石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2010年10月16日は栃木県南の石仏巡り

2010年10月17日 | Weblog

 間違いなく、秋晴れとなると聞けばおとなしくしておれず、暫くぶりに栃木県最南端の藤岡町(現・栃木市と合併)へ出かけることにする。何しろこの藤岡町の石造物調査はその半分くらいしか終了していないので、その後の調査をしたくていた所なのである。特に今回は、藤岡町の残っている宝篋印陀羅尼経のある宝篋印塔調査を終了させたくて赤麻寺を第一に訪ねるために出かけた。
 しかし、藤岡町へ入ってしまうとあちこちに未調査となっている箇所が沢山あり、加えて天候は申し分無しとなればとりあえずはそれらの箇所巡りでもしようと中心地へ入る。そしていつものようにあちこちと徘徊。面白い碑塔に今回も出会えて大満足。特に、これまで一度も入ったことのない墓地内で寛文四年銘の地蔵像容庚申塔に出会ったのにはビックリ!。この庚申塔の主輪部出現で、この地域の庚申塔初発塔が一気に書き換えられたことになる。帰宅したら、早速中山さんへ電話しなくては。と思う私であった。
 その後もあちこち巡り歩いて、鰐口にも出会う。もちろん佐野市の高橋氏はトウの昔に調査済みと思いつつも、念のために携帯電話で連絡を入れてみると初めて知ったということである。それでは、帰宅してからメールで送ると言うことにして、それ用の写真やら刻文を引き写す。それにしても天気が良い。昼食は渡良瀬遊水地まで足を伸ばし、暫くぶりに広大な景色が広がる中でのんびりした。
 午後も、相変わらず気の向くままにあちこちの碑塔を調査し、そろそろ今日の終わりの仕事として本来の目的地である赤麻寺へ向かう。境内にある石碑を調査し、奥様に挨拶して境内を案内してもらっていると、そこに突然、高橋氏が出現する。そういえば、お昼の電話で、今日の最後は赤麻寺といっていたのを思い出す。だが、まさか高橋氏が突然にその赤麻寺に現れるとは驚きであった。話を聞けば、一度ここへ来たが私がいないので教えた鰐口調査を終えてまた来ているかと戻ってきたとの事。高橋氏の、熱意が伝わるものである。それなら、もう一箇所の鰐口も見に行こうとなり、二人で東原の大日堂へ行き、早速調査。見た目にはとても古いものには見えないので、私も金文を確認しなかったが、高橋氏が賽銭箱の上に登って読んだところ、それは元禄年間のものであることが分かり、二人して顔を見合わせて驚く。これで、本日の成果は新しい鰐口が二口となり、私は私なりに思わぬ大物に出会って大満足の成果を得られた一日だった。そして午後3時過ぎ、それぞれの成果を胸にして少し早いけれども解散として帰宅する。そうそう、掲載した写真は、東原地区大日堂前に並んでいる碑塔達です。写真では分からぬが、ここにある庚申塔下部の三猿の姿がとってもユニークである。どんなかは、似た人だけの特権としましょう。
※次回は、予定だと24日の日曜日に多摩石仏協会有志四名様との栃木県内石仏巡りです。晴れますよう、今から願っています。
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