石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2011年10月9日の石仏巡り

2011年10月11日 | Weblog

天候に恵まれた9日、JR宇都宮駅にて東京からの犬飼氏と多田氏を9:30に出迎える。そしていつものように駅弁当を手にして向かうのは、宇都宮市徳次郎町。本日最初の石仏は、祠の中に納まっている二体の雷神像容。加えて、二童子付きの不動明王像に面白い文字塔など。次は、今回始めての山の中へ入る庚申塔調査。そこにある「甲庚申」という文字の意味を多田氏にご教示願うはずだったが、庚申塔でこの表記は初めて見たということで、回答は持ち越しとなってしまったが、そのところにある面白い青面金剛の像容には取り分けて多田氏が喜ぶ。私としても、この青面金剛の持物には必ず多田氏は飛びつくだろうと自信を持っていただけに、してやったりである。山を降りて、その後は昨年「南無阿弥陀仏」の馬頭観音塔を見ていたので、ついでに今回は「南無妙法蓮華経」と題目が刻まれた馬頭観音を見たいなら案内するというと、そんな面白いのがあるなら見せてとなって、そこへ行き、これで二つが揃った馬頭観音塔の実見となる。その後も、栃木県で最も知られた金精丸彫りがあるから寄り道うする、となって道路が崩壊で通行止めとなっているゲートを開けて進入し、途中からは歩いてこれも実見。
 その後は、本日の犬飼様所望の日光へ向かう。十王像の背中に、「融通念佛」の文字があるので、今回はそれを三人で精査するためである。しかし、日光へ向かう国道は観光車で大渋滞。もう少し時間を遅らせれば空くだろうと、それからはあちこちの山歩きとなる。ここへ掲載した写真もその一つで、暫くぶりに行った山道案内は、自分でも迷うほど。それでも何とか目的地へつき、何とか面目を保つことが出来た。画像は、滅多なことでは見られない「三面六臂の三寶荒神」である。光背に文字の形跡あるも、紀年銘を含めて全て判読不可能。それでも、江戸前期の作であることは容易に推測される。その山からの帰り道は、ムカゴを摘んだりマタタビの実を収穫したりと、まるで何をしに来たのかわからない有様。
 再び国道へ出てみたが、相変わらずの渋滞で少しも先へ進まない。そこでまた途中寄り道。今度は、石屋町の愛宕山へ登ろうとなってご老体の犬飼様にとっては少なからず身体に堪える本日三度目の山登りとなる。
 そうそう、そんな次第で昼食を食べたのは午後も二時近くになっていた。それでも何とか十王像の銘文調査に入ることが出来、そこに「融通念佛」の文字と貞享年間の紀年銘を見て三人とも大満足。何しろこの十王の背中に融通念佛の文字があるのを確認したのは、私たちが初めてなのだから。
まあ、そんなこんなで今回の石仏巡りは数こそ少ないが秋に相応しく実りの多い一日だった。もちろん帰路は、車の中で相変わらず冗談を言い合いながら宇都宮まで戻り、午後6時近くに駅で来年の再開を約して別れる。
※それにしても残念なのは、昨年と違って参加者が一名少なかったこと。私の偏屈性格をご存知での「顎鬚」を生やしだしたことなので仕方がないとはいえ、それほど還暦を過ぎてから髭にこだわる理由は難なのだろうと、一人思う。目立ちたいのか、それとも他人に注目してもらいたいのか、いずれにしても恬淡として生きたい私には理解が出来ない。

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