一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『生きてるだけで、愛。』…剥き出しの趣里が疾走する関根光才監督の傑作…

2019年01月20日 | 映画


以前、映画『愛しのアイリーン』のレビューを書いたとき、
次のような持論を述べた。

映画評論家のレビューを読む場合、
自分と同じような感性の持ち主の評論家と、
真逆の感性を持つ評論家の両方を用意しておくと良い。
そして、映画を見たいと思わせるのは、
大抵、自分とは真逆の感性を持つ評論家の方なのである。(笑)
『キネマ旬報』のレビューのコーナーに、Kという女性の映画評論家がいる。
このKは、たいてい「けなす」だけのレビューを書いているのだが、(爆)
私の場合、このKが貶した作品は、なるべく見るようにしている。
感性が真逆なので、Kが貶した作品は、私にとっては面白作であることが多いのだ。
そのKが、『愛しのアイリーン』について、
最低点を付けた上で、次のように記していた。


超絶ギャグか、ブラックコメディか、暴走、狂騒、やけのやんぱち、その全てが不快感を誘ってとても付いていけない。結婚を焦る42歳のマザコン男と、彼がフィリピンで金を払って“物色”したアイリーン。日本に連れ帰って以降の展開は、暴力的なワルふざけとしか言いようがなく、流されてばかりの42歳男の不甲斐なさには目を伏せたくなる。いや、フィリピンでの嫁探しツアー自体にも違和感を覚え、アイリーンの家族の描き方も無神経。無責任に面白がればいい? 私はダメだった。

全力で全否定しているのである。
これを読んで、
〈絶対に見なければ……〉
と思った。(笑)
そして、見た感想はというと、予想に違わぬ「傑作」であった。


このKが、
またしても最低点を付けた上で、全力で全否定している映画があった。
それが、本日紹介する『生きてるだけで、愛。』である。
原作は、
小説家、劇作家、演出家などマルチな活動を展開する芥川賞作家・本谷有希子の同名小説。


監督は、
数々のCMやAKB48、Mr.ChildrenなどのMVなどを手がけ、カンヌ国際広告祭でグランプリなどを受賞した関根光才。


主演は、趣里。


この『生きてるだけで、愛。』を、映画評論家Kは、
次のように貶していた。

以前、大林宣彦監督が「他人ごとの話が自分ごとになるのが映画の素晴らしいところだ」と語るのを耳にしたことがあるが、この作品の趣里が演じたヒロインに関しては、ただただあっちへ行ってほしい。超自己チューの他力本願女。ウツを抱えているのだが、このヒロインには他人までウツをうつしかねない鬱陶しいパワーがあり、しかもブレない。傷つきやすいくせに他者の痛みには鈍感なこの女を、映画はイイコ、イイコするように撮っているが、こちらにはどうでもイイコの映画だった。

この批評(というか批判)を読んで、
俄然、『生きてるだけで、愛。』を見たいと思った。(笑)
昨年(2018年)11月9日に公開された作品であるが、
佐賀ではシアターシエマで、
2ヶ月遅れの今年(2019年)1月11日から1週間限定で上映された。
で、先日、ようやく見ることができたのだった。



同棲して三年になる寧子(趣里)と、


津奈木(菅田将暉)。


もともとメンタルに問題を抱えていた寧子は鬱状態に入り、バイトも満足に続かない。
おまけに過眠症のため、
家にいても家事ひとつするわけでなく、敷きっぱなしの布団の上で寝てばかり。


姉との電話やメールでのやり取りだけが世間との唯一のつながりだった。


一方の津奈木も、文学に夢を抱いて出版社に入ったものの、
週刊誌の編集部でゴシップ記事の執筆に甘んじる日々。
仕事にやり甲斐を感じることもできず、職場での人間関係にも期待しなくなっていた。
それでも毎日会社に通い、
家から出ることもほとんどない寧子のためにお弁当を買って帰る。


津奈木は寧子がどんなに理不尽な感情をぶつけても静かにやり過ごし、
怒りもしなければ喧嘩にすらならない。
それは優しさであるかに見えて、
何事にも正面から向き合うことを避けているような態度がむしろ寧子を苛立たせるが、
お互いに自分の思いを言葉にして相手に伝える術は持っていなかった。


ある日、いつものように寧子が一人で寝ていると、
部屋に安堂(仲里依紗)が訪ねてくる。


かつて津奈木とつき合っていた安堂は彼に未練を残しており、
寧子と別れさせて彼を取り戻したいと言う。
まるで納得のいかない話ではあったが、
寧子が津奈木から離れても生きていけるように、
なぜか安堂は寧子の社会復帰と自立を手助けすることに。
こうして寧子は安堂の紹介で半ば強制的にカフェバーのバイトを始めることになるが……




期待した以上の傑作であった。
女性映画評論家Kが全力で全否定した映画は、
私にとっては「傑作」になるという方程式はやはり生きていた。(笑)
それにしても、主演の趣里の演技が素晴らしい。


たしかに、趣里が演じたヒロインは、映画評論家Kが言うように、

超自己チューの他力本願女。ウツを抱えているのだが、このヒロインには他人までウツをうつしかねない鬱陶しいパワーがあり、しかもブレない。傷つきやすいくせに他者の痛みには鈍感……

と見られかねない女だ。
だが、それは表面的にしか見ていない人の感想だ。
寧子は、どうにもコントロールできない情緒の揺れに自分を持て余し続けているが、
それは、寧子の心の振り幅が大きいだけで、
多かれ少なかれ、誰しもが感じているものだ。
身につまされるほどではないにしても、共感できる部分はある。
それが感じ取れないようでは、もはや、
映画評論家どころか、人間をやっている意味がない。(コラコラ)

趣里自身は、
原作と脚本を読んだ段階で、
〈私が絶対演じたい〉
と思ったそうだ。

まさに“出逢えた!”という感覚でした。とにかく“寧子を救ってあげたい”と同時に“自分も救われたい”という思いが、私の中でひとつになった感じでしたね。

もちろん寧子と同じ人生を歩んできたわけではないのですが、私もすごく考えて、考え過ぎて、その果てにこじらせて固まってしまったこともあります。これはどうしたらいいのか、でもこれが自分だし――という葛藤をしたこともあります。生きていることの苦しみや人と関わることの難しさをすごく感じて生きていたときもありました。今でも“うーん難しいな人生って”と思うこともありますし、だからこそ寧子に感情移入したのかもしれないですね。
(『キネマ旬報』2018年10月下旬号)

趣里が寧子に感情移入できたのは、
自身に挫折の経験があったからだ。
4歳の時からクラシックバレエを習い始め、
15歳の時に本場イギリスのバレエ学校に通うことができたものの、
留学中に大きなけがを負い、帰国を余儀なくされたのだ。
将来、描いたものが一瞬にして崩れ去って、
どうやって生きていいか、分からなくなったという。
もうバレエは続けられないと絶望し、
寧子のように寝ていた時期もあったそうだ。
……故の感情移入であったのだが、
趣里は寧子を、単なる“嫌な女”として演じてはいない。


寧子の言動はとにかくエキセントリックなので、単なる嫌な女と受け取られかねない。監督には最初、みんなから嫌われてもいいからと言われたのですが、見てくださる方々から完全に離れてしまわないようにも考えました。なので、特に後半に向けて、寧子がなぜこんなに苦しいのか、そしてその中でも前に進みたい気持ちはあるんだということを、一瞬でも感じてもらえるよう、その組み立ては慎重に考えたつもりです。(『キネマ旬報』2018年10月下旬号)


私は、映画鑑賞後に、
この作品のことをもっと詳しく知りたくて、原作本(新潮文庫)を読んでみた。


表紙が葛飾北斎の『富嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」をモチーフにした装丁だったので、


「?」と思ったのだが、
この画が、現代科学でいろいろ検証され始めていて、
最終的に5千万分の1秒のシャッタースピードで撮った写真が画の構図と寸分違わない……という結果が出たのだという。
5千万分の1秒のシャッタースピードで撮った写真と、
葛飾北斎の画が、
富士山の色合い、波の形、飛び散るしぶきの数まで一緒だったとか。
現代科学の技術でようやく捉えられたその一瞬と、
江戸時代の北斎が想像で描いた画が同じだったとは、
なんと奇跡的な出来事だろう。


趣里が「寧子の気持ちを一瞬でも感じてもらえるよう」と思って演じたその一瞬とは、
まさに、5千万分の1秒のシャッタースピードで捉えられた一瞬であったのだ。
文学も絵画も音楽も、そして映画も、
その一瞬を感じ取るものだとするならば、
芸術とは、なんと繊細で、危ういものなんだと思わざるを得ない。


そんな危ういほどに繊細な演技をした趣里とは、どんな女優なのか……

【趣里】
1990年9月21日生まれ、東京都出身。
2011年ドラマ「3年B組金八先生ファイナル~「最後の贈る言葉」」(TBS)で女優デビュー。
NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』への出演などで注目を集め、
『リバース』(TBS)での狂気的な熱演や、
『ブラックペアン』(TBS)でのクールな看護師役も話題となった。
一方、舞台では赤堀雅秋、根本宗子、栗山民也、串田和美、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、小川絵梨子ら巨匠から気鋭まで幅広い演出家の手がける作品に出演。
「大逆走」「アルカディア」「メトロポリス」「陥没」「ペール・ギュント」「マクガワン・トリロジー」などで重要な役どころを演じる。
また、主な映画出演作に『おとぎ話みたい』(2013)『東京の日』(2015)『母 小林多喜二の母の物語』(2017)『過ちスクランブル』(2017)『勝手にふるえてろ』(2017)などがある。



2012年から2016年まで舞台作品を中心に活動した後に、
映画、テレビドラマなどの映像作品にも力を入れ始めたので、
一般的には、
『リバース』(2017年4月14日~6月16日、TBS)村井香織 役


『ブラックペアン』(2018年4月22日~6月24日、TBS)猫田麻里 役


『僕とシッポと神楽坂』(2018年10月12日~11月30日、テレビ朝日)すず芽 役
辺りから彼女のことを知った人が多いのではないだろうか……


本人はあまり公表してほしくないようだが、(怒られるかな?)
父は水谷豊で、母は伊藤蘭である。
一度見たら忘れないような個性的な顔立ちであるが、
やはりどこかに母親である伊藤蘭の面影を残している。


そして、仕事に対する取り組み方や、役へのこだわりは、
父親からのDNAを感じさせる。


趣里は本作『生きてるだけで、愛。』で、全裸を晒している。
撮影したのは、真冬(2018年1月)。

アドレナリンが出たのか、寒いという感覚はありませんでした。実際には、本当に寒い日でしたし、寄りかかる屋上の鉄の柵もすごく冷たいし、肌で直接風を受けてスースーするのは感じましたけど(笑)。でも、すべてを剥き出しにしていることの開放感とか、ケアをしてくださったスタッフはもちろん、このシーンに向き合っているすべてのスタッフさんの想い、そういうものをすごく感じていました。(『キネマ旬報』2018年10月下旬号)

全裸になったということだけではなく、
身も心も“剝き出し”にして、全力で演じ切った寧子という役は、
寧子を救って一歩前進させただけではなく、
趣里自身をも救い、一歩前へ進ませてくれた作品になっていると思う。

本作の趣里を見ていて、


私は『砂の女』の時の岸田今日子を思い出してしまった。


鞭のようにしなやかな裸体も、彼女を思い起こさせた。


趣里も、きっと将来、岸田今日子のような、
存在感のある個性的な大女優になっていくことだろう。
そういう意味でも、見ておくべき作品だと思われる。

趣里があまりにも素晴らしかったので、
彼女の話だけになってしまったが、
津奈木を演じた菅田将暉、


津奈木の元カノ・安堂を演じた仲里依紗、


津奈木の会社の同僚・美里を演じた石橋静河、


寧子のバイト先のオーナー夫人・真紀を演じた西田尚美など、


私の好きな俳優たちも好演していて、
私にとっては申し分のない傑作であった。
まだ上映している映画館も多いので、
ぜひぜひ。

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