2008年8月10日、午前中は暫くぶりにおとなしく家にいたが、午後になるとどうにも落ち着きが無くなり、いつしか車に乗り込んでいた。向かう先は、何度探しても見つからない鹿沼市の田村氏教示の、宇都宮市長岡町高お神社(自宅から車で僅か15分の距離)にあるという、昭和五十五年庚申塔探しに再チャレンジである。特に今回は、現場の探索は広大な裏山を含めて既に探索は終わっていたので、地区の農家を中心に聞き込み調査である。しかし、どこへ行っても同じ言葉で「この周辺には庚申塔はない」という。そしてついに、「それほどなら一緒に行って探してみよう」となったが、やはり無いものは見つからない。それでも、栃木県内の石仏はほとんどの地区の悉皆調査が終わっていると豪語していた田村氏のことだから、私や地元の方でも知らない庚申塔があるのかも知れないと、最後の農家に飛び込むと「このでは、昔から庚申講は行われていないので、庚申塔などあるわけがない」と、断定されてしまう。確かに「火のないところに煙は立たぬ」ではないが、庚申講が無い所に庚申塔があるわけが無いと、ついに諦める。
そして続けて言うには「高お神社にあるというなら、隣町の岩本町の高お神社のことではないか。あそこになら庚申塔はある」という。その岩本町の高お神社にある昭和五十五年庚申塔は既に調査済み。そこで、ハッと気づく。田村氏は、本来なら岩本町とすべきところを隣の長岡町に町名を間違えて教えてくれたのだろう(この間違いは、田村氏独特の所在地ご教示、いや嫌がらせ?方法で、それは意識的にしているとしか思えない地名違いをあえて教えてくれる苦い経験をこれまでに何度もしていたのを思い出した)と推測する。
嗚呼、これでまた栃木県の昭和五十五年庚申塔の数が一つ減ってしまった。同様に、田村氏教示の昭和五十五年庚申塔で実見されていないものが3基ある。その中の1基は、特にこれまで見つけられずにいるもの。早急に、探し出してその存在の有無を確かめなければならないことを痛感する。
それでも、こうして田村氏ご教示の幻の庚申塔探しをすることは、ある一面で良いこともある。何しろその地区を徹底的に聞き込み調査して石造物の在処を確認できるので、今では地元の人でさえ足を踏み込まぬ山中、とくに手入れされていない酷い薮の中に置いてある碑塔を探し出せること。今回も、「もう誰も何十年も行かない薮山の中に石塔が転がっている訳だ」との情報だけを頼りに分け入り、約1時間探して山中から十九夜塔を1基探し出せたことなど、或いは田村氏の嫌がらせに近い庚申塔所在ご教示は、「自分で苦労して探しなさい」という、それこそ石仏調査の原点を無言で教えてくれているのかも知れぬと、苦笑する。
こうして、午後から出かけた足元である宇都宮市の庚申塔ただ1基だけの探索だったが、結果的には普段の石仏巡りでは見つけられぬ「十九夜塔」を1基確認出来たことで、顔中いや身体中汗と蜘蛛の巣だらけにしながらも、満足して帰宅する。
そして続けて言うには「高お神社にあるというなら、隣町の岩本町の高お神社のことではないか。あそこになら庚申塔はある」という。その岩本町の高お神社にある昭和五十五年庚申塔は既に調査済み。そこで、ハッと気づく。田村氏は、本来なら岩本町とすべきところを隣の長岡町に町名を間違えて教えてくれたのだろう(この間違いは、田村氏独特の所在地ご教示、いや嫌がらせ?方法で、それは意識的にしているとしか思えない地名違いをあえて教えてくれる苦い経験をこれまでに何度もしていたのを思い出した)と推測する。
嗚呼、これでまた栃木県の昭和五十五年庚申塔の数が一つ減ってしまった。同様に、田村氏教示の昭和五十五年庚申塔で実見されていないものが3基ある。その中の1基は、特にこれまで見つけられずにいるもの。早急に、探し出してその存在の有無を確かめなければならないことを痛感する。
それでも、こうして田村氏ご教示の幻の庚申塔探しをすることは、ある一面で良いこともある。何しろその地区を徹底的に聞き込み調査して石造物の在処を確認できるので、今では地元の人でさえ足を踏み込まぬ山中、とくに手入れされていない酷い薮の中に置いてある碑塔を探し出せること。今回も、「もう誰も何十年も行かない薮山の中に石塔が転がっている訳だ」との情報だけを頼りに分け入り、約1時間探して山中から十九夜塔を1基探し出せたことなど、或いは田村氏の嫌がらせに近い庚申塔所在ご教示は、「自分で苦労して探しなさい」という、それこそ石仏調査の原点を無言で教えてくれているのかも知れぬと、苦笑する。
こうして、午後から出かけた足元である宇都宮市の庚申塔ただ1基だけの探索だったが、結果的には普段の石仏巡りでは見つけられぬ「十九夜塔」を1基確認出来たことで、顔中いや身体中汗と蜘蛛の巣だらけにしながらも、満足して帰宅する。