夫あらゆる分野での石造物調査過程で、長い年月を振り返ってみると「拓本を採らざるを得ない」場面に遭遇すること数えきれず。その第一が、石面に穿たれた文字が読めない物が多く、それを何とかして読んでみたいという理由が出発点である。それからいつしか、自分の身の丈も考えず「後世にどうしても残しておきたい石碑」調査に入り、何とか文字が読める状態である今のうちにそれらの拓本も欲しくなって現在に至っている。そして今は、昨年から始めた栃木県佐野市閑馬町の千躰庚申山の庚申塔調査に入り、今はその最終段階で主銘文の他に文字(主に奉納者や紀年銘等)がある全庚申塔の拓本採りに熱中している。それもこれも、最終的に調査を終えた庚申塔その校正の正しさを担保するための拓本採りです。そして思い返してみると、その一か所での拓本枚数も90基余となっているにも関わらず、その報告をこのブログでは殆ど掲載していなかった。
そこで思い返し、今回から暫くはその千躰庚申山に於ける庚申塔手拓(手拓=拓本をとること)の方法やその時々に思い浮かんだ拓本採りの楽しさや難しさ、そしてその実際の私なりの採拓方法や目的等を、画像を中心にしてご紹介してみようと思いました。
今回がその初回の01として、この先どこまで続くかは分かりませんが(多分、当地の庚申塔手拓が終了する5月中頃まででしょう)続けられたらと思っています。
さて、その第一回は、その手拓の目的は「現状姿の痛みが激しく、文字剥離も進んでいるので、現時点での状態をカラー写真をお見せしながら、その拓本を掲載しました。従って、拓本が上手い下手の領域ではなく「もしも百年2百年後の誰かさんが、当地のこの庚申塔を調査しようと思ったときに、その今時点での在り様が判る拓本を残すために手拓しました。
この庚申塔は、四角柱ですから本来はその台座があったはずですが、今はその周辺に台座らしきものは見つかりません。碑表には石苔が生え、表面剥離は全体に及んでいます。一年ごとにその状態は悪くなる歩数を今以上に早く進むことになるでしょう。そんな時、何時の世かに今回の手拓した拓本が出てきたら、その痛みの進捗状態が理解できる筈です。そしてそれを見つけた人は、必ずや大喜びすることでしょう。両側面、特に右側面は幅が欠け始めてとても細くなってしまいました。幸いにも、碑表よりも石面が綺麗なので剥がれなければ文字はけっこう長持ちするだろうと思いつつ、とにかく丁寧に手拓しました。なおそのサイズは、高さが50.0×幅24.5×奥行き12.0㎝です。手拓日;2021年3月27日。