石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2008年6月7日は粟野町の石仏巡りでした

2008年06月08日 | Weblog
2008年6月7日の石仏巡りは、栃木県粟野町(現鹿沼市)の中でも最も遠い上粕尾地区へ行きました。そして最初に行ったのが、山の神地区にある奥深沢(オフクザワ)の滝に祀られている不動明王像です。予定では、滝の上部から対岸に渡り、更に不動明王の祀られている大きな岩の上まで行くつもりだったのだが、昨夜までの雨のために渓流は増水していて渡ることが出来ませんでした。そこで、少なくも写真だけは撮ろうとしたのですが、今度は不動明王の祀られている所は暗くて、手持ち撮影ではどうにもなりません。今さら、三脚を車の中に残してきたことを悔やんでも仕方がないと、苦労して下った崖を登って車まで三脚を撮りに行きました。それでも、望遠のないカメラでは不動明王の姿は風景の一つとして小さくしか写せませんでした。悔しいので、今度は滝の撮影に目的を変えて狙いましたが、木の枝が邪魔してポジションが得られぬままシャッターを押しました。そんなこんなで、まだ1基の石仏にも接していない内に早くも10時を過ぎてしまいました。
 「嗚呼、私は何をしているのダ〜」ですが、その分を暫くぶりに渓谷で涼しくのんびり出来ました。
 元に戻って、まずは発光路(ホッコウロと読みます)地区の石仏調査。昔はあちこちにあったものが、今は薬師堂敷地内に集められているので調査は簡単です。それで、今回はその中に未調査の碑塔を見つけて、まずはニンマリでした。
 そうそう、ついでに今回は粕尾地区の双体道祖神も訪ねようと考えていましたので、これまでに庚申塔調査のために何度も来た碑塔群へも再訪問し、写真を撮ってきました。
 その後は、道なりに下って行っての碑塔調査に専念することにしました。田の端地区を終え、更に大井地区へ入り、ここで「蛇除地蔵」の碑を調査。次いでに、近くの粟野三十三番札所の内の第二十九番目となっている「蛇除地蔵堂」へも行きました。そうこうしている内に、今日は早くもお昼時間です。石仏調査はまだ11基しかしていないのに、です。
 次の北村地区へ入って、まずは日光神社の境内でお昼としました。そして昼食後は、一人でこれからの石仏巡り作戦を練りました。幸いに、今は一年中で最も昼の永い時間帯なので、午後は真剣になって石仏巡りを5時まで行うことにしました。しかし、これから入る北村地区は初めての地。そこで更に考え、最初に地区内にある東光寺さんを訪ねることにしました。住職さんに、地区内の石仏所在地を全部教えて貰おうという、醜い目論見です。そして東光寺さんを訪ねれば、その心算通りに喜んで教えて下さり、挙げ句の果てに場所の分かり難いから外れた林道沿いの「庚申塔」等を住職さんの車で案内して頂けました。お陰様で、北村地区の碑塔は時間こそ掛かったがものの見事に悉皆調査が終了してしまった。厚く厚く御礼を述べて辞し、次は双体道祖神のある半縄地区へ突入。と云っても、車は路肩に置いてこの地区は全て歩いての調査となる。少しばかり暑くなってきたが、カメラ三脚も忘れずに抱えての石仏調査。その後も車を置いての地区毎の石仏巡りを続けて、本日最後は栃原地区の第九番観音札所で午後4時51分に終える。結果的には、五基の双体道祖神を20年振り位に巡ったが、手入れがなされていないので苔が生え、剥離が進んでいるものもあった。この粕尾地区の双体道祖神像は都合8基だから、今回はその内の5基を訪ねたことになる。次回には残りの3基を訪れたいと思っている。
 それにしても今回は、結果が分かっていながらも目新しい碑塔が無さ過ぎた。加えて調査数も少なかったので、私としては珍しく遅くまで調査した割には疲れだけが残った石仏巡りだった。HPの方へは、今回の双体道祖神は未掲載と致します。粕尾地区のあと3基を再訪してから、纏めて掲載しようと思っています。そんな次第で、タブン今回も画像は少ない報告となるでしょう。もっとも、掲載されるまでには2〜3日を要しますが…。