石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2008年6月最初の石仏巡りは鹿沼周辺です

2008年06月02日 | Weblog
2008年6月1日の石仏巡り記
 5月最後の昨日土曜日は朝から雨のため、流石の私も石仏巡りは中止して部屋でのんびり過ごしました。開けて6月1日、日曜日は朝から快晴。昨日までは、石仏巡りに行くことは予定していなかったのだが、余りにもの快晴に誘われてつい車に乗り込んでしまう。しかし、今日はどこへ行くかを決めていなかったので、手頃な鹿沼市から粟野町周辺の石仏巡りとする。そして、前々からいつかは精査しなければならないと思っていた寶篋印塔の手拓作業に朝一番から入る。暫くぶりに出会った石文の彫りが悪く、黙視だけでは判読不能な箇所がありすぎるので、これも仕方がないことと諦める以上に、今日は目的地が決めていないので、目の前に現れた石仏は過去の調査分をも含めてのんびり調査することにしたからである。それにしても、こいつは手強い。手拓しても、願文箇所の判読と推読に手こずり、虫食いだらけの清書になりそうである。
 その後は適当に車を運転し、鹿沼市と粟野町を入ったり出たりしての石仏巡りとなる。それでも、実見したかった粟野町の昭和55年庚申塔だけは訪ねようと、少しばかり所在地探しに手間取ったが、2基ある内の1基は無事に出会うことが出来た。もう1基は、所在場所が分からず簡単に諦める。お昼は、粟野町の林道へ入って木陰の下での昼食。直ぐ近くでウルサイほどのウグイスの鳴き声に聞き惚れ、ついウトウトしてしまい、1時間以上も休んでしまった!。それでも、午後3時半頃に調査用紙の枚数が65枚になったのを潮時と、今日の石仏巡りを終えて帰路に付く。今夜は、手拓してきた寶篋印塔銘文読みに時間を使って、イライラそしてのんびり眺めようと思っている。
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