嘉永三年に建立された、「正覺院法縁無塵上座」とある先祖追善碑だが、それは江戸幕府最後の起藩となった、下野国高徳藩の城主である戸田忠至が自分の先祖を祭るために建立したものである。そしてそれを撰文&揮毫したのが大橋順、つまり江戸城坂下門外変の首謀者である大橋訥庵である。
当然ながら、この石碑は過去に調査済みだが、もう一度拓本が欲しくて訪ねた訳である。一日で、これ一基ということもあり、石柱4面をのんびり手拓することが出来た。
それにしても、流石は訥庵先生の撰文である。銘文後半に「慎終追遠民徳帰厚」に関する文章があり、大いに勉強しなければとてもではないが私ごときがその言いたかったことの真意を理解することは無理だろうと思っている。それでも、いや、それだからこそ、四苦八苦しながら時間をかけて自分なりにその内容を読んで楽しみたいと思っている。
来週から、4月。ここの所は、なぜこうなるのか悩ましいことだが、調査させて頂いた個人頌徳石碑の読み下しばかりを求められて困っている。元々、私は自分の楽しみとして自分だ けの銘文読み下しはしているが、それは他に出すような内容ではなく、改めて提出するとなると、文章力不足からまともな内容とならずに困っている。碑文内容 は、しょせんはそれを撰文した人だけにしかその真意は判るはずも無い。まして文章力の無い者では、その内容は読み下す人の数だけ、ひとつとして同じにはならないと思っている。だからこそ、私は碑文清書には最大の注意を払っているが、その読み下しは原則として「学が無く出来ないです」とお断りしている。それなのに、それなのに。気が つけば請われるままに冷や汗物の読み下しを提出している。嗚呼、いやだイヤダと云いながら。そして密かに、次回からは絶対に断ろうと思っている。そのための時間浪費を思うと、その時間を使って他に幾らでも進めたいものがあるのだから‥。