午前9時半に、岩舟町の岩舟地蔵(高勝寺)さんで佐野市の高橋氏と集合。しかし、それまでには時間があるので、大平町西山田の片岡地区山の中にある不動院を一人で訪ねて石仏調査を行う。高橋氏を出し抜いての石仏調査のためか、やけにヤブ蚊が多く感じる。特に、腕を何カ所も喰われてしまう。その最大の目的は、当地にあるどう見ても江戸前期と思われる庚申塔の精査にあったが、やはり岩舟石で造られているので文字一つ読めぬままで終わる。その代わり、ここで玄奘三蔵法師訳の「十一面神咒心經」に見える「南無頂上佛面除疫病」「南無最上佛面願満足」の偈頌塔に出会う。もちろんこれは、そうそうお目にかかれる偈頌ではなく、当然ながら栃木県では初めてである。
さて、丁度9時半に高勝寺さんへ着くと、当然ながら高橋氏の車が置いてある、が高橋氏の姿はなし。そして境内を掃除していた住職さんが、いち早く私を認めて階段を下りてきてくれて挨拶してくれる。今日の目的は、この高勝寺の住職さんが、この2年間(昨年は訪問を失礼してしまっていたので)の間に、広大な境内で探してくれていた板碑調査にある。そして毎回の事ながら、高橋氏にはその助力を願ってのことである。その板碑調査の前に、住職さんを交えて雑談となり、その中で現在(10月4日〜11月9日迄)、鳥取県立博物館において「はじまりの物語」企画展を開催しているが、そこに高勝寺さん所蔵の絵巻物を出典しているという。もし、これをご覧で興味のある方はぜひお出かけ下さい。高勝寺さんの岩舟地蔵絵巻が見られますので、岩船地蔵に興味ある方には参考になると思います。その一部が、立派な報告書の中に掲載されています。私達は、行かずしてその報告書を住職様から頂いてしまう。感謝感謝である。
さて、問題の板碑であるが、今回出土したのは破片ばかりである。水道を借りて、一つずつ水洗いして乾燥させてから、二人で調査するに相応しい破片を選び出すことにする。しかし、そのどれもが種子の断片やら紀年銘の断片で、どうにもならない。結局、二人して導き出した答えが、今回は全て調査をパスすることにしていつもの保管場所である縁の下へ納める。そして住職さんの所へ行き、結果報告をしながら又しても雑談。その中に、正面階段脇にある木造小屋の台石に、かなりの数の板碑が使用されていることを教えられる。この1〜2年という訳にはいかないだろうが、10年以内には間違いなく撤去される小屋であるので、その時が最大の楽しみとして高勝寺さんを辞する。
時間が有り余っているので、それからは高橋氏と一緒に大平町の石仏調査とする。まずは、何としても延寶の文字の次の年数が読めない庚申塔調査。二人して水洗いと手拓を併用して精読に掛かるが、難しい。それでも最後には「延寶五丁巳天・九月吉日」と確定する。それを終えてから、今回の大平町調査で私が足を踏み入れていない下皆川地区へ入る。勿論最大の目的は、宝篋印陀羅尼経n刻まれたもので、それは安養院跡地にあるとの高橋氏の案内で最初に訪れる。見れば、なかなかの出来栄えである。文字数が多いので、まずは境内で昼食時間とする。私流のグダラグダラした食後時間を過ごしてから、ようやく二人で銘文の手書き。何しろ、1基に二人して向かって書き写すのだから作業は早い。その後は、周囲の碑塔を調査したり本日の最後は野墓地同然の共同墓地へ行って終わりとなる。
暫くぶりでの、高橋氏との石仏巡り。いつのも独りでの調査とはまた違った味の楽しい時間を共有することが出来ました。
※鳥取県立博物館のURL http://site5.z-tic.or.jp/~museum/
さて、丁度9時半に高勝寺さんへ着くと、当然ながら高橋氏の車が置いてある、が高橋氏の姿はなし。そして境内を掃除していた住職さんが、いち早く私を認めて階段を下りてきてくれて挨拶してくれる。今日の目的は、この高勝寺の住職さんが、この2年間(昨年は訪問を失礼してしまっていたので)の間に、広大な境内で探してくれていた板碑調査にある。そして毎回の事ながら、高橋氏にはその助力を願ってのことである。その板碑調査の前に、住職さんを交えて雑談となり、その中で現在(10月4日〜11月9日迄)、鳥取県立博物館において「はじまりの物語」企画展を開催しているが、そこに高勝寺さん所蔵の絵巻物を出典しているという。もし、これをご覧で興味のある方はぜひお出かけ下さい。高勝寺さんの岩舟地蔵絵巻が見られますので、岩船地蔵に興味ある方には参考になると思います。その一部が、立派な報告書の中に掲載されています。私達は、行かずしてその報告書を住職様から頂いてしまう。感謝感謝である。
さて、問題の板碑であるが、今回出土したのは破片ばかりである。水道を借りて、一つずつ水洗いして乾燥させてから、二人で調査するに相応しい破片を選び出すことにする。しかし、そのどれもが種子の断片やら紀年銘の断片で、どうにもならない。結局、二人して導き出した答えが、今回は全て調査をパスすることにしていつもの保管場所である縁の下へ納める。そして住職さんの所へ行き、結果報告をしながら又しても雑談。その中に、正面階段脇にある木造小屋の台石に、かなりの数の板碑が使用されていることを教えられる。この1〜2年という訳にはいかないだろうが、10年以内には間違いなく撤去される小屋であるので、その時が最大の楽しみとして高勝寺さんを辞する。
時間が有り余っているので、それからは高橋氏と一緒に大平町の石仏調査とする。まずは、何としても延寶の文字の次の年数が読めない庚申塔調査。二人して水洗いと手拓を併用して精読に掛かるが、難しい。それでも最後には「延寶五丁巳天・九月吉日」と確定する。それを終えてから、今回の大平町調査で私が足を踏み入れていない下皆川地区へ入る。勿論最大の目的は、宝篋印陀羅尼経n刻まれたもので、それは安養院跡地にあるとの高橋氏の案内で最初に訪れる。見れば、なかなかの出来栄えである。文字数が多いので、まずは境内で昼食時間とする。私流のグダラグダラした食後時間を過ごしてから、ようやく二人で銘文の手書き。何しろ、1基に二人して向かって書き写すのだから作業は早い。その後は、周囲の碑塔を調査したり本日の最後は野墓地同然の共同墓地へ行って終わりとなる。
暫くぶりでの、高橋氏との石仏巡り。いつのも独りでの調査とはまた違った味の楽しい時間を共有することが出来ました。
※鳥取県立博物館のURL http://site5.z-tic.or.jp/~museum/