田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

松井先輩の思いで(2011/08/17)

2011-08-17 23:37:27 | 農園巡り
友人のS氏より、メール。
私が東京の学生のとき、3年間暮らした、同志会という小さい学生寮の先輩の
松井仁氏が亡くなられたとのこと。
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お別れ会:8月18日(木)9:30 出棺11:00
 会場 :浜名湖エデンの園
  浜松市細江町中川7220-99 053-439-1165
  浜松駅からバス 聖隷三方原病院下車
  納骨式 :8月18日(木)14:00
  場所  :三方原霊園 エデンの園納骨堂
  喪主 松井すゞ子(妻)
 *御花料はご辞退とのこと
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私より20歳あまり年上で、当時、神奈川県の恵泉女子大の先生で、学校農園(7ヘクタール)の
管理をしておられ、8月末、栗が取れるからいらっしゃいとのお招きに、遠慮なく同志会の暇な仲間、3人で押しかけ、栗をしこたま頂いた。
印象に残っているのは、栗の木に寄生する大きなイモ虫を火箸でつかんで一匹づつ踏み潰しておられた。
農薬は使わないのだと。
あれから40年、竹田農園のピーマンとトウガラシの枝に鈴なりのカメムシを下に竹のザルを置いて、ふるい落とし、コンクリートの地面にぶちまけて、長靴の足で踏み潰す。
この技は、40年前の恵泉女子大での松井先輩の模範演技の物まね。
冒頭の写真、後列真ん中が松井先輩。
前列のお二人は、偶然、北九州と下関に居を構え、親しくおつきあいさせていただいた。
お一人は、長網良明氏で小倉で弁護士をされ、10年前亡くなられた。
もうお一人は、今も親しくおつきあいいただいている。
梅光学院院長をしばらくされて、今は、滝部のご実家で農耕生活らしい。
ちなみに私は後列右。

これからもカメムシを踏み潰す都度、松井先輩の温顔を思い出すことと思います。

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日の水牧場 40年前にお邪魔した牧場(2010/10/3)

2010-10-03 13:56:02 | 農園巡り
日曜日、コーラル丸でカワハギ釣りと思っていたら、昨晩船長から、「明日、昼ごろ雷雨で風もある、釣り中止」の電話。
それならと、関門フィッシングの乗合船の予約をと電話するも、悪天候で釣り客が無く、明日は乗合船は出ないとのこと。
万策尽き久しぶりに家でゆっくりの日曜日。

 コーヒーを飲みながら、40年近く前お邪魔した、日野水一郎氏の牧場を思い出した。
当時のアルバムをめくると、懐かしい八ヶ岳山麓の風景。
日野水氏は私が3年間過ごした同志会という東京にある小さい学生寮の先輩で、当時八ヶ岳の山麓で7ヘクタールほどの牧場を経営しておられた。
昭和12年大学卒、私が学生だった昭和47年当時、60歳少し前。
八ヶ岳で牧場経営ということで、昭和20年後半から、同志会の学生がよく手伝うと称して、遊びに行く人気スポット。
私も、仲の良かった長網良明氏(10年前亡くなった、小倉で弁護士をしていた)と二人で、夏休み2泊の予定で、手伝いに。
行く前、少し日野水氏について、情報を得たいと思っていたら、同じ寮に暮らす友人が「週刊ダイヤモンドに日野水さんご夫婦の手記が出ていた」と持ってきてくれる。
最初はご主人の日野水氏、次の号が奥様の手記。
読んだ寮生達の感想は、日野水氏はバラ色の牧場経営という感じ、奥さんのは苦労の連続といった感じ、奥さんの手記の方が面白いといったもの。
私はどちらも面白かった。
おぼろげに覚えているのは、

(日野水氏が農業に転職した理由)
元々農林省にキャリア組で就職し、課長になったとき、周囲は強く止めたが、八ヶ岳で農業を始めた。
きっかけは、就職早々に農業実習があり、棚田で農作業。
指導教官が、棚田を支えている石垣の石を指さして、「この石がなぜ丸いか分かるか」と質問し「数百年前からここで耕作してきた農民の鍬が何度もこの石を叩き、こうして石の角が削られて丸くなった」と。
この時、若い日野水氏は、この話に心が燃え、次の仕事は農業と決め、課長になったころ年齢的に潮時と、農業に転職したもの。

(高原野菜から牧畜)
 スタート時、高原野菜から手掛けた。
値段の乱高下が激しく、高値になったと、電報が来ると、徹夜で出荷、寝る間も惜しんで働いた。
あるとき、夜中に高原野菜の出荷作業をしてると、奥様から「なにをしているの」と聞かれ、高値なので急ぎ野菜を出すと答えると、奥様「そうやって必死で野菜を作って、もうかっているの」と。
赤字。
これでは何をしているのやらと反省。
乳牛の飼育に切りかえた。
牧草の生育には雨が多い八ヶ岳山麓は適しており、また、野菜に比べ、作業が楽で(1/3)、読書したり勉強する時間も取れ経営も軌道に。

(パン)
 ご夫婦でおいしいパンを食べたいと、いろいろ工夫するもなかなか良いものが出来なかった。
甲府市に出かけたとき、町のパン屋からいいパンの香り。
これだと思い、パン屋に上がり込み、作り方の極意を頼み込んで教えてもらい、満足のパンを作れるようになった。

といった内容。

昭和47年の7月に日野水牧場を訪ねて、予定どおり2泊3日。
冒頭の写真は牧場に着く前、八ヶ岳の山麓を山歩きしたとき、長網氏とパチリ。

夏で、ちょうど干草作りの時期。
北海道、九州の牧畜農家の跡取りの若者3人が日野水氏の牧畜技術の習得に泊まり込みで働いていました。
皆さん逞しく腕周りは私の2倍はある感じ。
この若者達と日野水さんご夫婦の朝食風景をパチリ。
ご自慢のパンやら、しぼりたての牛乳を沸騰させて(消毒)冷やした牛乳やらごちそうです。
下の写真。


大相撲夏場所の頃で、小一時間相撲を見ながら、パンに牛乳の遅いおやつも楽しみ。

日野水氏は、いろいろと工夫を凝らす方で、肉にも乳牛にも両用出来る(雄牛は肉牛、雌牛は乳牛)品種だと、スイスブラウンという名前の牛をツガイでスイスから取り寄せ、飼育していました。そのスイスブラウンの前で日野水氏と若い実習生(17歳だったと思う)をパチリ。下の写真。


私も長網氏も手伝いは腕力不足で、干し草作りはかえって邪魔で、最後は、牧場の柵の杭づくりに降格しました。
私が杭になる丸太を鉈で皮をはいでるところをパチリ。


3日目に牧場を後にするとき、奥様から「あななたち、手伝ういっていたけど、役にたたなかったわね」と笑われました。
私より、2年上の同志会の先輩たちは5人で一夏出かけ、大きな牛舎を建てたと日野水氏が、その牛舎で話していました。
「後輩の若者5人が、この牛舎を建てたと碑文を作ろうと思っている」と愉快そうに日野水氏が話していたのを覚えています。
私と長網氏、尻尾をまいて逃げ出したというところ。

 それから40年近くが経ち、竹田農園での畑仕事やら、イノシシ避けの柵づくりに汗を流していると、日野水牧場でのひと時がよく思い出されます。

 日野水氏とはその後も年賀状のやり取りをしていましたが、10年前お亡くなりになりました。牧場は、やはり同志会の先輩にあたるご子息が後を継ぎ、今も経営されています。
父上同様、工夫を凝らして、今の時代にあった楽しい経営をされているようです。(「日野水牧場、八ヶ岳」でグーグル検索すると出てきます。パンが評判の手作りレストランもやっておられる様子。)

 明日は、竹田農園でイチジク畑の草刈りの予定。
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耶馬渓の神尾家住宅(2010/7/20)

2010-07-20 21:38:00 | 農園巡り
 今日も快晴、猛暑の予感。
海水浴に角島に連れて行ってくれと妻に頼むも、温泉がいいと、耶馬渓のなかま温泉に。
温泉が何時から空いているのか知りたくて、ネットで見てみると、この近くに築240年、九州では一番古い民家があり、重要文化財とのこと。
まずここに行こうとなり、お昼に到着。
なお、なかま温泉、ネットでは10時オープンとなっているが、行ってみると最近変更になり、11時オープン。

(神尾家住宅)

解体修理をした際に、材木に施工の年度の書付があり、240年前の建築と分かったとのこと。
家屋も、庭も立派に手入れされ保存されている。(冒頭の写真)
道を挟んだところに、この民家の所有主がお住まいで、好意で公開している。
中をのぞくと、大きな部屋が4つ。
一つは太めの真竹をびっしりと並べて床を張り、その上にござ。
夏の日は、床下から涼しい風が吹きあがり、気持ちよかったことだろう。
中央に囲炉裏。
その上が二階で、妻の意見では蚕を飼っていたのだろうと。(下の写真)

私は見なかったが、妻の話では奥の寝室と思しき部屋にも小さい囲炉裏。
推測するに、冬の寒い日、食事と夜なべ仕事が終わり、家族で寝るとき、囲炉裏の残り火をこの小さい囲炉裏に移し、温かくした部屋で寝たのでは。
のどかでぬくもりのある昔の農家の暮らしぶりがしのばれる。

(大工の郷)
神尾家住宅には、土間と隣り合わせに牛小屋(?)があり、そこに解体修理したとき、腐敗が激しく使えなかった梁とか柱材を丁寧に棚に保管。
シロアリに無残に食い荒らされボロボロ。
こうしたやっかいな住宅を地元の大工さんたちが集まって解体し再組立てした情景が目に浮かぶ。
付近は今は杉・ヒノキの立派な山林が続き、製材所も多い。
日田杉で有名な日田はすぐそこで、大工さんたちも昔から各郷にたくさんいて、腕も確かだったことと確信。
見事に再生した神尾家住宅を見ながらそんなことも思いました。

(かぼちゃの棚)
この民家の横に立派な野菜畑。
竹で大きな棚を組み、かぼちゃが垂れ下がっている。(下の写真)


竹田農園でもかぼちゃを作りたい、しかし場所をとるのでどうしたものか、行きの車の中で妻と話をしていたところで、来年はこうした棚を農園の林の木を利用して組んで栽培してみよう。
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高知の旅

2008-10-13 23:35:32 | 農園巡り
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
一昨日から今日まで3日間、高知に妻と妻の卓球友達のY夫妻の4人で遊びに行ってきました。
結婚してこの夏から高知住まいの娘夫婦がガイド。
カツオのタタキと、7年前訪ねてもう一度行きたいと思っていたイングリッシュガーデンが主な目当て。

(カツオのタタキ)
到着した夜の食事は、高知の繁華街にある、料理屋。
魚屋さんの経営で、カツオのタタキがおいしく、塩味でたべるとか。
我々4人に、娘夫婦の6人で、テーブルに出されたカツオのタタキにさっそく挑戦。
分厚く色が新鮮。
ニンニクの厚めのスライスを乗せ、塩を振りかけ、これにポン酢をかけて食べる。
舌触りがよく、今まで食べたタタキの中で一番美味しくボリュームもある。
皆さん同意見。
カツオの話題になり、娘夫婦の高知沖のホエールウォッチングが話題に。
クジラはカツオを狙って回遊してくるそうで、クジラを見物している船の側で、かつお釣りの漁船が、ポンポンとカツオを釣り始めたとのこと。
ウォッチングの客はクジラとカツオ釣りの両方を交互に見物で楽しかったとのこと。
とどめは、ウォッチング船の船長がいつの間にか自分もカツオを一本釣り上げ、その場で刺身にして客に振舞ってくれたとのこと。
娘夫婦も船酔いでダウンした客の分まで腹いっぱいカツオの刺身を平らげ、満足の一日だったとか。

(ウナギ)
翌日、ホテルの目の前で開いている日曜市を見物し、栗やら、梨やら買い、娘夫婦には魚の刺身用に出刃包丁と砥石をプレゼントで買いと楽しむ。
昼は、高知で一番評判だというウナギ屋に出かけ、パリッとした皮の焼け具合と、あっさりした肉の舌触りに、これは今まで食べた中で、一番の味だとこれも決定。
ご夫婦とも鹿児島の出身で若いころは、奥さんの父上がウナギ釣りの名人で、天然ウナギを食べつくしているYさん夫婦も同意見。
50席はある店は満席、空席待ちの客も10人ほど。
席についても、それからウナギを捌くそうで、1時間後にようやく、うな丼が出てくる。
それでも皆さん、なっとくで待っている。
値段もお手頃。店の皆さんの雰囲気も健康的でよろしい。

(イングリッシュガーデン )
満腹したところで、ウナギ屋から車で30分の山ふところにある、イングリッシュガーデンに。
7年前、高知に単身赴任中の銀行マンの学生時代からの友人のS氏を、京都に住むエコノミストのこれも友人のF氏と訪ねた際、S氏の休みの日のたまり場だと、連れて行ってもらったミカン農家&花畑&フラワーアレンジ&絵画の香りがする農園。
一度、ブログで2008/6/4にご紹介したことがある。
安岡さん(73才)のご家族が働いている。
6人で農園につき、ちょうど屋敷のキッチンにおられたお嬢さんに挨拶して、ガーデンのバラ、ETC.の花を見ながら散歩(冒頭の写真)。
今は、段々と秋の風情。
屋敷から、奥様、後からご主人が出てこられて、挨拶。
7年前にあったきりなのに、覚えてくださっており、感激。
屋敷内(イギリスの豪農の屋敷風)の広いリビングを一般の方に公開しており、お茶とお嬢さん手作りのケーキをいただく(有料)。
安岡氏からいろいとお話をうかがう。

○高知でミカン農家を長くやっているが、30年前の農家は、何かの会合があっても、一番人気があるのは、おかねをたくさん稼いでいる農家。
お金の稼ぎ方を知りたく、人が取り巻くといった按配。
○そのころ、団体でオランダ、フランスの農家を訪問して回る機会があり、南フランスの農家に感銘を受けた。
「近くにスーパーも無く、買物が不便だろう」と安岡氏が言うと、「家のサクランボを買ってくれる農家から、パンを買っている等々でちっとも困らない」とのこと。
庭先に農家の仲間たちが集まり、自慢の自家製ワインを飲みながら歓談。
これが本当の農家だ、金は無いが、土地と自由に使える時間がある、と思い、帰国して奥さんに、ミカン畑を5反潰して、花畑にしよう(奥さんは花が好き、フラワーデザインの才能豊か)というと賛成。
○イギリス風の木造の大きな家を建て、リビングは広く明るくして奥さんが好きに生け花をできるように。
庭の見えるテラスも。
一方、奥様はイギリス旅行をして、イングリッシュガーデンに感心、このやり方で高知の農園にガーデンを作ることを提案、ご夫婦で宿根草100種類(?)、バラ50種類(?)の見事なイングリッシュガーデンを育てる。
○噂を聞いて、友人たちがやってきて、テラスで庭を見ながら談笑。
コーヒー、紅茶を振舞っていたが、あまりの人数の多さに、コーヒー、紅茶を有料に。
今では、ランヂで出すようになったと笑う。
○安岡氏は現在73才。血色も良く、柔和なお人柄で、きさく、作るミカン、水晶ボンタン等の減農果実は素晴らしい味。
しかし70才を超すと、さすがに無理が利かなくなり、ミカン畑は段々縮小してるとのこと。
切り倒してしまうのかと、質問すると、水晶ボンタンは20年もするとウィルスで枯れてしまう。
それを見越して苗を近くに植える。
しかし、最近は、この苗植えを減らしている。
そのようにして、ずいぶんとミカン畑は減った。

 イングリッシュガーデンと本場カツオのタタキ、毎年足を運びたいもの。次は、花の特に美しい来年の5月下旬か。
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