一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

最近、驚いたこと(27) ……ドキュメント20min.「93歳の新聞記者」……

2025年01月05日 | 最近、驚いたこと


「最近、驚いたこと」の第27回は、93歳の新聞記者・涌井友子さん。


今朝、NHKのドキュメント20min.「93歳の新聞記者」を観た。
(初回放送は2024年6月24日で、今回は再放送だったようだ)
「93歳の新聞記者」というタイトルに興味を持って観たのだが、
趣味的にやっている老人の(地域の話題づくりの為の)話だろうと思って観ていたら、
ちゃんとした商業新聞の記者だったので驚いた。
その「93歳の新聞記者」というのは、涌井友子さん。
中野区のローカル新聞「週刊とうきょう」の現役記者で、
バスと電車を乗り継いで自分の足で区内を回る毎日だとか。
取材・執筆・校正、時には配達まで手がけ、
地元の出来事を中心に月2回発行する。(休刊したことのないのが自慢だそうだ)
現在、タブロイド判モノクロ2頁のこの新聞は、月2回の発行で、部数は2000部。
(ネットで調べてみたら、購読料は6カ月で3150円だとか)。


友子さんは、93歳という年齢にもかかわらず、毎回自らの足で取材に出向く。
柔道大会の取材に行ったときには、写真を撮りながら気になったことはすべてメモに取り、
その事実を淡々と記事にしていく。
常に公平に伝えることを心がけているとか。


友子さんは、1931年(昭和6年)、静岡県藤枝市に生まれた。
10歳のときに太平洋戦争が始まり、
大人も子供も大本営発表を信じ、日本が勝利することを疑わなかった。
だが、結局は敗戦。
あの日本有利の報道は何だったのか?
この経験が、後の友子さんの報道に対する公平な姿勢を貫く土台となった。


夫の啓権さんはローカル新聞の記者をしていたが、
勤めていた新聞社の社長との意見の相違があって、独立することになった。
1974年、夫婦2人で「週刊とうきょう」を創刊する。


しかし8年後の1982年、主筆だった夫の啓権さんは、夢半ばにして亡くなってしまう。
新聞発行に関しては、もう存続は困難だろうと思ったが、
夢だった新聞を創刊して、たった8年で亡くなった夫の無念さを思い出し、
〈やっぱり、私が後を継いでやらないと、主人も、この新聞もかわいそう〉
と、夫の残したニコンFを首からぶら下げて、
友子っさんは、4人姉妹を育てながら、かあちゃん記者となった。


現在も、校正はすべて自分の手で行い、誤字脱字をチェックし、
誤解を招く表現がないかを確認する。
「週刊とうきょう」の編集ポリシーは、「絶対に人の悪口を書かない」こと。


偏った内容にならないよう常に心掛ける姿勢に、購読者から絶大な信頼を得ているそうだ。
毎回、校正は4回行われ、最終的には次女の久美子さんと共に読み合わせを行い、
完全な形で紙面が完成する。


ネット社会になり、SNSで誰もが情報発信できる時代に、
たった2頁の新聞に、(中野という狭い地域に限られているとはいえ)
2000部の購読者がいることに驚かされるし、
その新聞の現役記者が93歳の女性ということにも驚かされた。


友子さんは、今後のメディア業界についても思索を巡らせていて、
「AIやITがメディアに代わる時代が来るかもしれない」
と語り、そうした変化にどう立ち向かうべきかを考えているとも語っていた。
93歳で、テクノロジーの進化について語り、
「どうすれば生き残れるのか」を自らに問うている姿に、
70歳の私は驚かされっ放しだった。
日々、記事を書き続けていれば、
友子さんのように90代になっても認知症にもならずに明晰な頭脳で過ごせるのかと思い、
私も、このブログ「一日の王」を、1頁だけの日刊「一日の王」と考え、
書き続けていれば涌井友子さんのようになれるかもしれないと(自分に都合よく)思った。
そんな希望を私に抱かせてくれた優れたドキュメンタリーであった。

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