本格的な今年最初の石仏巡りとして、昨年暮れに上三川町の生涯学習課の方から以前に所在場所の問い合わせをお願いしていた石碑の連絡があり、早速今回はそこを目指して出かけた。それが上記に掲載した石碑です。個人宅に建立されているのでご挨拶に伺うと親切に対応いただき、まずはお茶をご馳走になりながらの話になりました。そして知ったのは、このお宅こそ梅園春男の嗣子となったその当時の森田孫兵衛さんの家だったのです。私は、この石碑碑文の中に梅園春男の下で学んだと言うので来ただけなのだが、なんと言うことだろう。そこから思わぬ成果が得られるとは!
早速に調査方々手拓許可をお願いして作業開始。うまい具合に今日は嫌な風も弱く、快適な手拓日和となって一時間余で終了。それからご主人夫妻の案内で墓地へ案内されると、そこにももう一基の石碑が建立されている。そこにも梅園春男の名が碑文中に刻まれている。これも手拓が欲しいが、石面には嫌らしい苔が生えていてそれには金属ブラシで時間をかけて取り除かなければ話にならない。それでなくても時計は既に12時を過ぎているので、残念ながら今回は上記掲載の石碑だけで諦めざるを得なかった。ウ~ム、悔しい。宇都宮市内にあれば、時間をかけて綺麗に出来るのに、と。
それにしても、この石碑対象者である森田春次という人物は凄い! ここから宇都宮まで六年間に渡って通って学び、その後は村長やら多くの重職につきながら、途中で全てを辞してしまって自宅に校舎を設けて明徳義塾を開き、しかも誰からも月謝などを取らずそれどころか貧しい者には墨、用紙まで買い与えたという。その為に、塾の使命を終えて止めた時にはそれなりの多額の負債が残っていたという。全く、今の時勢には考えられないような人物なのである。本当に、この時代の人々は偉かったとつくづく思う。
さて、午後は隣の南川内町へ入って、またもや梅園春男の名が碑文中にある石碑探しを行ったが、最後にたどり着いた石碑建立対象者の実家へいってその墓地を教わったが、そこには該当する墓碑がなかった。多分、別の場所にあるのだろうと思うがそれがどこだか分からない。結局はあちこちと走り回っただけで全くの徒労に終わってしまった。そんな訳で、出かけるときの意気込みとは違って、本日の成果はたった一基だけだった。それでも心中は大満足。何しろ梅園春男のその後が判明したのだから…。
尤も、これでまた未整理の石碑が一基増えてしまった。校正のやっかいさを今更嘆いても仕方ないが、まあ百年後の人が見ても納得する内容に仕上げるには、当分の間は石仏巡りどころではないのが正直な所である。
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