2008年8月17日も栃木県上三川町へ石仏巡りに出かけましたが、現地へ着くやいなや雨が降り出しました。仕方なく、路傍の石仏巡りは止めて多功地区の曹洞宗見性寺へ行きました。挨拶に出られたご住職さんが本堂内に案内してくださり、「私はこれから用事で出かけますからあとはご自由にご覧になるなり写真を撮るなり必要なら拓本も取ってく下さい」と言う。さらに、住職さんが「曹洞宗なのに可笑しいですよね」と笑っていた、本尊裏手に祀ってある弘法大師の石造を写真に撮ったり、不動明王像が祀ってあるのを写真に撮ってから、墓地内にある十九夜塔や念佛塔を調査する。勿論、雨が降っていたのだが面倒なので傘をささずに行った野外の石仏調査では、ずぶ濡れになってしまいました。※終わったあとで、それら真言に関する像容塔は、近くにあった観音堂が廃止になり、そこにあったものを引き取ったからと判明する。
見性寺さんの駐車場で、取りあえずは雨の様子を見ることにしてコーヒーを飲みながら一休みするも、小雨にはなるが止まない。「仕方がない、次へ行こう」と、近くの天満宮を訪ねる。今度はしっかりと傘をさしての石仏調査とする。傘をさしての石仏調査など、本当に暫くぶりだが、そのかわり「暑くなくて良い」と、強がりを言いつつ境内にある庚申塔二基や十九夜塔を調査。それらの調査が終える頃に、何とか小雨も止んできたのでその隣にある西念寺さんを訪問。境内に、大きな宝篋印塔を確認。取りあえず、庫裡に出向いて住職さんに許可を頂いてから読み出したが、久しぶりの5百文字はある石文に本気で読み出す。しかし、三面目の途中から願文となり解読も不確かとなったので手拓することにする。雨が止み、風もなく暑くもなく、絶好の手拓日和。ルンルン気分で手拓も完了して意気揚々と西念寺さんを後にする。
ここで12時。急いで、先月に手拓した大山地区浄光寺さんの板碑資料を届けることにして向かう。応対に出られた住職さんが喜んでくれた以上に、今回の昼食場所は、その近くの五所神社と決めていたので、早速境内に乗り込んで昼食時間とする。この五所神社の青面金剛等の庚申塔は1990年代に調査済みだったが、写真が未撮影だったので、その写真撮影も目的としていた。そしてのんびり、今年の夏で最も涼しい石仏巡りになったと喜んでいたのもつかの間。昼食を終えて一休みしていると、突然に強い雨が降り出してくる。しかも今度の雨は空全体に広がっているので止みそうもない。念のため自宅に電話すると、宇都宮も朝と違って強い雨が降り出していると言う。
ここで、残念ながら本日の石仏巡りは断念し、まだ20数基しか調べていないが潔く諦めて帰宅する。従って、今回はHPの方へ掲載するような写真はありません。それでも成果としては、上三川町で初めて本格的な寶篋印陀羅尼經塔に出会えたので満足である。
見性寺さんの駐車場で、取りあえずは雨の様子を見ることにしてコーヒーを飲みながら一休みするも、小雨にはなるが止まない。「仕方がない、次へ行こう」と、近くの天満宮を訪ねる。今度はしっかりと傘をさしての石仏調査とする。傘をさしての石仏調査など、本当に暫くぶりだが、そのかわり「暑くなくて良い」と、強がりを言いつつ境内にある庚申塔二基や十九夜塔を調査。それらの調査が終える頃に、何とか小雨も止んできたのでその隣にある西念寺さんを訪問。境内に、大きな宝篋印塔を確認。取りあえず、庫裡に出向いて住職さんに許可を頂いてから読み出したが、久しぶりの5百文字はある石文に本気で読み出す。しかし、三面目の途中から願文となり解読も不確かとなったので手拓することにする。雨が止み、風もなく暑くもなく、絶好の手拓日和。ルンルン気分で手拓も完了して意気揚々と西念寺さんを後にする。
ここで12時。急いで、先月に手拓した大山地区浄光寺さんの板碑資料を届けることにして向かう。応対に出られた住職さんが喜んでくれた以上に、今回の昼食場所は、その近くの五所神社と決めていたので、早速境内に乗り込んで昼食時間とする。この五所神社の青面金剛等の庚申塔は1990年代に調査済みだったが、写真が未撮影だったので、その写真撮影も目的としていた。そしてのんびり、今年の夏で最も涼しい石仏巡りになったと喜んでいたのもつかの間。昼食を終えて一休みしていると、突然に強い雨が降り出してくる。しかも今度の雨は空全体に広がっているので止みそうもない。念のため自宅に電話すると、宇都宮も朝と違って強い雨が降り出していると言う。
ここで、残念ながら本日の石仏巡りは断念し、まだ20数基しか調べていないが潔く諦めて帰宅する。従って、今回はHPの方へ掲載するような写真はありません。それでも成果としては、上三川町で初めて本格的な寶篋印陀羅尼經塔に出会えたので満足である。