田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

酩酊(2011/7/14)

2011-07-14 23:59:17 | 3.11東北大震災の頃
今日は、飲み仲間の世話好きのS女史のお誘いで、小倉ステーションホテルのワインを飲む会。意地汚く目の前の次々注がれるフランスワインを全部飲んで、隣の仲間がのみ残したワインも飲んで、解散後、しばらく行ってない、小倉駅前の、焼鳥&珍味の串平でお茶漬けを食べに。歓迎され秘蔵の日本酒と焼酎を振る舞っていただき、これも意地汚く全部飲んで、電車に乗ったら寝込んで3駅乗り過ごし。タクシーでなんとか我が家に帰りつき、妻に一喝され、現在、うつらうつら書斎でパソコン。 
 メールを見ると、南三陸町のメルマガ。
素面なら要旨を紹介するのだけれど、本日酩酊で、そのまま掲載です。
南三陸町の観光協会の皆さん、凛として心打たれます。

メルマガの申し込みは左のブックマークに。
 釣り仲間、畑仲間の皆さん、飲みすぎに注意ですゾ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

    南三陸町観光協会 みなみな屋
   メールマガジンvol.5 2011.7.14号

   http://www.rakuten.co.jp/minamina/?scid=rm_270214&scid=rm_XXXXXX&scid=rm_XXXXXX&scid=rm_XXXXXX&scid=rm_270214

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
このメールは楽天ショップ南三陸町みなみな屋のメルマガ登録者に
配信しています。

竹田 慶幸 様

みなさま、こんにちは。
みなみな屋 はなです。(名前覚えてくださいね~♪)
ちなみに店長の名前、覚えてくださいましたか~?

きえですよ!きえ。


職場に、やっとやっと、エアコンがつきました~~!!!
今日の南三陸町の天気予報は33℃!
さらに先日、例年より17日も早く梅雨明け。
本当に暑すぎる夏。
エアコンってスゴイ!です。扇風機ってスゴイです。

暑い暑い暑い夏。
昨日は高校野球宮城県大会がありました。
南三陸町の志津川高校(しづがわ)もなんとか参加することができました。
一応、甲子園にも行ったことがある高校なんです。
まだ、体育館は避難所。
隣りの市の宮城県登米高校と、宮城県上沼高校に分かれて授業を行っています。

そんな練習環境もまだ、整わない中、本当に頑張ったんだと思います。

ただ。


相手が悪すぎました。。。。

相手は東北高校。

ダルビッシュ投手や佐々木主浩さんなどを輩出している名門校です。


結局8対0で負けてしまいました。
いろいろな町の人たちの思いも背負っての出場。
キャプテンは号泣してました。

私も、もらい泣きしてしまいました。

志校ナインの早すぎる夏は終わりました。



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それから、前回のメールマガジンでもしかしたら
「こども夢花火開催中止?」
なんて、ちょっと誤解を招く文章を記載してしまいました。
大変申し訳ございません。

ガレキだらけの中、安全面などでクリアにしなければ、
ならないことがありました。

先日、花火実行委員会の会議が開かれ、警察の方もいらして無事
ご賛同を正式にいただきました。

そしてそして、花火開催日まであと一か月を切りました!
こども夢花火実行委員会「チーム花咲」の公式ホームページができました。
前々回のメルマガでも登場したまなぶ君の力作です。
http://m3.rakuten.co.jp/0/018/662/-/7/5shy/81zqw/1/ba4b9/

こどもの夢の絵が一枚一枚見ることができます。

みなさま、毎日の日課が増えましたよ!
1.「みなみな屋」ショップページのチェック
2.「チーム花咲」HPのチェック

よろしくお願いします。

===================================

それから、お蚕さま観察日記は見ていただいてますでしょうか?

もう、週末からお蚕さまはまゆを作り始めるようです。
猛暑のため、通常より早い成長だそうで、
お蚕さま観察日記もあと1週間くらいで終わってしまうかも。。。です。

「みなみなまゆまゆ」商品ページにまゆ玉でうさぎが作れる工作ページや、美肌になっちゃうページなどを作りました。
商品写真なども少し変えてみました。
こちらも合わせて、見ていただけたらと思います。
http://m3.rakuten.co.jp/minamina/c/0000000100/%253fscid%3drm_270214/-/2/5shy/81zqw/2/ba4b9/
(ページの下のほうにあります。)


===================================

日曜日。
家族3人、隣の市の気仙沼大島に行ってきました。
船に乗ってすぐ、震度4の揺れが・・・。
船の上だったので揺れにはほとんど気づかず、しばらくすると。。。

いきなり
すごい音のサイレンとともに
「津波の恐れがあります。高台に避難してください!」

「高台って!!!避難できないよーーー!!!」

本当に久しぶりの恐怖でした。

船の上にいて津波が来たらどうなるの??


結局、津波は50センチ。
何事もなく大島に無事つき、祖母の仮設住宅に行くことができました。





月曜日。
震災から4か月がたちました。

なかなか、全国版のニュースなどでも南三陸町のことを話題にすることが
少なくなったと聞いています。

もう4か月?まだ4か月。

その日も息子を朝、保育園に送りに行くと、
担任の先生の元気がありません。
息子が行っても窓の外を見たまま、考え事・・・?

先生の旦那さんは隣りの石巻市の大川小学校の先生でした。
大川小学校は全校児童108人のうち74人が津波の被害に遭いました。
先生も助かったのは1人だけでした。

きっと、今日は旦那さんのことを想って
仕事が手につかないだろうな。。。


家がなくなっても仕事がある人。
仕事がなくなっても家がある人。
両方ある人。

上記の人たちは前に前に少しづつでも進めているんだと思います。

家も仕事もない人。
家族を失った人。

まだ、前に進めないあの日のままの人がたくさんいます。

そんな人間をよそにガレキの上には雑草が生い茂ってきました。

時間は止めることができません。

そんなことを考えながら、2時46分、黙とうしました。



今、みなみな屋スタッフとして働けていること。
観光協会として、町が前進するところを間近で見られること。
家族が無事なこと。

感謝しなければいけません。幸せだと思います。




昨日も今日も、今週は深夜から早朝に、震度2~4の余震が多いです。
昨日、主人は漁船を捜しに北海道に行きました。
今朝も地震で目が覚め、それから眠れなくなりました。
息子と二人だけ、ちょっと不安な日々が続きます。

【南三陸町の今】
町内の病院は、現在、志津川地区のプレハブ公立志津川病院と、
歌津地区の整骨院を借りて、鎌田医院さんのみです。
隣りの気仙沼市、石巻市なども津波の被害に遭い病院のベット数は足りず、
宮城県内はもちろん山形県などの病院に入院する方も多いようです。

今週から、毎週水曜日のみ1日1往復、仙台までの高速バスが運行になりました。

7月11日から、「お買い物代行サービス」ができました。
スーパーのチラシを見て、午前中に運送会社のドライバーさんに注文すると、翌日に商品が届くサービスです。
これで、お年寄りや車のない方などお買い物ができるようになります。
(もちろん、車があっても町内はまだ、スーパーがありません。)

町内の仮設住宅には、お盆前までにおおむね入居のめどがつきました。

水道水は、まだ、ほとんどの場所で飲むことができません。

【みなみな屋のこれから】
前回メールマガジンにて、次回商品のアイデアを募集させていただきました。
たくさんのご意見をいただき、本当にありがとうございました。
次回商品に向けて、参考にさせていただきたいと思います。
やはり、南三陸町ならではのものを発信できたらと思っております。
これからも、アドバイスなどございまいたら、よろしくお願いいたします。

では、今週はちょっとしんみりしてしまいました。
来週は元気に行きます!!「みなみなまゆまゆ」がんばります!!

では、また来週~。
私の名前覚えてくれましたか?

はなですよ。はな。


▼配信停止はこちら▼
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▼アドレス変更はこちら▼
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一般社団法人南三陸町観光協会
南三陸町観光協会公式 みなみな屋
986-0762 宮城県本吉郡南三陸町志津川字塩入77
TEL.0226-47-2550
URL: http://www.rakuten.co.jp/minamina/?scid=rm_270214
菅原 きえ (mshop@m-kankou.jp)

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長幼の序(2011/7/12)

2011-07-12 23:46:31 | 3.11東北大震災の頃
田舎生活をしていると、時間は十分にある。
暇に任せて、読書を楽しんでいる。
竹田農園でバーベキューの後、チロチロ燃える薪の火を見ながら、楽しむ読書は幸せいっぱい。
今は、坂の上の雲(司馬遼太郎)を読んでいて、次の一節がこころに響きました。(冒頭、坂の上の雲、該当ページ)
連合艦隊の長官に急遽選ばれた、東郷平八郎と作戦を練った連合艦隊の頭脳の主人公の秋山真之と初対面のシーン。
場所は、海軍省の会議室。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


坂の上の雲(文春文庫3巻p142)

秋山真之が、東郷平八郎という人物とたがいに一対一で顔をあわせたのは、このときが初めてである。
「会議室におとおししておいた」
と、その者がいう。
真之が人事局千秋恭二郎にともなわれて、そのひろい会議室に入ってゆくと、東郷はその中央あたりにぽつんとすわっていた。うしろに薄いカーテンがかかっていて、背に逆行をうけている。卓上には茶も出ていない。
「私が秋山少佐です」
というと、東郷はわざわざ立ち上がって、トーゴーデス、と母音をながく発音するなまりで、答えた。思ったより小柄な人物で、髪はみじかく剪っており、わずかにびんのあたりが白くなっている。そのくせひげは口もあごも灰色であるために、ふしぎな感じの貌(かお)になっていた。貌といえば目鼻立ちがととのいすぎているほどで、ぜんたいに豪傑というにおいがない。真之はこの人物を一目見て、
(これは徳のある人物だ)
と、おもった。いざ連合艦隊という大軍が組織されるばあい、これを統御する人物はよほど徳望のある人物でなければならない。
真之は椅子をもらい、長テーブルをはさんで対座したが、東郷は、
「このたびのこと、あなたの力にまつこと大である」
といっただけで、だまってしまった。だまりながら、薩摩人が客に対してみせる特有の表情で真之を見ていた。唇を閉じ、両端にわずかに微笑を溜めている。
・ ・・・・・
対面は、それだけで終わった。
「あれは大将になるためにうまれてきたような人だ」
と、いった。
 人には持ち前がある、と真之は思っている。かれ自身、三軍を統御していっさい不平を言わしめず、おのおのに分をつくさしめて死地におもむかしめるような、そのような将才はないと思っている。真之にあるのは、東郷の統御力をつかって、思い切った作戦を展開して見るということであった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さわやかな、晴れ晴れする、いい日本人の先輩を持ったと誇らしくなる。
東北の大津波の復興を担う、先の復興大臣が、宮城県知事と初対面で、応接室で俺を待たせたと説教する場面、テレビで何度も見せられた。印象に残っているのが「自衛隊では、長幼の序、それぐらい分かるだろう」と。むつかしい言葉を使う、自衛隊ではそうなのか、なんとなく分かると。辞書を引くと「年長者と年少者の間にある一定の秩序」と。

 日本の国民軍が一番、風通しが良く、実践的で、したたかで、従って強かったのが明治36年当時。坂の上の雲の、東郷と秋山の初対面シーン。先の復興大臣と真逆。連合艦隊の長官と、復興大臣、国民の期待と責任は同程度。徳は南極と北極。先の復興大臣氏が明治の36年、能力抜群だがお行儀の悪い秋山参謀と初対面で何と言うことやらと、うすら寒い。話にならない。
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凛とした町、南三陸町(2011/5/20)

2011-05-20 22:34:21 | 3.11東北大震災の頃
 昨日、5/19日、晩ほろ酔い気分で自宅のTVを見ていたら、テレビ東京のカンブリア宮殿、チャンネルを変えようとすると、この番組はいい番組よとの妻のひと言で、そのまま見るとはなしに見ていると、ケニアでナッツ、コーヒーの農園兼工場を経営する佐藤芳之氏(70歳)の特集。

 東京外大を卒業の後、ガーナの大学院に留学、ケニアでナッツの会社を設立、売り上げはケニアの従業員の生活がなりたつようにと、給与、住宅貸付、医務室無料化などにケチらず振り向け、業績も売り上げ30億円/年のケニア一の食品会社に育てたというもの。4000人の従業員の笑顔がなによりの報酬らしい。こんな人がいたのかと、感心してみていると、事業拡大で、お隣のタンザニアに四国と同じ面積の土地を取得し、農地にしようとしたら、象の大群が来て、農地を踏み荒らして去っていったとの話に。竹田農園のイノシシと同じで、どうしたのかと身を乗り出してみていると、「象のテリトリーなら、引き下がるしかない、撤退しました」とのことで、ケレンミのない決断に尊敬。会社の経営権(株式)はケニア人に2年前、二束三文で譲った、理由は、自分は日本人でやがて去る、ケニアの人に事業は返すべきと。現在は貧困のルアンダ?で、衛生面、特に昔ながらのボットントイレが伝染病の元になっているので、現地の枯草を分解する細菌を培養、これが病原菌やトイレの悪臭を防ぐ効果があり、1L1ドルで販売するビジネスを始めたとのこと。確かに竹田農園でも枯草を集めて腐らせるといい堆肥になり、悪臭は無くむしろ香ばしい芳香、この枯草堆肥を畑に大量に鋤き込むと野菜が病気にかからない、多分、病原菌を抑えている。この作用のある微生物を確かめて培養したのだろうとこれも感心。70歳で新たにビジネスを始めるというのも驚き。この佐藤氏、津波で大被害の南三陸町の出身で、津波の一か月後親戚の見舞いに日本に帰国の映像。避難所のトイレが悪臭と不衛生で最大の悩みとの町長の言葉に、新ビジネス中のこの微生物の培養液(アフリカからでなく、日本で入手)南三陸町の避難所のトイレにボランティアの皆さんと振りかけると、2時間で悪臭は消えた。番組の最後に子供の時、野球のボールが当たり、左目?が失明し、そのハンデが行動のエネルギーの一つになっているとのこと。終わってから、いい話を見聞きできたとさわやかな気分。

 今日の日経新聞夕刊の記事で、大きく「南三陸、市民も町も走る」とのタイトルが踊る。やはり南三陸町のスナック経営で店は津波で全壊の兄弟二人が、自身暮らしている避難所の食事の準備を一手に引き受け、また、自宅避難で物資不足の孤立した住民に毎日支援物資をきめ細かく箱詰めして配送しているという紹介(「被災兄弟、一軒ずつ物資を」)。また南三陸町では町がマイクロバスとワゴン車計8台用意して無料の巡回バスを毎日走らせ、病院、買い物通いの住民が助かっている、運転手の一人は避難所で暮らす、タクシーの運転手さんで、「お世話になった町に恩返しするつもりで運転している」と笑顔とのこと。(「無料バス、高齢者らの足に」)
2011/5/20の日経新聞夕刊 下に


 南三陸町というところには、無私の行動を徹底的にやるという伝統が息づいているらしい。
 津波にさらわれる最後まで防災無線で町民の避難を呼びかけた町の職員の遠藤未希さんという方も、強い印象がいつまでも残っているがこの方も南三陸町の若者。

 来年にでも、落ち着いたら一度この町を旅してみたいもの。

 明後日、名高い漁場の汐巻での釣り、天気予報は波は日中は1.5メートルの予報で、多分、出港できそう。
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日経新聞のコラムに松永安左エ門 起点ちゃ室町の祭り(2011/5/1)

2011-05-01 21:11:38 | 3.11東北大震災の頃
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
今日は小倉室町の祭り、「起点ちゃ室町」(おいで、という意味と、長崎街道の起点が室町を掛けた)。
室町のラーメン屋錦龍のI氏、ラーメン流しとカッポ酒を出すので、私は、カッポ酒の用の竹を一昨日、竹田農園で準備。

(行きの電車で日経新聞)
 重さ25キロはあろうかという、竹の徳利と御猪口を大型の旅行鞄に詰め込んで、リュックをしょって電車に。
途中、顔見知りの近所のご主人たち、「今日は釣りかい、海外旅行かい、妙な格好じゃ」とご挨拶。
 小倉に向かう電車の中で、日経新聞を読んでいると、一面のコラム、春秋に松永安左エ門の記事。
気骨の経済人、戦後の電力民営化を大きな構想力でやり遂げた、今の東京電力にどんなカツを入れるだろう。
といった内容。
 松永安左エ門の著作集、私も愛読書で、今日の日経新聞に共感。(記事は、下に。著作権の問題あるかも、釣りキチと畑好きの内輪で読むだけなので、ゴメン)

(ラーメン流し)
 ラーメン流し、錦龍のI氏の発案。ソーメンの代わりに湯がいて水で冷やしたラーメンを流し、つけ汁でいただくというもので、さっぱりして美味い。(下の写真)


(ヘチマの花かキューリの花か)
 祭りでは、東日本大震災の義捐金を町内のあちこちのグループ、店が持ち寄る。
I氏の昔なじみのM画伯も、水彩画の小品(ご自身の原画のコピー)を50点出品、売り上げはすべて寄付。
飛ぶように売れる。
私も、ヘチマの花を描いた小品を購入。
今年も竹田農園の畑に植える予定で、記念になる。
ちょうどそばにいたM画伯に、ヘチマの絵、気に入った、買ったよというと「おいおい、あれはキュウリの花じゃ」と。
キュウリの花の絵、下に。


和気あいあい、舞台での歌の数々も素晴らしく、楽しい一日でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考 

日経新聞 一面コラム 春秋 2011/5/1

関西とくればふつうなら関東だろう。ほかは地域の名がついたのに、関東は「東京」に。東京電力のことだ。まだ米軍の統治下にあった沖縄をのぞき、地域別に9つの民営の電力会社が発足したのは1951年。60年前の今日である。
 戦後、電力再編が紛糾するなか、9電力体制に導いた人物がいる。松永安左エ門。「電力王」と呼ばれた業界の長老だ。「関東電力」のはずだった社名を「東京電力」にしたのも松永。戦前、松永は東邦電力を率いて九州から関西、関東へと攻め上がったことがある。東京で使った会社の名が「東京電力」だった。
 自らの夢を、ちゃっかり新会社に託すしたたかさ。それにしても、松永にどうしてこれほどの影響力があったのか。戦前、電力の国営化や軍事利用の流れに真っ向から反対した。軍部になびく経済人を戒め、大蔵大臣の就任要請もすげなく断ったという。そうした一貫した態度が戦後に生きた。気骨の人である。
 戦後の民営化の後には電力投資が必要と料金を7割も値上げさせた。わが道をゆく姿は、「電力の鬼」ともいわれた。その松永は本紙の「私の履歴書」で、自らを「常に反対の側の面が目につく男」と評した。「順風のようでも波乱が潜んでいる」と。松永が存命だったら、東電にどんなカツを入れただろうか。

・・・・・・・・・・・・
 松永安左エ門の96歳の時の写真
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東京をブラブラ(2011/4/18)

2011-04-18 18:31:21 | 3.11東北大震災の頃
 東京と横浜の孫見物に、昨日の日曜日北九州空港から東京に。
4日ほど東京の長男と横浜の長女の家に転がり込み、暇を見つけてあちこち遊ぶ算段。
妻は一足先に長女宅に。

(羽田)
久し振りに羽田に、昼食は空港の見えるレストランで、ランチにビール。
ちょうど向かいに新しく出来た国際線のターミナル。(冒頭の写真)
羽田も随分、便利になった。
しかし、大震災の影響で、空港の人出は普段の半分といった感じ。
照明も半分で節電実施中。
都内の駅も、エスカレーターは節電で使用中止、もっぱら階段を皆さん歩け歩け。
お年寄りや車椅子の方はエレベーター。
電車が止まるよりよっぽどましと、東京の皆さん割り切っている感じ。
東京の人はエライ。

(柳瀬荘)
長男の家は、所沢の近くで、所沢には松永安左エ門(実業家、茶人、文筆家、登山家、遊び人どれも傑出)が戦前、軍部の横暴に抗議して隠棲した柳瀬荘がある。
3万坪の敷地、多くの茶室、国宝級の美術品があるが、戦後全て国に寄付(東京国立博物館)したと本には書いている。
一度見てみたいと思っていたが、今日時間があったので、所沢に足を伸ばして、タクシーに頼んで、出かける。
木曜日しか一般公開していないので、訪れる人も少ないようで、タクシーの運転手さんもよく知らない。
ようやくたどり着き、運転手さんの言うには、所沢市でなく、ここは新座市とのこと。
母屋の見事な茅葺の屋根が見える入口でパチリ。(下の写真)


直径1メートルはあろうかという巨木が欝蒼とそびえたち、心洗われる気分。


小田原の戦後の住まいの跡壱岐の生家跡にも松永記念館があり、福岡市美術館にも松永安左エ門所蔵の美術品が寄贈され常設展示。昨年から訪ねてみたが、どこも大切に保管されている。寄贈されて既に65年経つ柳瀬荘も敷地内はよく手入れされており、感心しました。

今日は、塀の周りから見たが、次の機会には木曜日に来て、中に入ってじっくり見てみたいもの。
所沢の駅からタクシー往復6500円程。
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末川博 関東大震災(1923年)の海外の反応

2011-04-16 23:25:27 | 3.11東北大震災の頃
 田舎生活をしていると、時間はふんだんにあり、今日は、20歳のころ愛読していた末川博の「彼の歩んだ道」(冒頭の写真)を読んだ。誰かにあげてしまったが、また読みたくなり、本屋に聞くとすでに絶版、ためしにアマゾンで調べると送料込251円で入手。遊学中のフランスで関東大震災のニュースに接し、その時の体験を書いた箇所、90年前も今も日本人は同じように踏ん張ったんだと思いました。下のような随筆。


末川博(元 立命館大学総長)「彼の歩んだ道」(岩波新書 1965年)p209

関東大震災
 大正12年(1923年)八月の末、イギリス、ドイツ、スウェーデン、ノルウェーなどを旅行して、フランスにはいった。パリに着いてから三日目の九月二日の朝、散歩するつもりでホテルを出たとたん、そこに出ている屋台店にならぶ新聞見てびっくりした。どの新聞も第一面に日本のさまざまな写真をのせて最大の活字で「日本の大地震」という見出しをつけているのである。長崎からの簡単な電報がのっているのだが、最初は九州地方以外は全部地震に襲われて日本という国の大半が消え去ったのではないかとさえ思われた。大使館に出かけてきいても、詳しい報道はないというので、要領を得なかったけれども、時がたつにしたがって、箱根山以東が一面の海になっているような報道から東京、横浜を中心とする震災であるという報道にしぼられてきた。通信機関が今日ほどに発達していないうえに、日本の中心がひっくりかえって混乱しているのだから、やむをえなかった次第である。
 いづれにしても、たいへんだ、気の毒だというわけで、パリの官公署は、反旗を掲げて弔意を表し、やがてフランスとベルギーでは、公共団体や協会が救援金の募金を始めるというふうに、日本が第一次大戦で連合国として協力したことに対する感謝の意もふくめたと思われる救援活動が広く展開された。ところが、私たち日本人は、地震、雷といったような天災についてはあきらめが早いせいか、この遠いパリから心配してもしようがないと思うせいか、とにかく喜怒哀楽を顔に表すことが少ないために、あちらの人たちの中には奇異に感じたものもあるらしい。
 ある日、下宿のおばさんが「あなたは豆をねってつくったトウフというものを食べるか」ときくから「日本ではみんな食べているが、いったい、それがとうしたというのか」とききかえしたら「日本の人たちがあんな大震災にあっても悲しそうな顔をしないで落ち着いているのは、トウフを食べているからだ、という話を聞いたので」といって、町で聞いてきた話しをしてくれた。むろん、日本人の無表情とトウフとは関係のないことだが、どこの国でも知ったかぶりをする半可通がいて、もっともらしい話をつくりだすものだと、おかしくもあり、また人ごとではないような気もしたのである。


なお、末川博氏はこの後、日本に帰り、母校の京都大学の法学部教授で教育に携わっていたが、軍国主義と思想統制の嵐(関東大震災の100倍の災難を日本と近隣国にもたらした)に抗して、京都大学を去り(滝川事件)、戦後の民主国家の建設に立命館の総長として大車輪の活躍をした人。同時期、東大総長として戦後日本の思想界をリードした矢内原忠雄と同じような光彩を放っている人

 あすから、東京、横浜に孫見物の旅。
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柳川、日田バス旅行(2011/4/3)

2011-04-04 00:13:59 | 3.11東北大震災の頃
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
日曜日、黒ラベルの会という、サッポロビールしか飲まないというあまり意味の分からない会の、日帰りバス旅行でした。
柳川で川下り、日田のサッポロビール工場でビール、耶馬渓の神尾家住宅見学の後、守実温泉で一っ風呂。

(バナナたたき売り)
 リーダーは小倉室町のラーメン屋の錦龍のI氏、東日本大震災の義捐金をバスの中で募るといっていたが、知り合いのバナナのたたき売りの元全日本チャンピオンのK氏もバス旅行に参加していたので、バナナのたたき売りの売り上げを募金箱に入れることに。
3箱のバナナ、愉快な口上で次々売りさばき、募金箱はずっしり。(冒頭の写真)

(柳川川下り)
 柳川では桜も満開、川下りにウナギのかば焼きで、40名の参加者、ご機嫌。
ちょうどひな祭りの川船での子供会の行事で華やか。(下の写真)

竹田農園の隣に住む江藤正翁(元南海ホークスのエース、88歳)も参加。
柳川には江藤正翁の八幡中学時代の同級生の写真家の池上氏もお住まいで、事前に連絡して川下り合流。
私とは別の船でお二人は歓談で詳しくはわからない。
愉快だった様子。
船着き場で記念写真。


(ガンバレ日本)
 日田のサッポロビール工場に。
工場見学の後、恵比寿ピールの試飲。
作りたてのビールは高台から眺める水郷日田の美しい景色とあいまってひときわ美味しい。
ビールを飲むとき工場見学案内してくれた女子社員、「私がガンバレ」というから、皆さんは「日本」と言ってくださいと。
乾杯が終わると、大きな拍手。(試飲風景下に)


(神尾家住宅)
 日田から耶馬渓にはいる守実温泉に、240年前の古民家があり、国の重要文化財。
九州では確認されている一番古い民家。
囲炉裏、竹で張った床など興味深く皆さん見学。
特に、これは何だと、驚いたのは、どうも風呂らしい。(下の写真)

竹で作ったスノコの上にタライがあり、
どうもここで風呂浴び。
下に落ちは水は、穴があり、ここに水を貯めたらしい。
畑にやる水にして肥料効果も狙ったのか。
飲み仲間とパチリ。


 あいにく肌寒い一日ではありましたが、桜も満開、バスの中は笑いが絶えず楽しい一日。
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驚き(2011/3/24)

2011-03-24 22:29:34 | 3.11東北大震災の頃
NHKそのものの、画像でなく、台湾のテレビの画像がネットにありました。(2011/3/30)
NHKで再編集したもの。「私たちには過ぎた娘です」との父上の一言、心にしみました。(2011/5/12)
NHKの画像、その後、見れるようになりました。(2011/5/23)

連日の東北の津波の報道、2日前のNHKの番組で、感動しました。
町民の半分以上が行方不明の、南三陸町の緊急拡声器の担当の女性職員のご両親と同行の取材。

この若い女性職員、自らが波に飲み込まれるまで緊急放送を繰り返し、たまたま、その時の映像と放送のスピーカーの生々しい音声を収録しており、それを紹介していたもの。

この若い職員、津波がとんでもない規模と分かって、冷静に「津波が来ています、至急高台に避難してください」と繰り返しアナウンス。
声のトーンが、緊急事態ということを、はっきり伝えていました。
これを聞いて足を速めて命を間一髪救った住民が何十人もいたそうです。
その方に命の恩人と感謝の年配の女性のインタビューも番組にありました。

この女性職員のご両親が、緊急放送の建屋跡に来て、NHKのスタッフに、その時の様子と御嬢さんのしっかりした放送の声をもう一度聞かせてくださいと、遭難した緊急放送室の骨組みだけの現場の前でポータブルのディスプレで、御嬢さんの最後の仕事を見届けていました。
父上は無言、母上は、津波がここまで来て、まだ、・・・まだ、放送していると、独り言でした。

 日本は、何度も危難を若者に救われています。
黒船来航の、植民地か独立かの時、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田松陰、坂本竜馬、・・・全員20代で人生を閉じ、日本の独立の礎。

 この若い女性の最後の仕事、幕末の日本の若者とそん色ない。

 日頃の職場の北九州市の若い方の就職支援センターに見えたフリーターの若者と昨日、この方の話になり、私も独り言で「おりゃー、62近くまで生きてきたが、この若い女性のような仕事はしていない。長く生きればいいもんじゃないねー」と。私の前にいた若者、瞳がキラリと光りました。

 この放映を見た日本人、1000万人単位でいたと思います。
 このNHKの放送、日本の歴史の一里塚としてホームページでいつでも、見て聞けるように長く残してほしいものと思います。
今日、あちこち検索してみましたが、見つけれませんでした。
下のようなブログの書き込みを見つけただけ。


「住民に津波を知らせるため、最後まで無線放送で避難を呼びかけた南三陸町の女性職員。
右手に拡声器のマイクを握りしめたまま遺体で見つかった、名取市の消防団員。
もし私が同じ立場だったら果たして出来るでしょうか。自信がありません」
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たき火の効能(2011/3/22)

2011-03-22 18:58:55 | 3.11東北大震災の頃
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日までの雨もあがり、竹田農園に、グリーンピースの支柱作りに出かけました。
妻が送り迎え。

(たき火)
 東北の震災のテレビを見ていると、避難所で、廃材や薪をあつめてたき火。
男性が多いが、火を取り囲んでいる人たち、皆さん、穏やかな表情。
農園でお昼のバーベキューで、いつも暖を取るため、周りの山から枯れ木や竹をあつめて
たき火をしている。
チロチロ燃える火の近くにいると体の芯まで温まる感じ。
気持ちも落ち着き、お茶を飲みながら本を読むと、家で炬燵にはいって読んでいる時よりスーと頭に入る感じ。
人間が火を使い始めて以来、寒さを防ぎ、オオカミやイノシシを近づけず、生ものを焼いたり煮て食あたりを防ぎと火は人を守ってくれている。
何万年かのそうした経験が、チロチロ穏やかに燃える火を見ると、気持ちが落ち着き、安心感があり、集中力が出るように脳が反応するようになったと思われる。
なお、たき火には、太めの丸太を一つ置き、その横で細身の枯れ木や竹を燃やすと、長持ちがして火もやさしい。
この方法は10年ほど前、中国のウィグルから来ていた友人夫婦と農園でバーベキューをしたとき、教わったもの。
お昼は農園の隣に住む江藤正翁(88歳、元南海ホークスのエース)とバーベキューで肉に畑のネギ、近くのIKさんからいただいた椎茸、サツマイモと焼いて食べる。
ビールにカッポ酒で二人ともいい気分。
(冒頭の写真)

(グリーンピースの支柱)
 グリーンピース、春になり、ツルが伸び始め、竹で支柱を作り、這い上がらせるようにする必要がある。
昨年暮れまで使った、なた豆用の竹の再利用やら、カッポ酒用に切った竹の先の部分を集めて組み立てる。
なかなかうまくできた。(下の写真)


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西谷温泉(2011/3/20)

2011-03-20 16:53:36 | 3.11東北大震災の頃
この連休は雨と高めの波の天気予報。
行きたいと思っていたメバル釣りはあきらめて、今日は耶馬渓にある西谷温泉に。

九州は、南に行くほど、新しい火山や温度の高い温泉が見られる。
いつも釣りに行く、山陰汐巻から関門沖の白島にかけて、活動をとめた火山が連なる。
釣りをしながら船が島に近づくと、白島の女島はカルデラが半分崩れた地形、吉見海岸、蓋井島の山肌は溶岩の流れた地層、角島の牛を放牧しているなだらかな斜面は溶岩が流れた跡に見える。
また、汐巻での鯛釣りに出る時の漁港のある油谷湾は別府湾と同じカルデラの跡とのこと。

その少し南に、秋吉台、平尾台といった石灰の山が連なる。
これらは、ハワイあたりで出来た火山がプレートに乗って西に移動し、上にサンゴを抱きながら、海山になり、日本に吹き寄せられて、地表に出てきたものらしい。
これが地表に出るまでは、移動するプレート間の妨げになり、地震の元のエネルギーを貯める原因になる。
北部九州や山口が大規模地震が少ないのは、この海山がすでに地表に出ているからかも。

今日出かけた耶馬渓は、溶岩が積み重なった地形で、青の洞門のあるあたりは、奇岩が続き、このあたりの温泉は温度が40度弱。
これがもっと南下して別府、湯布院になると、鶴見岳、由布岳といった火山。
温泉は高温で、湯気でゆで卵を作る。
九重山まで南下すると、温泉は高温で、筋湯では地熱発電も。
更に南下すると、新燃岳や桜島で今も噴煙。

地震と火山は密接に関係があるそうで、地層にかかる圧力が限界近くになると火山が噴火し、地震になりエネルギーが発散されて、噴火も収まるとのこと。
神戸地震と雲仙普賢岳がそれとのこと。
東北の大地震の前の宮崎の新燃岳の噴火は、振り返るとその予兆だったのかも。

などと、ぼんやり考えてるうちに、妻運転の車は、のどかな西谷温泉に到着。(冒頭の写真)
かけ流し、肌がツルッとなるいい湯。
お彼岸の連休で、併設の山小屋風の宿舎に泊まりできたグループもおり、にぎやか。

今度の日曜、汐巻に釣りの予定。
第二日曜に汐巻に出かけた、工務店のS氏、作業服屋のH氏、50センチ超の鯛やアマダイに大型のアラカブも釣り、ニコニコ。
波静かでありますように。
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