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チャーチルの「第二次世界大戦」とプーチンの戦争(2022/12/23)

2022-12-23 14:18:41 | 田舎で読んだ本
わが家のコロナ感染、一段落し、熱も出なかった私と妻は、一昨日から外出、熱の出てコロナの診断の出ていた次男も、自宅療養期間を終え、今日から仕事再開。
 
 外は冷蔵庫状態で、今日は私も妻も炬燵の人。
本棚から文庫本を探し出しました。
最近のウクライナでの戦争の報道に、よく似た話と気になっていた、イギリスの第二次世界大戦を指導したチャーチルの「第二次世界大戦」(チャーチルはこの著述でノーベル文学賞を得ている)。

 この本で、ドイツの独裁者のヒトラーのヨーロッパ征服の意図と実行振りが詳しく書かれている。まずオーストリアに住んでいるドイツ系の住民の要望でと、一気に攻め込み、躊躇するフランス・イギリスをしり目に、併合。
 これで最後だからと、次にチェコのドイツと接する州を併合しようと武力圧力を加え、これにイギリスが、本当に最後ねと、チェコに武力放棄を強いて、一部併合を認める条約(ミュンヘン条約)を結び、そのすぐ後に、チェコ全域を占領して、イギリス・フランスを唖然とさせた。
 次に突然ポーランドに攻め込み、イギリス・フランスが宣戦布告で、第二次世界大戦。
ここまでは、ドイツの軍部も驚くヒトラーの独壇場で、フランスも降伏の憂き目。
 ロシアのプーチンも、オーストリア・チェコの併合と同じにウクライナを攻め落とせると戦争を起こしたのだが、結果は、手ごわいウクライナの抵抗と準備に既に10カ月、目的を達成できていない。
 今は、ウクライナの電力設備、病院等のインフラをミサイル、ドローンで攻撃に戦力を振り向けている。寒い冬に、ウクライナ国民が戦意を喪失するかもとのプーチンの期待。
 これもヒトラーのイギリスとの決戦に、当初、制空権を握り、イギリスにドーバー海峡を渡って攻め込むという戦略で、ドーバー海峡沿いのいくつものイギリス空軍基地を爆撃し成功しかけていたのだが、ベルリンをイギリス空軍に爆撃された報復に、ロンドン市の空爆に戦力を振り替えたという過程によく似ている。
 今回のウクライナの戦争では、クリミヤ大橋をウクライナに爆破された報復に、ウクライナの電力設備・病院等をミサイル攻撃したもの。
 ヒトラーのロンドン爆撃はどうなったかというと、10万近くの犠牲者は出たが、空軍基地は持ち直し、結果的に、ドイツ空軍を追い払い、イギリス征服を諦めさせた、ドイツの戦略の失敗といわれている。(映画の「空軍大戦略」にこの間の事情が描かれている)
プーチンは、ヒトラーの成功した、オーストリア、チェコ征服を模倣したが、失敗。ヒトラーの失敗したロンドン爆撃を模倣して、ウクライナの国民の戦意喪失を計っている。今のところ、寒さにウクライナ国民は難渋しているが、意気阻喪したようには見えず、これもヒトラー同様に失敗するように思われる。
 ウクライナ軍は、前線の補給ルートや、武器貯蔵庫、指揮系統を維持でき、反対に、アメリカから提供された、ハイマースの精密ロケット攻撃で、ロシアの補給路、指揮系統を破壊しつつある。
 時間はかかるだろうが、第二次世界大戦末期のヒトラーの最後に似た結末をプーチンと取りまきは経験するようになるのだろう。
 それにしても、チャーチルの「第二次世界大戦」で詳細に綴られた報告を読めば、ロシアは今回の戦争はしなかった。なまじ、第二次世界大戦で勝ったため、おごりから、脇が甘くなっていた。敗戦国日本では、敗戦の4年後の昭和24年、チャーチルのこの本が出た1年後には、毎日新聞社が膨大な24巻を全訳出版、広く知れ渡っている。私が読んだのは、その縮刷版全4巻で河出書房から、昭和58年に出ている。

 ちなみに、イギリスがドイツ空軍と死闘を演じていて、イギリス空軍基地が全滅しかかった時、ドイツ空軍の矛先がロンドン市に移りイギリス空軍が一息ついたころの描写↓。

第二次世界大戦(チャーチル、河出文庫2巻 より)
「事実、8月24日から9月6日にかけての戦闘では、形勢は我が戦闘機隊にとって不利だった。この重大な時期に、ドイツ軍はイングランドの南部と南東部の飛行場に、連続強力な攻撃を加えた。彼らの目的は、彼らが攻撃を焦る首都の、昼間防空施設を破砕することにあった。われわれにとってそれよりはるかに重大なことは、ロンドンを恐怖爆撃から守ることよりも、これらの飛行場とそこから作戦行動に戦闘機隊の機能と連絡であった。それは英独両空軍の生死を賭した死闘の決定的な場面であった。われわれはロンドンやその他の場所を守るという観点からこの作戦を考えず、どちらが空で勝つかということからだけを考えていた。スタンモアーの戦闘機部隊総司令部、特にアックスブリッジの第十一戦闘大隊本部には、大きな不安があった。この大隊の前線飛行場5か所と、6つの小地区基地は大損害を受けた。ロンドン南方のビッギン・ヒル地区の基地は大損害を受けたので、一週間にただ戦闘機一個中隊しか行動を起こすことが出来なかった。もし敵が隣接地区に猛攻を繰り返して、作戦室や電話連絡を破壊すれば、戦闘機大隊本部の複雑な組織全体が崩壊したかもしれない。そうなれば単にロンドンが惨憺たる目に会うばかりではなく、決定的地域におけるわが上空の完全な支配が失われることなったであろう。・・・・・・・・・・・・・・このため、ドイツ軍の攻撃が9月7日にロンドンに向けられたのを知り、敵は計画を変更したという結論に達したとき、わが戦闘機部隊司令部はホットした気持ちになったのだった。ゲーリングはあくまで、飛行場の攻撃を続けるべきであった。とういのは、イギリス空軍の全戦闘力がこの場合、その組織と連絡に依存していたのだ。しかし、彼はこれまで認められていた人道の命に背いたのはもちろんのこと、従来からの戦争の原理に背いて、愚かな過ちを犯したのである。
 この同じ期間(8月24日~9月6日)わが戦闘機部隊の戦力は、全体として相当に減退していた。2週間のうちに操縦士103名が戦死し、128名が重傷を負い、466機のスピットファイアーとハリケーンが破壊されるか甚大な被害を受けた。約千名の全操縦士のうち、ほとんど四分の一が失われたのである。その補充は元気こそ旺盛だが、260名の新しい操縦士によって、やっと埋めることが出来たが、それは訓練中の隊から引き抜いた未経験の操縦士であり、多数の者はまだ全課程を終えていなかった。9月7日から10日間にわたるロンドンへの夜間空襲は、波止場や鉄道の中心部に対して行われ、多数の市民を殺傷したが、これは我々にとっては、もっとも必要とした息抜きの期間となった。
・・・・・・・・・・・・・・
 8月末に至って敵はロンドンに散発的に来襲したが、これに対してわれわれはベルリンに対して報復的攻撃を加えた。しかしこの距離がかなり長かったため、イギリスに近いフランスやベルギーの基地からロンドンを攻撃するのに比べれば、それは甚だ小規模たらざるを得なかった。戦争内閣としては、反撃を加えたい気持ち、大きく賭けたい気持ち、敵に挑みたい気持ちで一杯だった。わたしも全くそのとおりの気持ちだった。そしてヒトラーの心を動かし不安を感じさせるためには、彼にイギリス人の激怒と意志の力を悟らせることが一番だと私は信じた。ヒトラーは心の底では我々に敬意を抱いていたのである。もちろん彼はわれわれのベルリン攻撃を大いに利用して、ロンドンと他のイギリス諸都市を混乱と荒廃に陥れるという、かねてのドイツの計画を公式に声明した。「もし彼らが我が都市を攻撃するなら」と彼は9月4日に宣言した。「我々は、彼らの都市を抹殺するのみである」。彼はこのために最善をつくした。」

 ドイツのイギリスの空軍基地攻撃から、ロンドン攻撃に方向転換した、きっかけが、イギリス空軍によるベルリン爆撃だったとの、最後の記述は、映画の「空軍大戦略」にも詳細に描かれている。
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