今回も、宇都宮市内の石仏巡りでした。少しずつ、旧市街地に近づきつつある石仏巡りとなりました。そのために、私にとっては嬉しい「いしぶみ」が多くなり、今回はその中の三基を調査してきました。その中の一基がここへ掲載した「勅旌蒲生君平里」とある、寛政の三奇人の一人である蒲生君平の碑です。そしてこの碑は、朝廷が明治になって宇都宮藩に遺功追賞を命じたため、時の藩知事であった戸田忠友が奉行して建てられた物です。その意味でも、宇都宮市内における碑としては一級のものです。それだけに、本当は手拓が欲しかったのだが、何となく肌寒い陽気だったので採択は後日に日を改めて、としました。何しろ、自宅からは近いのでその気になれば毎日でもいける距離ですので…。
さて、今回もあちこちで沢山のこの度の震災による石造物倒壊と出会うことになりました、特に、江曾島町の滝尾神社では、入り口に立つ大きな鳥居が根元から折れて完全に倒壊していました。そして狛犬は、相変わらず横滑りして位置が動いているものに沢山出会いました。次回からは、宇都宮市街地へ入ります。第二次戦争で焼き尽くされた地域だけに、どれだけの石造物に出会えるのだろうと思う反面、その最大の目的はやり「いすぶみ」の調査になるでしょう。その調査には時間がかかるが、まあ焦らずのんびりと行うつもりです。
八戸の友達と連絡が取れぬまま、早くもあれ以来三週間が過ぎてしまいました。やはり、駄目だったかなと思いつつも、連絡が取れぬだけで何とか無事でいて欲しいものです。
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