一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

徒歩日本縦断(1995年)の思い出・第7回「雨の日」 …全天候型歩き人誕生…

2012年03月08日 | 徒歩日本縦断(1995年)の思い出
1995年の夏の北海道は、まるで梅雨のようであった。 私が北海道を歩いていた一ヶ月弱の間、毎日のように雨に祟られた。 今の私は「雨に祟られる」というような表現はしないと思うが、 当時の私は、まさに「祟られている」ような感覚であった。 雨が恨めしかった。 雨の日は歩きたくなかった。 事実、最初の頃は、歩かない日もあった。 そうすると、どうなるか? 当然のことながら、一歩も進まない。 歩かないことには . . . 本文を読む

徒歩日本縦断(1995年)の思い出・第6回「旅人たち」 …最も尊敬されるのは…

2012年02月28日 | 徒歩日本縦断(1995年)の思い出
夏の北海道は、旅人のメッカ。 歩き、自転車、バイク、車、電車……など、いろいろな手段で多くの人が旅を楽しんでいる。 徒歩日本縦断の旅で、北海道を歩いていた時に感じた事。 それは、「歩きの旅人」が最も尊敬されるということ。 尊敬される順位を仮につけるとしたら、やはり、 歩き、自転車、バイク、車……の順になる。 これは、歩いているとすぐに感じることだ。 「歩きの旅人」に対する態度が、他の手段で旅をして . . . 本文を読む

徒歩日本縦断(1995年)の思い出・第5回「日本海」 ……ルートと季節……

2012年02月22日 | 徒歩日本縦断(1995年)の思い出
徒歩日本縦断について、 これまで山友から受けた質問で、 おそらく最も多かったのは、 「どんなルートを歩いたのですか?」 というものであったろう。 まず最初に決めなければいけなかったのは、 「どこから出発するか?」 である。 鹿児島県の佐多岬からか、 北海道の宗谷岬からか…… どちらからでも良かったのだが、 九州から離れて行くよりも、 九州に近づいて行く方が気分的に楽なような気がした。 よって、出 . . . 本文を読む

徒歩日本縦断(1995年)の思い出・第4回「鏡沼海浜公園」 …テント泊と野宿…

2012年02月16日 | 徒歩日本縦断(1995年)の思い出
歩き旅は、どこで夜になるか分からない。 そこに都合よく宿泊施設があればイイが、そんなことはほとんどなく、 僻地を歩いていると、民家さえ無い。(笑) 故に、テント泊か野宿が基本だった。 テント泊か野宿を主体にしたのには、もうひとつ大きな理由がある。 それはお金がかからないこと。 なるべくお金がかからないようにするには、テント泊か野宿に限る。 たとえ料金の安い宿に泊まったとしても、 数日分の食費に相当 . . . 本文を読む

徒歩日本縦断(1995年)の思い出・第3回「北海道の道」 ……動機……

2012年02月14日 | 徒歩日本縦断(1995年)の思い出
北海道の道は、本土に比べてまっすぐな道が多く、 行けども行けども目的地に達しないような気分を何度も味わった。 まっすぐな道は、車で走れば快適なのかもしれないが、 歩きの旅人にとっては、精神的にかなり疲れるものであった。 写真を見ればわかるように、 北海道の道には、道の両側に、下向きの矢印が付いたポールが、ある一定の間隔をおいて並んでいる。 これは積雪して道の幅がわからなくなった時の為のものらしい。 . . . 本文を読む

徒歩日本縦断(1995年)の思い出・第2回「間宮林蔵 渡樺の地」…服装とザック…

2012年02月13日 | 徒歩日本縦断(1995年)の思い出
徒歩日本縦断(1995年)の思い出の第1回を掲載してから1週間以上過ぎた。 このペースでは今年中に終わらないかもしれない……(笑) と不安になり、急遽、第2回を執筆。 と言っても、短い文章しか書けないけど…… 写真は、「間宮林蔵 渡樺の地」の案内板の前で撮ったもの。 宗谷岬から歩き出してしばらくの所にあったと思う。 服装は、こんな感じで歩いていた。 Tシャツに短パン。 靴は、登山靴。 この時は . . . 本文を読む

徒歩日本縦断(1995年)の思い出・第1回「出発地点の宗谷岬」

2012年02月05日 | 徒歩日本縦断(1995年)の思い出
このブログを始めて以来、 メールで、 あるいは、一緒に山を歩いた時に、 よく質問される事項がある。 それは1995年におこなった徒歩日本縦断についてである。 「なぜ、歩いて日本縦断しようと思ったのか?」 「どのようなルートで歩いたのか?」 「何日くらいかかったのか?」 「歩いていた季節は?」 「宿泊はどうしていたのか?」 「印象に残っている場所は?」 「どのような装備で歩いたのか?」 等々…… で . . . 本文を読む