一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

山本文緒『無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記―』 ……余命4か月……

2022年12月30日 | 読書・音楽・美術・その他芸術


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〈もし、突然、余命を告げられたら……〉
と、考えるときがある。
だが、仮定の話では、どこか、自分に対しての甘さがある。
60歳を過ぎた頃から、
いつ余命を告げられてもいいようにと、
断捨離や身辺整理の真似事をするようになった。
それでも心の片隅には、
〈そんなことは(今すぐには)私には起こらないだろう……〉
と、根拠のない自信めいたものがあった。
〈「もしも……」のときを考えて、準備だけはしておこう……〉
というくらいの、軽い気持ち。
「他人に起こることは自分にも起こる」という当たり前のことを頭では理解しながらも、
〈まさか自分には……〉
と、甘く考えている。


昨年(2021年)10月、
新聞に次のような記事が載った。

山本文緒さん(やまもと・ふみお=作家、本名大村暁美=おおむら・あけみ)13日、すい臓がんのため死去、58歳。横浜市出身。葬儀は近親者で行った。喪主は夫浩二(こうじ)さん。後日、東京都内でお別れの会を開く予定。
 ジュニア小説の作家としてデビュー。99年「恋愛中毒」で吉川英治文学新人賞。01年に「プラナリア」で直木賞を受賞した。「自転しながら公転する」が今年の中央公論文芸賞と島清恋愛文学賞に決まっている。今年春から体調を崩し自宅療養中だった。


私は山本文緒の良い読者ではなかったが、
「恋愛中毒」などの初期作品はよく読んでいたし、
気になる作家ではあったので、
この訃報に少なからず驚いた。

山本文緒(ヤマモト・フミオ)
1962年、神奈川県生れ。
OL生活を経て作家デビュー。
1999年、『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞、
2001年、『プラナリア』で直木賞、
2021年、『自転しながら公転する』で島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞を受賞。
著書に、
『絶対泣かない』『群青の夜の羽毛布』『落花流水』『そして私は一人になった』『ファースト・プライオリティー』『再婚生活』『アカペラ』『なぎさ』『ばにらさま』『残されたつぶやき』『無人島のふたり』など多数。
2021年10月13日10時37分、膵臓(すいぞう)がんで死去。享年58歳。



亡くなってから1年後(2022年10月)、
山本文緒の新刊『無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記―』が刊行された。
本の紹介に、

お別れの言葉は、言っても言っても言い足りない――。急逝した作家の闘病記。
これを書くことをお別れの挨拶とさせて下さい――。思いがけない大波にさらわれ、夫とふたりだけで無人島に流されてしまったかのように、ある日突然にがんと診断され、コロナ禍の自宅でふたりきりで過ごす闘病生活が始まった。58歳で余命宣告を受け、それでも書くことを手放さなかった作家が、最期まで綴っていた日記。


とあった。
すい臓がんは、診断されてから死亡するまでの期間が短いという印象がある。
がんが発生しても症状が出にくく、早期の発見が難しいということもあって、
症状が出て病院に行ったときにはもう末期になっていることが多いからだ。
私の配偶者の母親もすい臓がんで亡くなったのだが、
診断が下されて亡くなるまで、たった1か月しかなかった。(享年67歳)

本書のサブタイトルが「120日以上生きなくちゃ日記」とあるので、
山本文緒はおそらく「余命4か月」と宣告されたのであろう。
〈宣告された期間よりも長く生きたい……〉
という意思が強く感じられるサブタイトルだが、
山本文緒はもうすでに亡くなっている。
その事実が、読む者に重くのしかかってくる。
がんを克服した「がん闘病記」は多く出版されているが、
亡くなるまでの日々を綴った「がん闘病記」は案外少ないような気がした。
〈読んでみたい!〉
と思った。
そうして手に取った本は、
大野八生によるミモザなどの樹木とたくさんの鳥が描かれた装画で、
二羽の鳥には箔があしらわれた、
丁寧な仮フランス装の、


なんともお洒落で素敵な本であった。



日記は、

2021年4月、私は突然膵臓がんと診断され、そのときに既にステージ4bだった。治療法はなく、抗がん剤で進行を遅らせることしか手立てはなかった。
昔と違って副作用は軽くなっていると聞いて臨んだ抗がん剤治療は地獄だった。がんで死ぬより先に抗がん剤で死んでしまうと思ったほどだった。医師やカウンセラー、そして夫と話し合い、私は緩和ケアへ進むことを決めた。
(5頁)


という、「もう抗がん剤治療はしない」という決意の文章で始まる。
そして、12頁(5月25日)には、早くも、

うまく死ねますように。

との言葉が置かれていた。


当初、B医療センターでは、
「余命半年、抗がん剤が効いたとしても9か月」と告知される。
だが、セカンドオピニオンで訪れた国立がん研究センターでは、
「余命4か月」と診断される。

「4か月ってたった120日じゃん」と唐突に実感が湧いて涙が止まらなくなった。(28頁)

と正直に心情を吐露するが、

しかし、泣きながらも、『120日後に死ぬフミオ』って本を出したらパクリとか言われるかなとも考えた。(28頁)

と、ユーモアも忘れない。


私の人生は充実したいい人生だった。
58歳はちょっと早いけど、短い人生だったというわけではない。
私の体力や生まれ持った能力のことを考えたら、ものすごくよくやったほうだと思う。20代で作家になって、この歳まで何とか食べてきたなんてすごすぎる。
今の夫との生活は楽しいことばかりで本当に幸せだった。お互いを尊重し合っていい関係だったと思う。
どんなにいい人生でも悪い人生でも、人は等しく死ぬ。それが早いか遅いかだけで一人残らず誰にでも終わりがやってくる。
その終わりを、私は過不足ない医療を受け、人に恵まれ、お金の心配もなく迎えることができる。
だから今は安らかな気持ちだ……、余命を宣告されたら、そういう気持ちになるのかと思っていたが、それは違った。
死にたくない、なんでもするから助けてください、とジタバタするというのとは違うけれど、何もかも達観したアルカイックスマイルなんて浮かべることはできない。
そんな簡単に割り切れるかボケ! と神様に言いたい気持ちがする。
(34頁)


余命を受け入れてはいるものの、聖人ではないので、
「そんな簡単に割り切れるかボケ!」
と、神様に憤ってもみる。


そして、

私はこんな日記を書く意味があるんだろうか、とふと思う。
こんな、余命4か月でもう出来る治療もないという救いのないテキストを誰も読みたくないのではないだろうか。
(38頁)

と疑問を呈しながらも、

だったら何も書き残したりせず、潔くこの世を去ればいいのに、ノートにボールペンでちまちま書いてしまうあたりが何というか承認欲求を捨てきれない小者感がある。
せめてこれを書くことをお別れの挨拶として許して下さい。
(38~39頁)

と、作家として「書くことの意味」を見出だそうとする。


このレビューの冒頭、私は、
「仮定の話では、どこか、自分に対しての甘さがある」
と書いたのだが、
余命4か月を宣告されているにもかかわらず、山本文緒は、

少しずつ私の終活の事務処理を夫とやっている。
昨日は私の銀行口座や、各種ログインIDやらパスワードやらの申し送りをした。
今日は私がいなくなった後の葬儀(近親者のみ)とのお別れ会(それ以外の方々)の名簿を作った。
先週の入院まで、我々は余命のことを主治医とセカンドオピニオンの医師にもはっきり言われていたにもかかわらず、どこかでまだ先のことと甘く考えていたと知った。
でも先週の容態急変で、私も夫もXデーがいつ来てもおかしくないのだと身に染みて知った。
もう私も夫も前ほどは泣かないし喚かない。
(61~62頁)


と、書く。
「どこかでまだ先のことと甘く考えていた」とは、
人間はギリギリの状態にならなければ「まだまだ」と思う生き物のようだ。

余命4か月でも、
体調のいい日と悪い日があって、
体調のいい日は、

私自身ももうすぐお別れだなんて本当に信じられない。この体調のまま2年くらいは持つんじゃないかと思ってしまう。(81頁)

と希望を抱くが、

でもきっと違うのだろう。(81頁)

と、すぐに否定する。
余命4か月なのだから、
高くて諦めていたバッグや宝石や洋服を、今なら自分の欲を満たすために買ってもいいんだよな……と思ったりするが、

でも着ていくところもなければ見せる人もいないとなると、ブランドの高い服も鞄もあまり買う意味がない。(96頁)

ということに気づく。

ということは、それって自分の欲ですらないってことだろうか。他人の欲を刺激するために高価なものってあるのあろうか。(96頁)

と、お金やブランド品などについて考察する。
山本文緒は、自分の寿命を90歳くらいに設定して、
贅沢をしなければそのあたりまで生きていけるお金を貯めたそうだが、
今となっては「もう少し使っても良かったのかもしれない」とちょっぴり後悔する。
生きていく上でお金は安心感を与えてくれるが、

お金じゃなくて時間のほうを使えばよかったのかもしれない。(96頁)

と述懐する。


本書は、170頁ほどあり、
この後が核心部となるのだが、
そこまで紹介してしまうと、
NHKのように(コチラを参照)
著作権侵害になってしまう恐れがあるので、
このあたりでやめたいと思う。


このレビューの冒頭、

がんを克服した「がん闘病記」は多く出版されているが、
亡くなるまでの日々を綴った「がん闘病記」は案外少ないような気がした。

と書いたが、
先日読んだ(ネット記事での)「余命1カ月」と告げられた男性の言葉にも、

残り1カ月となると、みんなそれを口にするのもためらう。だから情報がない。僕自身、どう受け止めたらいいのか知りたくて調べたけど全然ない。あのね、ここが伝えたいポイントだと思っているんだけど、治らないがんと治るがんがある。どんなに医療が発達しても治らない。治る人ばかり脚光を浴びるけど、治らない人もいるのです。

とあり、
がんを克服した人の話は多いけれど、
死を覚悟した人が必要とする情報がほとんどない……という現状を訴えていた。
だからこそ、
本書『無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記―』が刊行された意義は大きいと思うのだ。
山本文緒が遺した日記は、
山本文緒の多くの小説がそうであったように、
読者を作品世界へ巻き込み、
読み手を登場人物にのりうつらせる力を持っていた。
本書を読んでいくうちに、
疑似体験という軽い感覚ではなく、
自分が本当に「余命4か月」を経験しているような気分になり、
「身の置き所がない」(これががんの症状のひとつらしい)感覚を味わった。
1年単位ではなく、「余命○か月」と想定して、
数か月単位で自分の生活や人生というものを考え、見直し、行動するのも、
“今”を充実させる一方法であるのかもしれない。
本書を読み終えるのに、それほど時間はかからないし、
1年に1回は読んで、来たるべき“その日”に備えたいと思った。

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