2008年3月15日も、栃木県栃木市の石仏巡りに出かけました。今回は、栃木市内の総集編として市街地を歩き回りました。いやあ、春を通り過ぎて初夏のような陽気も加わって、流石に終わって、市役所の駐車場へ着いたときにはどっと疲れが出ました。ちなみに歩いた町名は、平柳1丁目、同二丁目、城内町、入舟町、万町、泉町、大町、嘉右衛門町、旭町、河合町、湊町、室町に樋ノ口町です。そして調査碑塔数は、総数で45基でした。特に今回は、過去に訪れている場所も多かったので、再調査をサボったり、写真撮影もしなかったから訪れた場所が多いにもかかわらず数が少なかったのかもしれません。また、一日で3基の宝篋印陀羅尼経塔調査となったり、住職さんとの会話が弾んだので思わぬ時間がかかったことも一因です。
さて前回のこのブログで、栃木市のお寺との相性の悪さを記しましたが、今回はその反対に大変気持ちよく接してくれましたお寺さんをご紹介しましょう。ぜひ、栃木市の石造物調査の折りには安心してこの2寺院をお訪ね下さい。
その第一は、万町の浄土宗近龍寺さんで、宝篋印塔を眺めているだけで境内にいた住職さんが話しかけてくれまして、その宝篋印塔の塔身の中には宝篋印陀羅尼経が記された円筒が納まっていることを教えてくれました。また、教えられなければ分からない墓地内にある徳本上人の六字名号塔までご案内してくれました。本堂には、徳本上人像もあるとのことでしたが、それまで拝見させていただくのは申し訳ないと遠慮しましたが、文化10年代に当地へ徳本上人が巡錫された事実に基づいての事であるとのことで、非常に興味を持ちました。
第二は、城内町二丁目にある天台宗円通寺さんです。石塔調査の許可を頂きたく庫裡へ挨拶に行けば、住職さんが先導して案内してくれました。また、境内には2基の宝篋印塔があり、こちらも気持ちよく調査させていただくことが出来ました。さらに、境内にある「高慶大師定堀之碑」も見せていただき、それが「窪世祥」の物であることが分かりました。あとで、拓本を取らせてくださるか尋ねたところ、快諾を頂戴しました。それどころか、石造物には詳しくないので内容などを教えて下さいとのこと。私のような一介の者に頭を下げられますと、何とも面はゆいものです。それにしても、宝篋印塔の塔身に九品佛が浮き彫りされているのは初めて見ました。他の場所から移設したものなので、或いはその時に塔身が新しく作られた可能性もありますが、何とも興味津々物でした。
今回は、本当に暫くぶりに泉町雲竜寺の丸彫青面金剛像も見てきました。写真も撮ってきましたので、今さらの感がなきにしもあらずですが、HPの方へ掲載いたします。また、あきる野市在住の多田氏が興味を持っている庚申堂、「塩庚申」の写真も撮ってきましたので、ご紹介しようと思っています。
そして遂に、栃木市の国道293号線から南地区は一通りの調査が今回で終了しました。現時点で、栃木市の実見碑塔数は960基余。次回からは、国道293号線から北の山地へ入ります。調査目標数は120基位と見ていますので、あと3回程で栃木市は終了となる予定です。そうすれば、栃木市にある全碑塔の90%は実見調査したことになるので満足出来る数となります。それでも、以前に作成した「栃木市の江戸前期迄の庚申塔」調査報告書は、今年になってから新たに寛文塔と貞享塔が見つかりましたので改訂版を作らなければなりません。春本番になったら、春日部市在住の中山氏とそれらの庚申塔巡りに行く約束が早くも出来ているので、それまでに作らなければと思っているところです。
それでは、次回まで!
さて前回のこのブログで、栃木市のお寺との相性の悪さを記しましたが、今回はその反対に大変気持ちよく接してくれましたお寺さんをご紹介しましょう。ぜひ、栃木市の石造物調査の折りには安心してこの2寺院をお訪ね下さい。
その第一は、万町の浄土宗近龍寺さんで、宝篋印塔を眺めているだけで境内にいた住職さんが話しかけてくれまして、その宝篋印塔の塔身の中には宝篋印陀羅尼経が記された円筒が納まっていることを教えてくれました。また、教えられなければ分からない墓地内にある徳本上人の六字名号塔までご案内してくれました。本堂には、徳本上人像もあるとのことでしたが、それまで拝見させていただくのは申し訳ないと遠慮しましたが、文化10年代に当地へ徳本上人が巡錫された事実に基づいての事であるとのことで、非常に興味を持ちました。
第二は、城内町二丁目にある天台宗円通寺さんです。石塔調査の許可を頂きたく庫裡へ挨拶に行けば、住職さんが先導して案内してくれました。また、境内には2基の宝篋印塔があり、こちらも気持ちよく調査させていただくことが出来ました。さらに、境内にある「高慶大師定堀之碑」も見せていただき、それが「窪世祥」の物であることが分かりました。あとで、拓本を取らせてくださるか尋ねたところ、快諾を頂戴しました。それどころか、石造物には詳しくないので内容などを教えて下さいとのこと。私のような一介の者に頭を下げられますと、何とも面はゆいものです。それにしても、宝篋印塔の塔身に九品佛が浮き彫りされているのは初めて見ました。他の場所から移設したものなので、或いはその時に塔身が新しく作られた可能性もありますが、何とも興味津々物でした。
今回は、本当に暫くぶりに泉町雲竜寺の丸彫青面金剛像も見てきました。写真も撮ってきましたので、今さらの感がなきにしもあらずですが、HPの方へ掲載いたします。また、あきる野市在住の多田氏が興味を持っている庚申堂、「塩庚申」の写真も撮ってきましたので、ご紹介しようと思っています。
そして遂に、栃木市の国道293号線から南地区は一通りの調査が今回で終了しました。現時点で、栃木市の実見碑塔数は960基余。次回からは、国道293号線から北の山地へ入ります。調査目標数は120基位と見ていますので、あと3回程で栃木市は終了となる予定です。そうすれば、栃木市にある全碑塔の90%は実見調査したことになるので満足出来る数となります。それでも、以前に作成した「栃木市の江戸前期迄の庚申塔」調査報告書は、今年になってから新たに寛文塔と貞享塔が見つかりましたので改訂版を作らなければなりません。春本番になったら、春日部市在住の中山氏とそれらの庚申塔巡りに行く約束が早くも出来ているので、それまでに作らなければと思っているところです。
それでは、次回まで!