ入手できればいいのだ。原発マネーは地域と住民の心を貶め、人間を分裂・解体させていく。

 国連で演説したスウエーデンの16歳のプレタさんは涙で訴える。生態系や大量絶滅が始まっているのに、「あなた方が話すことは、お金のことや永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね。」

 もう、日本の恥じらいの文化は死んでしまったのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トンネル脇の石塔・石仏への想い

2019-10-02 22:48:00 | 石仏・石造物

 天竜区二俣町のトンネル脇の石仏・石塔群を再訪する。ほとんど行き交う人もいない道路際にひっそりとたたずんでいる。そのうちの「念仏供養塔」を見てみた。いつごろのものか石塔の裏や横が見えないのが残念だが、江戸か明治ごろのことだろう。念仏をいっぱい念じればそれだけ功徳があるという念仏講があった名残だ。

 「奉唱念仏三千萬遍供養塔」と刻印したようだ。念仏を三千万回も唱えたぞという記念碑なのだ。ふつうは百万遍くらいで石塔をたてたようだが、三千万回とはなんともばかでかい数値だ。念仏講中が車座になって念仏の総計を数えていくわけだが、それほどに、疫病などで死者が多数出たほどに流行した背景があったに違いない。願主は「真参」と読める。

      

 またその隣に、しっかり彫られた庚申塔があった。左上には太陽と雲の刻印が微かに読める。右上は欠損しているが月と雲が彫られていたかもしれない。坊主頭の青面金剛の目はドングリ型で吊り上がっている。鼻の下には蛇のような髭が見られる。左手には「法輪」と「羂索(ケンサク)」、右手には「三叉槍」と「金剛杵(コンゴウショ)」、中央の合掌または「宝珠」を持った手は欠損している。オーソドックスな持ち物だった。ふつう青面金剛の衣服は単純だがこれはリアルに表現されているし、顔の表情も生きている。石工の技術が優れているように思えた。

 農業を中心としたかつての村社会のなかで、念仏講や庚申講がコミュニティーとしての電源だった足跡がそこにあった。天竜の二俣町というと、徳川と武田の攻防の要衝だけが取り上げられるが、こうした庶民の息遣いも残さなければならないね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする