石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

宮亀年刻字の2基目(足利市で)を手拓してきました。

2017年06月25日 | Weblog

長年、その所在場所が判らなくて調査出来なかった石碑(足利市発行の石造物調査書に、出鱈目な所在地が記されていたのも大きな原因)を、今回ようやく探し出すことが出来、拓本も採ることが出来ました。それにしても、大体の場所が判れば何のことはない、簡単な所に設置されていました。場所地の状態が判らないので用心しすぎ、車を離れた駐車場に止めて歩いて行ったので、現地に着くもカメラ三脚は無い。脚立は無い、水は多くは持参して無いのないない尽くしだったので、写真もご覧のようにはっきりと写っていない。又、上部を手拓するにしても三脚が無いので背伸びしての水張り、そのために位置がずれてしまい、上部がうまく繋がるか心配でしたが何とかぎりぎりセーフでした。また、場所が切通しの一番高い所にあるので風の通り道となっていて、水張りに苦労したが何とか半切用紙5枚半を使って手拓することが出来ました。尤も、手拓に要した時間は碑面の水洗いを含めてタップリと5時間掛かりましたが‥(笑)。そのために今回は現地に8時に着いたのだが、昼食を採ったのは午後も1時を過ぎてしまいました。
いずれにしても、駐車場へ戻って昼食を取り30分ばかりの休養。その後は、近くの福巖寺さんへ行き、境内にある日清戦争で亡くなった方の石碑調査に伺う。住職さんから快諾を得て、早速に掃除から初めて手拓開始。小ぶりな石碑ながら、全紙でも左右が少しばかり足りない幅なので、相変わらずこれも半切用紙で手拓することにして2枚半。手拓が終われば午後も4時を少し過ぎていた。住職さんと少しばかり雑談をしてから足利市を離れる。そして何と何と! 自宅に着いてからシャワーを浴び、カメラを確認してみれば肝心な写真撮影を忘れてしまったことに気づく。今更悔やんでも始まらないので、どうせ残りの石碑を調査しなければならないので、その時に撮影することにして、夕食後は早速に、銘文の第一回清書を拓本を見ながら碑文用紙に一字ずつ埋めていけば、瞬く間に就寝時間となってしまう。
これを書き込んでいる今日は、朝から畑仕事に精を出す。それは、夏野菜の二度目の苗植えやら作物の管理やらと大汗をかきながら働いて、半日が過ぎてしまった。昨日に続いての重労働で、体力は限界まで達したので昼食後はゆっくりと昼寝して体力回復に努めなければと思っている。嗚呼、疲れました。つくづくと、歳を取ったことを実感です。

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