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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2009年8月9日も栃木県旧今市市の石仏巡りでした

2009年08月10日 | Weblog

 家を出てから直ぐに雨となる。それでも、家を出てしまったからには引き返すのはもったいないと、一路今市市内へと車を走らせる。本来なら、最初に追分地蔵尊へ行って灯篭の手拓をするつもりだったが、雨では手拓は無理としてついでに再調査する予定だった市街地を避け、瀬尾地区へ向かう。そして7月に中途半端に終わっていた高雄神社へ立ち寄り、改めての再調査を淡々と、雨の中を傘もささずに終了。
 さて、これからどうしたものかと思案しても所詮は雨が降っていては思うような調査は望めない。仕方なく、そこも中途半端な調査に終わっていた小百地区へ入り、滑川橋の袂にある十九夜塔や近くの家畜塔を再調査し、早くも今日はここで小休止。すでにここまででズボンと言わず身体までもびしょ濡れである。車の中には、長靴も傘もあるというのに、億劫が先に立って使用しなかった私が悪いのだが、バインダーに挟んだ調査用紙までもびしょ濡れには困ってしまう。
 そんな、車の中で困っていてもらちが明かないので、調査洩れと今市市では数の少ない宝篋印陀羅尼経塔がありながら、これまで銘文完読を放置していた高畑地区の十一面観音堂へ行くことにする。そこにはさらに、調査洩れの十九夜塔があるらしいので…。
 観音堂へ着いてみると、の方達が集まって観音堂の調査をしているようだ。話の中へ割り込んで、宝篋印塔の調査了解と私が見落とした十九夜塔の所在を尋ねると、十九夜塔を一緒に探してくれたが、どう探しても見つからない。どうやらこれは場所違いだったことにして処理する。
 その後、の方達と石仏について四方山話をしていると、この近くに「不動岩」という洞窟があって、そこには石仏が祀られているという話をしてくれる。早速、「その場所へ行きたいので場所を詳しく教えて!」となるのはいつもの私のパターン。それに対し、そこは私達の案内ないしでは行けるような場所ではない、と言う。仕方なく諦めかけていると、「そんなに行きたければ案内してあげる」となり、丁度居合わせた市生涯学習課にお勤めの伴場氏を誘って出発する。そこは、滑川右岸沿いの崖にある洞窟。ガラガラの岩石が堆積した急斜面を登って辿り着けば、確かにそこはかつて山岳修験者が籠もり、修行した場所となっていて、その本尊である不動明王像(安永七戌天九月吉日紀年銘)が祀られていた。また、その他の金剛界大日如来坐像などもあり、思わぬ発端から初めて訪れることが出来たことに感謝する。下山してから頂いた、田舎饅頭の美味しかったこと。本当にお世話になりました。
 また、観音堂の北方の森の中には「諏訪神社」がることも知った。この神社は、栃木県の神社所在明細に掲載されていながら、その場所がなんとしても判らなかった場所。聞けば、鳥居も二基あり狛犬もいるとのこと。こうなれば益々行きたくなり、今度こそ長靴に履き替えて手には傘を持ち、教えられた田圃の畦道を通って森の中を目指して歩いていく。ところが、途中から田の畦道と違って草の刈っていない神社への道となり、その雑草の背丈は腰まである状態。これでは長靴を履いていても何の役にも立たず、仕方なしに傘を草に押し当てながら進んで神社入口階段に到着。最初に迎えてくれた鳥居は、私の期待を裏切らない「寳永五戊子天二月吉日」とある明神鳥居。こんな山の中に、寳永年間の鳥居が建立されていた事に驚く。そして歩を進めれば、もう一つの鳥居前に「安政三辰年五月吉日」銘のいかにも江戸後期らしさの特徴を備えた立派な狛犬が鎮座していた。雨のそぼ降る深閑とした神社境内で、一人狛犬と向かい合っていると、やはり江戸時代の狛犬にはその後の岡崎型と称される狛犬とはひと味もふた味も違った趣が余計に感じられた。ただ、重いので三脚を置いてきたことが悔やまれ、その後の写真撮影に四苦八苦する羽目になったが…。
 そんなこんなで、神社訪問を終えてからの昼食は、今回も先週に引き続いて午後一時をとうに過ぎてのことだった。このころから、雨も止みだしてくる。こうなると早速、午後の部の石仏巡りとして、そこも途中までの石仏調査に終わっていた瀬尾の天台宗明静寺へ向かう。ここでも、最初に確認したのは境内にある宝篋印陀羅尼経塔。案の定、偈文を読んでみると午前中の十一面観音堂にあった宝篋印塔と兄弟塔であることが判ったので、その銘文筆記はあとにし、まずはズラリと並んでいる十九夜塔等の石仏を洩れなく再調査する。そして住職御内儀と立ち話をしていると、ここから直ぐ近くにも十九夜さんが建立されている事を教えてもらい、早速それらを記録する。
 それにしても、改めて自分の姿を振り返れば全身泥だらけ。加えて身体全体から汗くささが漂ってくる。まだ四時にならないまでも、このまま今日の石仏巡りを終了して帰宅しようかとも考えたが、何となく時間がもったいなくなり市街地へ入り、いつのまにか無料駐車場へ車を乗り入れていた。そして前回訪問した玄樹院墓地へ行き、祐天名号塔の銘文と弘治三年銘と思われる地蔵像背面銘文の再確認をする。それでもまだ今市市から去りがたく、ついでだからと足を伸ばし、同じく先週訪れた如来寺さんへ行き、鍵を開けてもらい前回見逃した幼稚園施設内にある十九夜塔を調べさせてもらう。
 これで、今回の石仏巡りは追分地蔵尊の手拓は出来なかったものの良しと、今年の夏らしくない湿気を十二分に含んだ空気を車窓から取り入れながら、ルンルン気分で帰宅する。
※写真は、高畑地区不動岩の洞窟に祀られていた大日如来像。もちろん、明るいところへご出座願って撮影しました。
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