加山雄三が、今年(2022年)6月20日に、
年内をもって長年続けてきたコンサート活動を卒業すると発表した。
ラストステージとなる9月9日の東京国際フォーラム ホールAにて実施する、
「加山雄三ラストショー 永遠の若大将」の模様を、
全国47都道府県の映画館で生中継(ライブ・ビューイング)することが決定。
さらにラストショーを盛り上げるべく、
加山雄三の出世作映画「若大将シリーズ」の復活上映の開催も決定し、
8月26日から9月8日までの2週間限定ですでに公開されている。
上映作品は、
シリーズ第一作となる「大学の若大将」、
海の男を象徴する作品「ハワイの若大将」、
歌手・加山雄三の代表曲「君といつまでも」を輩出した不動の人気作品「エレキの若大将」
の3作品。
《上映作品/スケジュール》
①エレキの若大将(94分):2022年8月26日(金)~9月2日(金)
②大学の若大将(82分)
③ハワイの若大将(94分)
※②と③については:2022年9月3日(土)~9月8日(木)に日替わりで上映予定
若大将シリーズは、
東宝が1961年から1971年まで製作した、
全17作から構成される加山雄三主演のシリーズで、
高度経済成長期の大学生の恋とスポーツを描いた青春映画である。
【大学生シリーズ】
『大学の若大将』(1961年・杉江敏男監督)
『銀座の若大将』(1962年・杉江敏男監督)
『日本一の若大将』(1962年・福田純監督)
『ハワイの若大将』(1963年・福田純監督)
『海の若大将』(1965年・古澤憲吾監督)
『エレキの若大将』(1965年・岩内克己監督)
『アルプスの若大将』(1966年・古澤憲吾監督)
『歌う若大将』(1966年)
『レッツゴー!若大将』(1967年・岩内克己監督)
『南太平洋の若大将』(1967年・古澤憲吾監督)
『ゴー!ゴー!若大将』(1967年・岩内克己監督)
『リオの若大将』(1968年・岩内克己監督)
【社会人シリーズ】
『フレッシュマン若大将』(1969年・福田純監督)
『ニュージーランドの若大将』(1969年・福田純監督)
『ブラボー!若大将』(1970年・岩内克己監督)
『俺の空だぜ!若大将』(1970年・小谷承靖監督)
『若大将対青大将』(1971年・岩内克己監督)
『帰ってきた若大将』(1981年・小谷承靖監督)
この他、
草刈正雄が主演の、
『がんばれ!若大将』(1975年)
『激突!若大将』(1976年)
テレビシリーズとして制作された、
「社長になった若大将」(1992年、TBS系)
などがある。
私がこのシリーズの中で最も好きな作品は、6作目の『エレキの若大将』で、
加山雄三の代表曲である『君といつまでも』『夜空の星』が挿入歌として歌われおり、
シリーズの代表作とも言える作品だ。
私は、小学5年生のときに(リアルタイムで)映画館で見ているが、
その後も、名画座の「若大将シリーズ」上映を見たり、レンタルビデオで借りたりして、
幾度となく見続けてきた。
で、先日、
『エレキの若大将』を久し振りに大きなスクリーンで見ることができるということで、
ワクワクしながら109シネマズ佐賀へ駆けつけたのだった。
京南大学対西北大学のアメリカン・フットボール対抗試合は、
若大将田沼雄一(加山雄三)の奮闘もむなしく、
青大将石山(田中邦衛)の作戦無視のために京南大学が敗れた。
やがて卒業期となり、後任の主将に雄一が選ばれた。
部員を売収して、なんとか主将の地位を得ようとしていた石山は、
部員を相手に大荒れしたが、
中にわってはいった雄一のとりなしでおさまり、仲直りのパーティが開かれた。
その帰途、石山の運転する車が、ライトバンと衝突し、
ライトバンに乗っていた若い女・澄子(星由里子)は気絶してしまった。
石山は一緒に乗っていた雄一を拝みたおし身代りをたのみ、
雄一は事故を示談にして解決した。
しかし車の修理代を父親に断られた石山は大弱り。
仕方なく雄一の発案でテレビのエレキ合戦に出て賞金を稼ごうということになった。
ところが、いざ本番となってエレキのメンバーが一人足りず、
近所のソバ屋の出前持ちでエレキ狂の隆(寺内タケシ)を誘って仲間入りをさせた。
雄一と隆のギターは冴え、
不良バンド赤田(ジェリー藤尾)の脅迫にもめげず、見事優勝した。
ところが、
その夜赤田を応援に来ていた令嬢路子(北あけみ)や澄子らとともにクラブに行った雄一は、
うさ晴らしにきた赤田とふとしたことがら喧嘩し大乱闘となり、
警察沙汰になって一カ月の停学処分になってしまった。
おまけに赤田は雄一の家業のすきやき屋「田能久」が融資をたのんだ銀行の頭取りの息子で、
融資は差しどめになってしまった。
怒った雄一の父・久太郎(有島一郎)は雄一に勘当を言い渡した。
一方、隆はエレキ合戦の審査員をしていたプロモーター石原和子(久慈あさみ)に認められ、
雄一とともに日光へ演奏旅行へ出かけた。
そんな時、澄子は石山をだまして交通事故の真相を聞き、
誤解をあやまろうと、日光へ向った。
ところが、石山をだましたことをとがめられた澄子は、ふてくされて東京へ帰った。
が、そのころ東京では「田能久」が営業不能になり、家族はマンションに引っこしていた。
帰ってこれを知った雄一は、
隆の協力を得てエレキバンドを再編成して「田能久」再建の資金を稼いだ。
この雄一の努力で見事「田能久」は再建された。
再建祝賀パーティの夜今は仲直りした石山と雄一の顔は底抜けに明るかった。
この「若大将シリーズ」のストーリーはワンパターンで、(笑)
若大将こと田沼雄一は京南大学の学生で、
一作ごとに(異なる)チャレンジするスポーツがあり、
社会人の澄子(星由里子)と恋に落ち、
ライバルの青大将こと石山(田中邦衛)と毎回恋のさや当て対決をするはめになるが、
紆余曲折あって、
最後はスポーツで優勝し、
澄子ともカップル成立する……という、
なんともご都合主義ハッピーエンドがお決まりの青春映画なのであるが、(爆)
だが、この定番コースが楽しく、
特に『エレキの若大将』は何度見ても飽きることがない。
1967年(昭和42年)から1969年(昭和44年)にかけて日本で大流行することになる、
GS(グループ・サウンズ)ブームに火を付けた作品とも言え、
エレキを弾きながら歌う若大将がとにかくカッコイイ。
日光の戦場ヶ原で、雄一と澄子が「君といつまでも」をデュエットするシーンで、
雄一が仏帳面なのは、
雄一が澄子のためを思って作った曲を、
雄一と(初めて聴いた筈の)澄子がデュエットするはおかしいと、
監督に異議申し立てをしたが聞き入れられなかったためだとか。
だが、この映画のお蔭もあって、
「君といつまでも」は300万枚を超すミリオン・セラーとなった。
後に加山雄三の配偶者となる松本めぐみや、
加山雄三の実の父・上原謙も出演しており、
そういう意味でも記録的、資料的な価値もあり、貴重な作品と言える。
若き日の内田裕也も出演しているが、
この時代の(優男風な)内田裕也を知っていたので、(笑)
後年のエキセントリックな彼を、私は、
〈かなり無理をしているな~〉
と思いながら見ていた。
雄一の祖母役の飯田蝶子は、かなりのおばあさんに見えたが、
調べてみると、『エレキの若大将』の当時はまだ68歳。
今の私と同じ齢なのだ。
ビックリ。
57年も前の映画なので、
出演者やスタッフには亡くなっている人が多い。
岩内克己監督・2022年6月18日死去(享年96歳)
澄子役:星由里子・2018年5月16日死去(享年74歳)
青大将役:田中邦衛・2021年3月24日死去(享年88歳)
江口役:江原達怡・2021年5月1日死去(享年84歳)
田沼久太郎役:有島一郎・1987年7月20日死去(享年71歳)
田沼りき役:飯田蝶子・1972年12月26日死去(享年75歳)
隆役:寺内タケシ・2021年6月18日死去(享年82歳)
赤田役:ジェリー藤尾・2021年8月14日死去(享年81歳)
仁科役:二瓶正也・2021年8月21日死去(享年80歳)
番組司会者役:内田裕也・2019年3月17日死去(享年79歳)
など、
特にここ数年に亡くなった人が多く、
月日の経過をしみじみと感じさせられたことであった。