大失敗だった、OHPフィルム原稿を使用しての講演。
主催者側と私とのOHPについての認識の違いがあり、講演会場に着いてから打ち合わせの段で、主催者側は私がOHCで資料説明となっていたので、顔には出さないが驚くばかりであった。事前に、今回はアナログのOHPを使っての講演になるので器材の方の確認をしたところ、「大丈夫です。OPH器材を用意しています」とのことだっただけに、安心しきっていた私が悪いのか。一枚単価150円で約70枚ほどを作成したというのに、透過方式のOHP器材がなく、これが使えないことが講演開始間近になって判明。仕方なく上からの投光方式の器材で試してみたが、所詮は投影方式が異なるので画像どころか文字さえも満足に読めない始末。
そしてそのまま講演に突入。私の本日の講演は、そのOHPだけが頼りだけだっただけに、最初からスクリーンに映し出されたものは、何が何だか形さえ満足に判別できないような酷い画像状態。勿論、説明用の文字もほとんど読めない状態。ここで、私の頭の中は「真っ白」になる。OHPを使用しての講演が全く出来ないのがはっきりしてしまったからである。予定では、OHPフィルムを使用しての「日光型庚申塔」等の講演だったが、スクリーンに映し出されたものは、それを元に話が出来ない状態なのである。その後の講演内容は、自分でも全く整理がつかないような内容となってしまった。予定では、選りすぐった美しい日光の庚申塔画像をお見せするつもりだったのに…。また、日光庚申塔の様々な特徴についてもその初発庚申塔から順を追って説明するつもりだったが、画像も駄目!文字も駄目!となっては、どうにもならない。加えて、黒板の小さいこと。少し書いただけで黒板面は一杯となり、継続しての文字が書けない有様。万事窮すである。あとはやけのやんぱち、自分でもまとまりの着かない話しに終始して、何とか持ち時間を過ごすことだけに精一杯であった。
帰りの電車で、「私は何のために今日の講演を引き受けたのだろう」、という思いで悔しさが沸々と湧いてくる。聴衆の皆様も、余りにもの酷い講演内容に驚かれただろうと思うと、それもまた、悔しさに倍加されてくる。
嗚呼、やはり最後まで講演出席を断るべきだった!。それにしても悔しい。その繰り返しで自宅に到着し、家内にいち早く見抜かれた落ち込みようだったが、既に終わってしまったものは仕方がない。ここに、その顛末を記して忘れようと思っている。もし当日、私の講演を聴講下さいました方がいましたら、ここに深くお詫びし、その間の事情を斟酌下さいましてご容赦下さい。
主催者側と私とのOHPについての認識の違いがあり、講演会場に着いてから打ち合わせの段で、主催者側は私がOHCで資料説明となっていたので、顔には出さないが驚くばかりであった。事前に、今回はアナログのOHPを使っての講演になるので器材の方の確認をしたところ、「大丈夫です。OPH器材を用意しています」とのことだっただけに、安心しきっていた私が悪いのか。一枚単価150円で約70枚ほどを作成したというのに、透過方式のOHP器材がなく、これが使えないことが講演開始間近になって判明。仕方なく上からの投光方式の器材で試してみたが、所詮は投影方式が異なるので画像どころか文字さえも満足に読めない始末。
そしてそのまま講演に突入。私の本日の講演は、そのOHPだけが頼りだけだっただけに、最初からスクリーンに映し出されたものは、何が何だか形さえ満足に判別できないような酷い画像状態。勿論、説明用の文字もほとんど読めない状態。ここで、私の頭の中は「真っ白」になる。OHPを使用しての講演が全く出来ないのがはっきりしてしまったからである。予定では、OHPフィルムを使用しての「日光型庚申塔」等の講演だったが、スクリーンに映し出されたものは、それを元に話が出来ない状態なのである。その後の講演内容は、自分でも全く整理がつかないような内容となってしまった。予定では、選りすぐった美しい日光の庚申塔画像をお見せするつもりだったのに…。また、日光庚申塔の様々な特徴についてもその初発庚申塔から順を追って説明するつもりだったが、画像も駄目!文字も駄目!となっては、どうにもならない。加えて、黒板の小さいこと。少し書いただけで黒板面は一杯となり、継続しての文字が書けない有様。万事窮すである。あとはやけのやんぱち、自分でもまとまりの着かない話しに終始して、何とか持ち時間を過ごすことだけに精一杯であった。
帰りの電車で、「私は何のために今日の講演を引き受けたのだろう」、という思いで悔しさが沸々と湧いてくる。聴衆の皆様も、余りにもの酷い講演内容に驚かれただろうと思うと、それもまた、悔しさに倍加されてくる。
嗚呼、やはり最後まで講演出席を断るべきだった!。それにしても悔しい。その繰り返しで自宅に到着し、家内にいち早く見抜かれた落ち込みようだったが、既に終わってしまったものは仕方がない。ここに、その顛末を記して忘れようと思っている。もし当日、私の講演を聴講下さいました方がいましたら、ここに深くお詫びし、その間の事情を斟酌下さいましてご容赦下さい。