石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

前回に見つけた足利市の石碑調査で得た弘化年間のしっかりした刻字碑御紹介

2017年04月04日 | Weblog

これが、上部に「樂衟翁壽塔」とある石碑です。江戸末期とはいえ、この時代の石碑でここまではっきりした刻字は滅多に見られませんので、途中で仕事の都合で別れたY氏を見送ってから一人で手拓しながら、顔は嬉しくて笑いが絶えませんでした。四角柱の正面に、ご覧のように掲載した手拓写真でもはっきりと読み取れるので、その喜びが如何程かわかるでしょう!。
そして帰宅し、足利市で発行されたこの種の手持ち図書を広げましたら、例の「日本一お粗末な石造物調査報告書」と、私が公言してはばからない足利市文化財調査報告書第4集「足利の石造物」91頁に銘文も掲載されていました。が、最初の題名からしてそこには「楽街翁専塔」と、「衟=道」を「街」。「壽=寿」を「専」と、意味の判らない文字があり、もうこれだけで笑いが止まりませんでした。中学生でも読めそうな文字が読めなかったのではなく印刷の時に間違い、校正で見落としたと云うのだろうか?。ここまで出鱈目な調査内容に改めて呆れながら勿論、掲載されている銘文内容は見るまでもありせんでした。それにしても、この報告書については発行されたとき、その出鱈目さをそれぞれ指摘した辛らつな手紙を差し上げたにもかかわらず、未だに一通の礼状どころか、言い訳状もない有様。そしていつの間にか、頒布を希望しても皆の目に触れてはヤバイと考えたのか「頒布中止」になっているとのこと。この、足利市教育委員会文化課の職員の資質からして、このような報告書も当然かなと栃木県に住む愚夫愚婦の一人として足利市全体の役人を見下げているところである。
※少ならぬ厭味な文章とは思いつつ、「曰」の文字さえ全て「日」になっているのは、何をか謂わん。であり、これが足利市の教育委員会が監修して発行した報告書?と、ただ笑うのみである。ここまで云うと、お役人を軽蔑した侮辱罪にあたるのかな~。それともお役人に逆らった反逆罪か?。まあ、今回は茲までとして、そのうちにお偉いお役人様に対して失礼な箇所は削除しようと思っている。折角の足利市での楽しい思い出が、この文章で汚されてしまいそうなので‥

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2 コメント

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馬頭町からの招待状 (山口 秋葉子)
2017-04-04 13:15:48
 瀧澤様 こんにちは。

 昨日は、お疲れさまでした。足腰にだいぶ負担がかかったのではないでしょうか…(笑)。

 私の方は、瀧澤さんの調査にお供させていただき大変勉強になっているのですが…いつも頼りない助手さんで申し訳ないです…(笑)。

 その後、私の方の仕事は10分にも満たなかったのですが、休日の中途半端な時間の呼び出しというのも、これはこれで仕方ないのかな、と諦めています。それにしても夕方、雷雨になったのには驚きました。拓本が掲載されているところを拝見すると、無事調査を終えられたようですね。

 今日は、馬頭町から嬉しいお知らせあり。山頂の石祠系の神社の所在地を示した地図を拝受いたしました。さっそく今週末に訪れたようとワクワクしているところです。

 とり急ぎ、昨日の御礼まで。
 文章、整いませんが失礼します。
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山口様へ (瀧澤龍雄)
2017-04-04 14:11:38
昨日は、大変お世話になりました。お陰さまで、大きく危険な石碑は、始めから拓本を採ることを諦めていましたが、作業手順を心得ました山口様の補助で、驚くほどの速さで物に出来ました。山頂のも、風があったのに無事に採れまして重ね重ね御礼申し上げます。別れた後で、更に大休憩しただけで帰ってしまったかもしれない。と思われるのもいやで、証拠写真を掲載した次第です(笑)。1時間も掛からないで作業を終了してから休み、帰宅途中の鹿沼市に入りましたら雨でした。家に着いたら、雷雨が過ぎ去ったところ、と家内が笑っていました。今後とも、宜しく御指導下さい。本当にありがとうございました。
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