一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

徒歩日本縦断(1995年)の思い出・第3回「北海道の道」 ……動機……

2012年02月14日 | 徒歩日本縦断(1995年)の思い出
北海道の道は、本土に比べてまっすぐな道が多く、
行けども行けども目的地に達しないような気分を何度も味わった。
まっすぐな道は、車で走れば快適なのかもしれないが、
歩きの旅人にとっては、精神的にかなり疲れるものであった。
写真を見ればわかるように、
北海道の道には、道の両側に、下向きの矢印が付いたポールが、ある一定の間隔をおいて並んでいる。
これは積雪して道の幅がわからなくなった時の為のものらしい。
矢印は、車道と路肩の間にある白線を示しており、
車(除雪車など)が道からそれないようにとの目的で設置されているようなのだ。
九州にはないものなので、最初は「何だろう?」と訝りながら歩いていた。

「なぜ、徒歩日本縦断を思い立ったのか?」
それは、ある一冊の本との出逢いから始まった。
その本とは、アラン・ブース著『ニッポン縦断日記』(東京書籍1988.10刊)。

今から約24年前、私は本書を書店で見つけ、買った。
その時、歩いて日本を縦断した男がいることを初めて知った。
それも日本人ではない外国の人が……。

【アラン・ブース】
1946年ロンドンの下町に生まれる。
バーミンガム大学で演劇を学んだ後、1970年に来日。
長くて1年のつもりだったが、以後ほとんど日本に滞在。
早稲田大学英文科で教えた後、
作家として英字新聞や日本の雑誌に、
社会批評や邦画批評をはじめ、日本の伝統芸能についてのコラムを執筆。
1977年6月29日から11月3日にかけて、
北海道・宗谷岬から鹿児島県・佐多岬まで3300kmを徒歩で縦断。
その後も「歩き旅」は続く。
津軽への3週間の徒歩旅行。
延岡から鹿児島への480kmの歩き旅。
500kmを歩いた四国横断の旅――。
だが、1993年1月、がんのため死去(享年46歳)。


とても面白く、何度も読み返しているうちに、私の胸の内にとんでもない思いが芽生えた。
〈私も徒歩日本縦断というものをやってみたい!〉
妻と二人の子供がいる中年の平凡な会社員であった私にとっては、一大決心であった。
妻の承諾を得、会社を辞め、徒歩日本縦断の旅に出たのは、この本に出逢ってから7年後(1995年)のことであった。

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