今回は、先週土曜日に拓本採りに行ってきた、相変わらずの千躰庚申山での手拓作業経過を簡単な写真を混ぜて掲載しました。それにしても、先週の朝は寒かった。予定では、8時前から拓本採りに取り掛かるつもりだったが、余りにもの寒さに水張りには寒すぎて朝日の当たるのを待つ羽目になる。その間、無為に過ごす私ではないので、下部が深く埋もれていて、昨年の調査時にも下部の掘り出し迄は出来なかった庚申塔を、手拓のために掘ることにした。兎に角、拓本を採るためには下部を掘り出す以外に方法はない。木の根や山石で地面はとにかく酷い。スコップで少し掘っては、移植スコップで少しずつ出てきた土や石を取り除く。また庚申塔に絡みついている木の根は、ノコギリで綺麗に取り除く。そんな苦労を1時間半もかけて掘り出しに成功したころは、全身汗びっしょりで、朝の寒さなどどこかへ行ってしまった。
そうして掘り出し、水洗いしてタオルで綺麗に拭き、続いて画仙紙を水張して墨を入れた画像が、次の二枚の写真である。そして最後に、自宅へ帰ってから手拓した庚申塔をパソコンに取り込んで最終的な拓本画像としたのが3枚目の写真です。
こんな調子で、以下に数基の庚申塔を掲載しました。御笑覧下さい。所在地は、庚申山山頂から鶉坂を下る北側052番目にある庚申塔です。なお、銘文内容などは、三枚目の拓本画像をご覧になればわかるだろうと、その詳細は掲載しませんでした。面倒くさいので、です(笑い)。
今度の庚申塔は、同じ庚申山の山頂から鶉坂へと下る南側の043番目の庚申塔です。
今度の庚申塔は、同じ庚申山の山頂から鶉坂へと下る南側の066番目の庚申塔です。右側下部が剥離しているので、拓本ではこの部分が採れないことになります。
今度の庚申塔は、同じ庚申山の山頂から鶉坂へと下る南側の067番目の庚申塔です。この庚申塔に至っては、碑面に水張するだけでも大変です。その一つが、写真ではあまり分かりませんが、下部部分が手前にしゃくれているので、素直には画仙紙が張れません。また上部左側は、大きく下に落ちているので、この部分も画仙紙を張ってどうしても拓本を採る場合には、別紙の画仙紙で第二段階の作業となります。今回は、その必要もなかったので素直に採りましたので、その拓影は、ご覧のように実際の庚申塔の姿とは全く別物の庚申塔姿となってしまいました。
今度の庚申塔は、同じ庚申山の山頂から鶉坂へと下る南側の068番目の庚申塔です。最後の締めとして、全ての庚申塔がこんな石に彫られていたら手拓する方としては楽で良いのですが、私的には途中でつまらなくなってしまうことになるでしょう。
次は、最初の調査時から下部が埋没していて掘るのも大変なのでそのまま「下部埋没」として処理していたものですが、今回はその詳細調査ということで拓本を採る必要があり、意を決して掘り出したものです。案の定、その下部の右側には奉納者の名字が「中山」と刻まれていました。本当に、「調査する」事の難しさを実感した一場面でした。
と、いう次第です。
いずれにしても今回は、全部で12基の庚申塔を手拓しました。今回は、最初に紹介した庚申塔以外にももう一基の深く埋もれていた庚申塔の掘り出しもしたので、午前中でたったの2基のみの手拓という有様。加えて体はクタクタ。それでも夕方5時近くまでロクな休憩も取らずに作業を進めたので自宅へ帰りつくなり体力の完全消耗で、電池の切れたラジオのようになり、今日で丸二日が過ぎようとしているのに未だに体力回復とは至っていない有様。嗚呼、やはり年ですね。