11月24日(日)
西渓公園を主会場として開催される「紅葉まつり」に、
初日の11月16日(土)に行ったことは、このブログにレポを載せている。
西渓公園の駐車場脇には出店もあって、みかん、赤飯、草餅などを販売していた。
そのことを配偶者に話すと、「食べたい」と言うので、
「紅葉まつり」の最終日の今日、また(買物のために)西渓公園に足を運んだのだった。
せっかくなので、先に多久聖廟の方へ。
もう「五角の門・合格の門」が設置されていた。
「論語」で知られる中国の聖人・孔子を祀る多久聖廟には、
毎年多くの受験生が合格祈願に訪れる。
参道には「合格」にちなんだ「五角(ごかく)の門」という光のトンネルが設置され、
受験シーズンの12月15日~1月15日の1ヶ月間、点灯される。
顔ハメ看板や、
「ゾンビランドサガ」のマンホールも設置されている。
紅葉も見頃を迎えている。
メタセコイアは、ほんのり色づいている。
このくらいでも十分に美しい。
聖廟が見えてきた。
【多久聖廟】
肥前多久邑主の多久茂文が教育振興を目的として建立を発願し、
1699年(元禄12年)に学問所(後の東原庠舎)を建設した上でその講堂に孔子像を安置、
さらに1708年(宝永5年)に椎原山の麓に拝殿が完成した。
落成後は恭安殿とよばれ、現在の聖廟がこれにあたる。
1907年(明治40年)の改修工事で瓦葺きから銅板葺きになった。
1921年(大正10年)3月3日、敷地を含め国の史跡に指定された。
建物は1933年(昭和8年)1月23日、当時の国宝保存法に基づき国宝(いわゆる旧国宝)に指定され、1950年(昭和25年)8月29日、文化財保護法施行に伴い国の重要文化財となった。
現存する聖廟としては足利学校(栃木県)、閑谷学校(岡山県)に次ぐ古い建物である。
多久聖廟は、孔子直系御子孫との御縁を大切にしており、
今年(2024年)の春季釈菜には、
孔子直系の第79代嫡孫である孔垂長(こうすいちょう)氏が多久に来訪された。
傍らには、「楷樹」がある。
多久聖廟の「楷樹」(別名・トネリバハゼノキ、ランシンボク)は、
中華人民共和国山東省の孔子墓塚に孔子の弟子・子貢が手植した原木から、
種子を採取し、育苗したもので、
大正14年(1925年)にこの地に植栽された二千数百年の命脈を伝承した銘木である。
まだ紅葉していなかったが、
木の上部は紅葉が始まっていた。
東原庠舎へ向かう。
東原庠舎に到着。
「東原庠舎」(とうげんしょうしゃ)は、
江戸時代に肥前国多久町(現在の佐賀県多久市)の領主多久氏によって設置された、
教育機関(邑校)。
ここはまだ色づき始めたばかりのようであったが、
趣のある紅葉である。
真っ赤に染まった紅葉もあった。
ツワブキの花が群れ咲いていた。
次に西渓公園に向かった。
11月16日(土)に来たときには、紅葉の染まり具合は70~80%であったが、
今日は、ややピークを過ぎた感じであった。
それでも美しい紅葉を見ることができた。
いつも感じることであるが、
こんなにも美しい紅葉を見上げていると、
私は宇宙望遠鏡がとらえた天文画像を思い出す。
まばゆいばかりの紅葉と、
宇宙の銀河が重なり合う。
宇宙に抱(いだ)かれているような気分になる。
今日も「一日の王」になれました~