今回は、台座に乗っている四角柱本体と、その台座と左側面を一枚の画仙紙で手拓する方法のご紹介です。その良いところは、該当拓本を保存するのに1枚だけで済むので、ばらばらにならぬことです。
私の今回の場合、最初に本体の四角柱を手拓します。但し、余分な余白の多い画仙紙を水張するわけですから、その採択しない所の画仙紙の扱いに気を付けなければなりません。兎に角、余白部分を破らぬよう、また汚さぬように様々な方法で処理します。助手がいる場合は「おい、その余白部部分の画仙紙を持っていろ!」と言えますが、私のように一人で採択する者にとってはそこでひと工夫もふた工夫もして処理します。この時に、意外と便利なのが洗濯バサミです。クルクルと小さく丸めてはパチンと止められるからです。
そうして最初に碑表を撮り終えたら、今度は左側面の手拓となります。この場合、碑表を包むようにして左側の画仙紙を水張する方もいますが、私はその境を意識的に白く空けます。そうしないと、本体の碑表と左側面の境が無くなってしまい、後で困るからです。そうそう、この時の注意としては、必ずその前に手拓した(ここでは碑表)箇所がある程度乾くまで我慢して待ちます。そうしないで次の作業へ進むと必ずと言ってよいほど、最初に手拓した碑面が破けたりします。
最後に、台座の手拓へと進むのですが、これも乾かしてから触っても破けなるまで辛抱強く待ってからの作業です。そして二か所を墨入れした画仙紙を広げて、本体四角柱の台座に当てて採択する場所を確定します。この場合は、側面の場合と違って本体の最下部と接するように水張するのがコツです。見た目に、上部が台座に乗っているように見せるためです。勿論、どうやっても少しは本体との間が離れてしまうのは仕方がありません。ばらばらにして手拓するなら別ですが、これは体力が必要ですし、本体を傷つけやすいのでなるべくしないでください。
こうして拓本を採ったのが、ここへ掲載した手拓写真です。あとはこの画仙紙の余白に、調査した現地(場所)の住所。調査年月日、そして手拓者の名前を記入しておきます。これはなぜかというと、手拓した拓本は、一度整理してしまいこんでしまうと、自分では滅多に見ることはありません。なにしろ、後世への記録として残すわけですから、手拓者が亡くなってから長い年月が過ぎ、偶然にこうした拓本に興味のある者の目に留まった時に、殆どが初めて開かれるわけです。それを見た人が、その拓本がどこで何を採択した拓本なのかが分かるために記録するわけです。勿論、調査月日を記して置くのも、その拓本が何時採られたものなのか、また誰が手拓したものなのかの情報も、その年代を過ぎてからでは重要な記録となるからです。勿論、最終的な目的は、今回も「今現在の情報を、拓本としてごまかしのきかない方法で後世に残しておくためです。また、自分で調査した内容の確かさを担保するための資料としているのは、当然のことです。これを見せれば、その内容に異議を唱える人は誰も出てきません。