前回の石仏巡りの内容をHPの方へ掲載しないうちに一週間が過ぎてしまいました。それもこれも、毎年の事ながらこの時期はこれからの夏に向かっての仕事で忙しく、趣味としてパソコンの前に座る事が出来ないほど、毎日仕事でパソコンを操作しているからです。「もうそろそろ、仕事でパソコンを触るのは止めたいネ」というのが正直な気持ちですが、貧乏人は即生活に困りますので、ついつい趣味の時間まで仕事をせざるを得ないのです。
そんなこんなで、HPの方へは結局掲載出来ぬまま新たな石仏巡りに出かけてしまいました。昨日6月21日も、栃木県粟野町へ出かけました。天気予報では、当地も雨が一日中降り続くとの事でしたが、そんな天気予報に騙されてたまるものかと、それでも出発はいつもより1時間ばかり遅い8時半になってしまいましたが…、出かけました。
今回は、いつものコースと違って、粟野町の深程地区から入りました。小松神社で、いつもの延宝庚申塔を見てから内へ入ると道沿いに庚申塔が建っていました。それが何と、栃木県での160基目となる昭和庚申年塔でした。青梅市の石川博司氏が、ようやく全国的な昭和庚申年塔を纏める気になったようなので、そのうち資料を差し上げることにしましょう。
さて、早速そこに刻まれている個人宅へお伺いしてその庚申塔造立について話し等をうかがいました。今日の石仏巡りとしてはこれで大満足。さあ、いつでも天気予報通りに雨が降ってこい!、という気持ちになりましたが、それどころか太陽まで出てきた蒸し暑さが増してくる。それからは、少しずつ北上してまず久野地区へ入る。この久野地区の小松神社と寄居観音堂を見てから、まだ実見していない口粟野神社にあるという粟野地区3基目となる昭和庚申年塔を見に行く。ところが、その口粟野神社には他の家畜塔などはあるものの、肝心な庚申塔は1基も見つからない。こうなるとすぐ無気になるのは、いつもの私のこと。境内裏は広大な森となっているので、必ずその森の中のどこかに庚申塚があって、そこにあるのだろうと見当をつけて探索開始。森の中にある幾筋もの踏み跡を辿って侵入するも、成果は無しでヤブ蚊と蜘蛛の巣の被害に遭っただけで、足元はずぶ濡れ。それでも諦めきれず、今度は東側の神社敷地の境にある山道がどうも怪しいと再度捜査。その結果、山道から暫く先へ進んだその山側へ5メートルほど奥の所に隠れていた庚申塔を発見(山道から、一歩山の中へ入って登って行ったのが結果的に良かった)。そこには、元文庚申塔から始まる寛政・万延・大正・昭和の庚申年に造立された自然石文字塔が5基並んでいた。それにしても、この場所には参った!。もし、それらを訪ねたい方は気軽にお問い合せ下さい。私のような無駄な苦労をする必要はありませんから、詳細地図をご案内しますので。
そしてその後は、今日の石仏巡りは大満足として観音霊場巡りに切り替え、あちこち移動しました。それら訪ねた観音堂に下がっている鰐口が気になりつつも、全く調査もしないままで高橋氏に申し訳ないと思いつつ…。
HPの方へは、おいおい暇な時間を見つけて作成し、掲載します。そして今月も残すところ石仏巡りは出来て1回。それなら今までの流れで、同じ粟野町へ入ろうと思っています。
そんなこんなで、HPの方へは結局掲載出来ぬまま新たな石仏巡りに出かけてしまいました。昨日6月21日も、栃木県粟野町へ出かけました。天気予報では、当地も雨が一日中降り続くとの事でしたが、そんな天気予報に騙されてたまるものかと、それでも出発はいつもより1時間ばかり遅い8時半になってしまいましたが…、出かけました。
今回は、いつものコースと違って、粟野町の深程地区から入りました。小松神社で、いつもの延宝庚申塔を見てから内へ入ると道沿いに庚申塔が建っていました。それが何と、栃木県での160基目となる昭和庚申年塔でした。青梅市の石川博司氏が、ようやく全国的な昭和庚申年塔を纏める気になったようなので、そのうち資料を差し上げることにしましょう。
さて、早速そこに刻まれている個人宅へお伺いしてその庚申塔造立について話し等をうかがいました。今日の石仏巡りとしてはこれで大満足。さあ、いつでも天気予報通りに雨が降ってこい!、という気持ちになりましたが、それどころか太陽まで出てきた蒸し暑さが増してくる。それからは、少しずつ北上してまず久野地区へ入る。この久野地区の小松神社と寄居観音堂を見てから、まだ実見していない口粟野神社にあるという粟野地区3基目となる昭和庚申年塔を見に行く。ところが、その口粟野神社には他の家畜塔などはあるものの、肝心な庚申塔は1基も見つからない。こうなるとすぐ無気になるのは、いつもの私のこと。境内裏は広大な森となっているので、必ずその森の中のどこかに庚申塚があって、そこにあるのだろうと見当をつけて探索開始。森の中にある幾筋もの踏み跡を辿って侵入するも、成果は無しでヤブ蚊と蜘蛛の巣の被害に遭っただけで、足元はずぶ濡れ。それでも諦めきれず、今度は東側の神社敷地の境にある山道がどうも怪しいと再度捜査。その結果、山道から暫く先へ進んだその山側へ5メートルほど奥の所に隠れていた庚申塔を発見(山道から、一歩山の中へ入って登って行ったのが結果的に良かった)。そこには、元文庚申塔から始まる寛政・万延・大正・昭和の庚申年に造立された自然石文字塔が5基並んでいた。それにしても、この場所には参った!。もし、それらを訪ねたい方は気軽にお問い合せ下さい。私のような無駄な苦労をする必要はありませんから、詳細地図をご案内しますので。
そしてその後は、今日の石仏巡りは大満足として観音霊場巡りに切り替え、あちこち移動しました。それら訪ねた観音堂に下がっている鰐口が気になりつつも、全く調査もしないままで高橋氏に申し訳ないと思いつつ…。
HPの方へは、おいおい暇な時間を見つけて作成し、掲載します。そして今月も残すところ石仏巡りは出来て1回。それなら今までの流れで、同じ粟野町へ入ろうと思っています。