石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2008年3月8日も栃木市の石仏巡りに行きました

2008年03月09日 | Weblog
2008年3月8日も栃木県栃木市の石仏巡りに出かけました。相変わらずの、単純な石仏調査に終始した一日でしたが、それでも再調査を含めて合計70基を記録することが出来ました。そして今回も、あまり皆様にご紹介したいような碑塔には出会えませんでしたので、HPの方で悩むことになるでしょう。期待しないでください。

 ところで今日は、暫くぶりに面白いことに出会いましたので、ご紹介しましょう。それは、私の栃木市寺院との相性の悪さは以前に書いた覚えがあるのですが、その事例に又しても出会ったことです。

 それは、栃木市大宮町の真言宗○○寺を訪れた時のことです。境内に車を止め、居合わせたおばさん(50歳前後?)に、個人的趣味で石仏巡りをしている者なのですが石仏を見させてくださるよう、相変わらずのご挨拶に伺ったところ、何か言いたそうな顔をしながらも、渋々承諾してくれました。
 そして境内にある碑塔に向かって銘文などを書き写し出すや、そこへやって来て、「住職の許可を得ていないのだから、見るだけにして調査はしないで下さい」。「調査するなら、事前に電話なりして住職の許可を得てからにして下さい」。「何か悪いことに使用されては困るからです」と言い、挙げ句の果てに「住職によっては、こうしたものを見せたくない人もいますから…」という。私としては、先ほど見させてくださいと、当のおばさんに許可を取ってのことなのだが、確かに「調べさせてください」とは言わなかったのはうかつで、そう言われるとグウの音もない。親族の目の前で行う、石仏調査を拒否されるとは…。
 それでも釈然としないまま、おばさんはこの寺の方ではなかったのですか?と尋ねると、「このお寺で生まれた娘ではあるが、住職は歴史について全く興味を持っていないので留守の時に調査されては困る」という。そして言うに、「私は、小山市の史談会に所属しているが、史談会ではそのような決まりになっている」とも言う。これには参った。小山市の方々は、石仏を見て歩く(いや、調査する)にも、寺院住職に事前に電話なりで承諾を得なくてはならないのか!と。私の今までの経験からすれば、小山市で当日突然に伺って住職さんに挨拶すれば、皆さん快く見せてくれるし調査もさせてくれている。栃木市のように、寺の住職や身内から石仏調査を拒否された寺院など一ヶ寺もこれまでになかった。それでも、そう言われると建前ではその通りなので、やはり小山史談会という立派な会に所属している、賢夫人の理屈に降参する。アッパレッ、小山史談会、である。
 ここで、大人げない口げんかをするのも嫌な気分になるので快諾し、即座に調査を止めたのは言うまでもない。それにしても、これで栃木市でのいなや寺院は三ヶ寺になった。たかが石仏(されど石仏か)、それも寺の住職さえ興味を示さない石仏調査を拒否できる器量に驚きを禁じ得なかった。昔の記憶では、栃木市内にはこのような寺院がもう一ヶ寺あった。それがどこだかは忘れてしまったが、やはり門構えの大きな寺院だったことだけは覚えている。かようになぜ栃木市だけ、寺院住職の中には仏の身に使えていることを自覚していない者がいるのだろうと思う。それとも、私の人相が栃木市へ入ると悪くなり、泥棒の事前偵察に思われてしまうのだろうか?
 そしてその後、栃木市内の二箇所の寺院を訪ねたが、幸か不幸かどちらも家人不在で庫裡に鍵が掛かっている。こうなるともうこっちのもの、拒否されることもなく留守を幸いと境内にある石仏を調査するやさっさと立ち去って、車の中でニンマリである。それでも、まだ栃木市街地の寺院はあと数ヶ寺残っている。訪れるに気が重いが、まあこれも社会勉強と、次回以降も栃木市のいやな寺院が幾つ増えるかを楽しみに代えて訪問することにしよう。いずれにしても結論としては、私にとって栃木市は栃木県内で最も嫌な地域である。それだけに、早く栃木市を終了して離れ、暖かく迎え入れてくれる地域に行きたいものである。ナヌッ、その他の二ヶ寺の名前を教えてくれ!。それは、ノーコメント!。自分で、どれくらい嫌な気分になるか、宝くじに当たるような思いで栃木市内のお寺を訪ねてのお楽しみに。
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