上原子盈(ウエハラ シエイ)は、今の栃木県小山市間々田町の人で、この人の教えによって江戸末期からの下野南部地方は一大算術の隆盛期を迎えた。その弟子達はまた各地に散らばって算術を広め、全国的にも算術の盛んな地として知られた。そんな弟子の一人に、栃木県栃木市大平町の太平山に遺徳碑が建立されている塚田宗川がいる。その上原子盈碑が龍昌寺さんに有ることを教えてくれたのは、小山市の教育委員会の方だった。しかし、それを訪ねて実際に調査するまでには多くの年月が経ってからで、やっと今になってそれを拓本に採り銘文を清書することが出来たので、ここへ御紹介した。私的には、小山市の石碑として実見したかった最大のものだっただけに、今はホット一安心し、また佐野市田沼町に石碑調査に余裕を持って出かけられることになる。
ここに、その銘文清書も掲載しようと準備だけはしたのだが、こうして手拓画像を最初に掲載したところで、今更改めて私の銘文清書は必要ないほどハッキリ読めるので、それは止めておこう。所々に異体字があるので、或いは読みにくいとお思いになる方もいるかと、一文字だけ説明しておこう。それは3行目の中ほどにある「人」の前の文字で、それは「過」の異体字である。つまり。「過人」である。その他は、御発憤の程を‥。そうそう、この碑文を揮毫したのは、かの小山霞外である。念のため。
ところで田沼町の石碑調査だが、ここの所の調査が進んで残すは10基余りとなった。この調子で行けば、今年の夏までには終了するだろうと思っている。尤も、今頃になって昭和になって建立された石碑を調査すべきかで悩んでいる。一言で言えば、その内容はともかくとして、撰文内容が面白くないからである。それもこれも、漢文に毒されてしまったからかと、苦笑している。
今度の週末は、当地では桜が満開の予定。石碑巡りよりも、近くに出かけて桜鑑賞と雑木林の「山笑う」光景を楽しみたいと思っている。
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