一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

柚月裕子『慈雨』 ……四国遍路と殺人事件を絡めたミステリーの秀作……

2017年02月05日 | 読書・音楽・美術・その他芸術


図書館の新刊書コーナーで、
本書『慈雨』を目にし、思わず手に取った。
この図書館の本には、帯も切り取って貼ってあって、
そこには、こう書かれてあった。

「俺は、誇れるのか。42年の警察官人生を。」
「16年前の幼女殺害と酷似した事件が発生。かつて捜査にあたった刑事が、退職した身で現在の事件を追い始める。消せない罪悪感をその胸に抱えながら――」

「警察官を定年退職した神場智則は、妻の香代子とお遍路の旅に出た。42年の警察官人生を振り返る旅の途中で、神場は幼女殺害事件の発生を知り、動揺する。16年前、自らも捜査に加わり、犯人逮捕に至った事件に酷似していたのだ。神場の心に深い傷と悔恨を残した、あの事件に――。」



「お遍路」という言葉に惹かれた。
昔から歩くことが好きで、
それが高じて徒歩日本縦断などもやったりしたのだが、
四国巡礼にも関心があり、
実際に四国遍路をした人の紀行本をたくさん読んでいる。
なので、お遍路については、
実際に行ってはいないが、かなり詳しい。(笑)
お遍路と殺人事件を絡めたミステリーなら読んでみたいと思った。
それに、柚月裕子という女性作家には、好印象があった。
以前読んだ本がすこぶる面白かったからだ。
男性が書くような骨太の文体と内容で、
どんな厳つい女性だろうと思ってネットで著者の写真を検索したら、
小説の内容とは似ても似つかぬ美人であったからだ。(コラコラ)


柚月裕子
1968年5月12日生まれ。
岩手県出身、山形県在住。
本好きの両親の影響で、子供の頃より読書に親しむ。
中学1年生の時に「シャーロック・ホームズ」を全て読み尽くし、
複数の出版社の翻訳を読み比べて、ニュアンスの違いを味わう。
21歳で結婚。
子育てに専念する日々を経て、
山形市で毎月開かれている「小説家(ライター)になろう講座」に通い始める。
2007年、『待ち人』で山新文学賞入選・天賞受賞(山形県の地元紙、山形新聞の文学賞)。
2008年、『臨床真理』で第7回『このミステリーがすごい!』大賞で大賞を受賞しデビュー。
2012年、『検事の本懐』で第25回山本周五郎賞候補になる。
2013年、同作で第15回大藪春彦賞受賞。
2016年、『孤狼の血』で第154回直木三十五賞候補、第37回吉川英治文学新人賞候補、
     第69回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)受賞。



『慈雨』を読んでみたくなった私は、
急いで借りて、すぐに読み始めたのだった。

お遍路をしながら、かつての部下・緒方を通して捜査に関わり始めた神場は、
消せない過去と向き合い始める。
16年前の幼女殺人事件の容疑者・八重樫を犯人とする決め手になったのは、
DNA型鑑定であった。
だが、事件当時の鑑定には、数百人にひとりの割合で別人のDNA型と一致してしまう精度しかなく、
あくまでも証拠の補充としてしか捉えられていなかった。
証拠不十分であったが、
自白(八重樫は後に自白は強要されたものとして無罪を主張)と、
そのDNA型鑑定が決め手となり、
八重樫は逮捕され、最高裁で懲役20年の刑が言い渡される。
一度は治まった事件であったが、
その後、八重樫のアリバイに関する重要な証言が得られ、
誤認逮捕ではないか……との疑念が神場に芽生える。
再捜査を要請するが、却下されてしまう。
理由は、
もしも再捜査をして、事件のDNA型鑑定が間違っていたとなったら、
過去のDNA型鑑定を基にした解決済みの事件までもが疑わしくなってしまうから……というものだった。
世間は「冤罪の可能性があるのではないか」と疑うだろう。
警察への信頼は、跡形もなく崩れてしまう。
警察だけではない。検察を含めた捜査機関全体が信用を失うことになるのだ。
神場は、無念ながらも、「再捜査は不要」という返事を受け入れざるを得なかった。
だが、16年後、
あの事件とまったく同じ手口の幼女殺人事件が発生したのだ。
〈16年前の事件の真犯人が起こしたものではないか……〉
神場は、気が気ではなかった。
緒方からの情報をもとに、遍路をしながら推理する。
そして、犯人が行ったであろう、ある重要なトリックに気づくのだった。


子供の頃の苦い思い出、
警察官になってからの思い出、
妻・香代子との思い出、
そして、娘・幸知のこと……
四国遍路をしながら、
過去と向き合い、
自分と向き合い、
正義とは何かを問いかけ続ける神場の心情は、
ほぼ同じ年代の私の心にも響いてきて、
最後には、落涙させられた。
「自分の人生に、後悔を抱いていない人は少ないと思います。過去に過ちを犯し、大きな後悔を抱えてきた人間が、どう生き直すのか、それを書きたかった」
と柚月裕子は語っているが、
『慈雨』は、そんな著者の想いが詰まった秀作となっている。


神場は、遍路の途中で、千羽鶴という名の年老いた女性からお接待を受ける。
(お接待とは、お遍路さんにお菓子や飲み物などを無償で施すこと)
その時、鶴は、苦労の連続だった人生を振り返った後、次のように語る。

「若い頃は、なんで自分だけこんな苦労するんじゃろ、なんて思ったこともあるよ。生きとるのが嫌で、いっそ命を絶とうかと考えたこともあるんよ。でもねぇ、長く生きとると、自分だけが不幸じゃなんて、思わなくなってきたんよ。ええことも悪いことも、みな平等に訪れるんやなぁと思うようになったんよ」

「人生はお天気とおんなじ。晴れるときもあれば、ひどい嵐のときもある。それは、お大尽さまも、私みたいな田舎の年寄りもおんなじ。人の力じゃどうにもできんけんね」

「ずっと晴れとっても、人生はようないんよ。日照りが続いたら干ばつになるんやし、雨が続いたら洪水になりよるけんね。晴れの日と雨の日が、おんなじくらいがちょうどええんよ」


この言葉は、柚月裕子の持論でもあり、
この小説で書きたかったことが凝縮された言葉だとか。
東日本大震災の大津波で父を亡くした悲しみの中、
「ここで泣き崩れては父が一番悲しむ」
と小説を書き続け、
「絶対に立ち直れないと感じることは誰もが経験すると思う。でも人生は晴れと雨が半分ずつと思えば、いつか半歩前に踏み出せる日が必ずくると感じられるはず」
との想いに至ったという。

雨のシーンで始まり、雨のシーンで終わりを告げる小説『慈雨』。
単なるミステリーではなく、
己の人生を見つめ直す物語にもなっている。
ぜひぜひ。


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