一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『世界の果ての通学路』 ……いや、むしろ子供たちは「世界の中心」にいる……

2014年09月05日 | 映画
今から50年ほど前、(うわ、半世紀!)
昭和30年代の頃には、
小学校の数が少なかったからか、
私が通った小学校には、
かなり遠くから通って来る児童がたくさんいた。

私は、現在、佐賀県に住んでいるが、
出身は長崎県の佐世保市で、
隠居岳の麓で生まれ育った。
通った小学校の校歌には、
「隠居が岳の白雲が希望の夢をよんでいる」
と、歌詞に隠居岳が出てくる。
隠居岳の山名は、
平家の落人が山中に隠れ住んだとの伝説による。
その平家の末裔が住んでいると思われる集落が、
隠居岳にはいくつかあって、
そんな山の上の集落から通学する児童が、
少なからずいたことを憶えている。
大人になってから、麓から隠居岳山頂へ何度か登っているが、
山の上の集落まで大人の足で1時間ほどかかった。
(ちなみに麓から隠居岳山頂までは約2時間)
当時、小学低学年の児童の足では、
2時間ちかくかかったのではないかと思われる。

山の方からだけでなく、
海の方からも通って来る児童もいた。
昨年、そよかぜさん達と一緒に、平戸街道の早岐宿~佐世保間を歩き、
「平戸街道(早岐宿~佐世保)……私にとってのロマンチック街道……」
(タイトルをクリックすると記事が読めます)
というレポートにまとめたが、
そのとき、海の方から通う児童達の通学路の一部を歩いている。
こちらもかなりの長距離で、
通学時間が1時間以上はかかっていたのではないかと思われる。

前置きが長くなったが、(笑)
このように、昔は、長い距離を歩いて通学する児童が多かった。
そういう体験があったからか、
映画『世界の果ての通学路』は、
少なからぬ親近感を持って鑑賞することができた。

ケニアのジャクソンは、サムブル族の11歳の少年。


長男でしっかり者の彼は、毎日、6歳の妹サロメを連れて、
毎年4、5人の子どもがゾウの襲撃によって命を落とすというサバンナを、
小走りで15kmを2時間かけて学校に通う。
ジャクソンの将来の夢は、飛行機のパイロット。


アルゼンチンのカルロスは、アンデス山脈の牧場で暮らす11歳の少年。


5歳下の妹・ミカイラと一緒に馬に乗って、
パタゴニアの山々や美しい平原を通り、
18kmの道のりを1時間半で通学する。
カルロスは愛する故郷に貢献できる獣医を目指している。


モロッコのザヒラは、
3000m級の山が連なるアトラス山脈の谷間で生まれ育った。


12歳の彼女は、家族のなかで初めて学校に通う世代で、
字が読めない祖母や両親は、医師を目指す彼女を全力で応援している。
全寮制の学校へ通学するため、
毎週月曜日の夜明けに起き、
友達のジネブ、ノウラと一緒に22kmの道を4時間かけて歩く。
金曜日の夕方、3人は同じ道を歩いて家に帰る。


インド・ベンガルの13歳の少年サミュエルは、
未熟児で生まれたため足に障害がある。


そこで、2人の弟が急ごしらえのオンボロ車椅子に彼を乗せて、
1時間15分かけて4kmの道のりを通学する。
学校へ通う道では、毎朝トラブルの連続。
しかし、彼らは困難も貧乏も笑い飛ばす強い絆で結ばれている。
サミュエルは、同じような障害をもつ子供を助けるために医者を目指している。


映画では、
この全く異なる4つの地域の通学路に密着し、
遠い道のりを学校へ通う子供たちの姿をカメラが追う。

サバンナを命がけで駆け抜ける兄妹、


見渡す限り誰もいない広大な平原を馬と一緒に通学する少年、


アトラス山脈を越えた22km先を目指す3人の少女たち、


幼い弟たちと共に車椅子で学校へ向かう障害をもつ少年の姿は、
観る者の心を打つ。


困難な状況の中でも、
子供たちの学ぼうとするひたむきな気持ちと、
その子供たちを支える家族の愛。


地球を、大自然を、
「通学路」という切り口で捉えたこのドキュメンタリーには、
希望と感動が詰まっていた。


原題は『ON THE WAY TO SCHOOL』だが、
邦題は『世界の果ての通学路』。
「世界の果ての」と付け加えたところに、
我々日本人の驕りがあるような気がする。

日本では、教育を受けることは、義務であり権利でもある。
にもかかわらず、
日本の教育現場では、様々な問題が発生している。
いじめ、不登校、引きこもり、学級崩壊……
自殺や殺人事件も、もはや珍しいものではなくなってきた。

映画の中の道が、夢あふるる通学路であり、
通学路の先に希望が見えたのに対し、
スクールバスをはじめ交通機関が整った現代日本の通学路の先には、
果たして希望が見えているだろうか……

学ぶ意欲のある子供のいる場所は、
いつの時代でも「世界の中心」だ。
たとえ辺境の地であっても「世界の中心」だと思う。
決して「世界の果て」ではない。
このドキュメンタリー作品に出てきた子供たちは、
我々日本人よりも、ずっと「世界の中心」にいるように感じた。


佐賀では、シアター・シエマにて、
8月30日~10月10日迄上映中

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