「全国書店員が選んだ いちばん!売りたい本 2016年本屋大賞」の発表会が、
4月12日(火)に明治記念館で行われた。
本屋大賞とは、
2004年(平成16年)に設立された、
NPO法人 本屋大賞実行委員会が運営する文学賞で、
一般の文学賞とは異なり、
作家・文学者は選考に加わらず、
「新刊を扱う書店(オンライン書店を含む)の書店員」の投票によって、
ノミネート作品および受賞作が決定される。
一次投票では、全国435書店から552人が投票し、
ノミネート10作品が決定。
二次投票には、276書店から331人の投票があり、
(二次投票ではノミネート作品をすべて読んだ上でベスト3を推薦理由と共に投票。各順位の得点は、1位=3点、2位=2点、3位=1.5点で集計される)
その結果、
2016年本屋大賞に、
『羊と鋼の森』宮下奈都(文藝春秋)が決まった。
順位は、次の通り。
大賞『羊と鋼の森』 宮下奈都(文藝春秋)372点
2位『君の膵臓をたべたい』住野よる(双葉社)327.5点
3位『世界の果てのこどもたち』中脇初枝(講談社)274点
4位『永い言い訳』西川美和(文藝春秋)261点
5位『朝が来る』辻村深月(文藝春秋)229.5点
6位『王とサーカス』米澤穂信(東京創元社)226.5点
7位『戦場のコックたち』深緑野分(東京創元社)223点
8位『流』東山彰良(講談社)99点
9位『教団X』中村文則(集英社)93点
10位『火花』又吉直樹(文藝春秋)46点
『羊と鋼の森』は、
TBS系「王様のブランチ」ブックアワード大賞を受賞し、
キノベス!(紀伊國屋書店スタッフが全力でおすすめするベスト30)でも第1位となり、
3冠を達成。
現在、もっとも話題になっている小説なのである。
『羊と鋼の森』に寄せられた全国の書店員さんの声を紹介すると、
なんて美しい小説なんだろう。
僕が今まで読んだどの小説よりも美しかった。
(広島県・Eさん)
「特別」ではなくても、生きていく、生きようとする。
そんな意思への肯定と祝福に満ちた物語だ。
(大阪府・Oさん)
一生をかけたいもの、目標としたいひと、尊敬する先輩、叶えたい夢。私にも、ある。頷きながら、森を歩んだ。
仕事をこれからする人にも、何かに行き詰っている人にも、手に取ってほしい。
(東京都・Fさん)
初心を忘れたころに、なにかに立ち向かおうとするあなたに。
この物語を強く強くおススメします。
(東京都・Hさん)
自分の本当にやりたかったことは何か、原点を鮮やかに思い出させてくれる作品だ。
さあ、恐れるな、世界を恐れるなと背を撫でてくれる一冊。
(富山県・Nさん)
ここに読書の喜びがある。
読書でこんなに幸せになれるとは思わなかった。
この幸せを一人でも多くの人に感じてもらいたい。
(千葉県・Oさん)
など、書店員さんから絶賛され、強くプッシュされている本なのである。
〈ならば読んでみようか……〉
と、近くの図書館のHPで検索すると、
貸出中ではあったが、予約はゼロだったので、(田舎の図書館なので……)
すぐに予約し、数日後には借りることができた。(買わなくスミマセン)
そして、読んでみた。
ピアノの調律に魅せられた一人の青年の話で、
彼が調律師として、人として成長する姿を、
透明感のある文体で綴った小説であった。
『羊と鋼の森』は、こんな文章で始まる。
森の匂いがした。秋の、夜に近い時間の森、風が木々を揺らし、ざわざわと葉の鳴る音がする。夜になりかける時間の、森の匂い。
問題は、近くに森などないことだ。乾いた秋の匂いをかいだのに、薄闇が下りてくる気配まで感じたのに、僕は高校の体育館の隅に立っていた。放課後の、ひとけのない体育館に、ただの案内役の一生徒としてぽつんと立っていた。
目の前に大きな黒いピアノがあった。大きな、黒い、ピアノ、のはずだ。ピアノの蓋が開いていて、そばに男の人が立っていた。何も言えずにいる僕を、その人はちらりと見た。その人が鍵盤をいくつか叩くと、蓋の開いた森から、また木々の揺れる匂いがした。夜が少し進んだ。僕は十七歳だった。
いきなり、ピアノを森に喩える言葉が並び、
なんだか純文学的な書き出しだったので、ちょっと身構えたが、
このような文章が所々に挟まるものの、
全体の文章は平明で、読みやすく、
240頁ほどの小説は、短時間で読み終えることができた。
小説のタイトル『羊と鋼の森』も、
羊:ピアノの弦を叩くハンマーに付いている羊毛を圧縮したフェルト
鋼:ピアノの弦
森:ピアノの材質の木材
であることも判り、
ピアノ、およびピアノの音を、「森」に形象することで、
言葉にしにくい感覚的なものを、読む者にスッと解らせる。
未来に不安を抱く悩み多き若者には、共感される作品だと思った。
で、未来のない悩み無きジジイ(笑)の私の読後感はいうと、
これが困ったことに、「薄い」のだ。
最後まで読み通せたし、
読後感も悪くなかったが、
「それだけ」だった。
「濃いィ~」人生を歩んできた私には、(爆)
なんだか、薄めのスープを飲まされたようにしか感じなかった。
小説に現実味を感じられず、
ファンタジー小説を読まされたような気分になったのだ。
(私はファンタジー小説をあまり好まない)
それは何故なのか?
理由をいくつか挙げてみる。
この物語の時代背景が分らない。
年号はおろか、時代を推測できるような事項は一切書かれていないので、
いつの頃の物語なのかが分らない。
街の描写や、車の車種や、時代が判るような商品名などがまったく表記されていないので、
なんだか夢物語のような印象を受ける。
この物語の場所の印象が希薄。
「生まれて初めて道を出た」という記述があるので、
一応、舞台は北海道ということは判るが、
北海道らしい風景描写や方言等もなく、
舞台となる「場所」にまったくリアリティがない。
人物描写が平板。
登場人物は、ほとんどピアノおよびピアノの音についてしか話さず、
その他のことにはまったく興味がないみたいだ。
多少の葛藤は記述されているものの、
人間としての、様々なものに対する欲望みたいなものが消去されている。
これらのことは、
作者が意図的にやったことなのかどうかは分らないが(たぶんそうだと思うが……)、
これほど「時代」や「場所」や「人物」についての情報がないと、
「ファンタジー小説」、あるいは「大人のための童話」にしか思えなくなってしまう。
たとえば、
いくら比喩にしても、
「森の匂い」という言葉に、まったく「匂い」が感じられない。
「森の匂い」は、
「土の匂い」「樹木の匂い」「草の匂い」「獣の匂い」などの他に、
季節、温度、湿度、風などが複雑に絡み合い、
その森の匂いを創り出す。
場所が違えば、「森の匂い」も違う。
一様ではないのだ。
長年、山歩きをしたり、森で寝たことのある者ならば、
それは誰しも解ること。
作者は、「森の匂い」という言葉ひとつにしても、
安易に使い過ぎているような気がした。
それは、実体験の無さからきているものなのか……
想像力だけではカバーしきれていないように感じた。
ただ、この手の小説が、若者にウケること、
このような小説が、若者に好まれるであろうことも解る。
が、ジジイの私には、やや物足りなかった。
この『羊と鋼の森』は、
第154回直木賞の候補(結果は落選)にもなっていたので、
選評(『オール讀物』2016年3月号)を読んでみることにした。
(ちなみに受賞作は、青木文平『つまをめちらば』)
肯定的に評価している選考委員は4人。
北方謙三
やさしい書き方で、表層的に進んでいくのかと思ったが、主人公がはじめてピアノの調律というものを見て、引きこまれていくところから、私は予期していない世界に入りこんだ。調律という行為も、表現だと思えたのだ。繊細な職人の技のように書かれているが、技だけではない深さを感じた。ピアノの一台一台に命があり、それとむき合っている。だから、静かな中に緊迫感が漂い、行間からさまざまなものが溢れ出してくる。小説を読む心地のよさがあり、良質な世界を見せてくれた、と感じた。これは推したい、と私は思った。
宮部みゆき
宮下奈都さんの作品は初めて拝読したのですが、『羊と鋼に森』の水のように染みこんでくる文章に魅せられました。当初、外村が調律師として生きている作中の時代がいつなのかわからないことに引っかかり、私はこの作品が大好きだけれど、広く一般に、まず楽しみとして読まれる直木賞の受賞作は5W1Hがはっきりしているべきではないか、これは現実性や具体性より普遍性を重んじる芥川賞向きの作品ではないかと思いました。が、選考会で「これは調律師のお仕事小説ではなく、誰かのために世界を整える人の物語なのだ」という意見に触れ、このナイーブな抽象性はファンタジー小説のものなのだと気がついて、引っかかりが消えたのです。
伊集院静
宮下さんの『羊と鋼に森』には、冒頭からみずみずしさがあった。私は常日頃から、みずみずしい文章の作品を書きたいと思っているが、なかなかそういう文章は書けない。宮下さんの小説には、そのみずみずしさが失せることがなかった。そうなるとこの作品のストーリーの問題よりも、作者がなぜ小説という表現を選んだのかという、命題が感じられて、気持ちが良かった。他選考委員から作品の世界がやや小振りだという評が出たが、そんなことはない。こんなに悠久を感じる作品はない。
宮城野昌光
宮下奈都氏の『羊と鋼に森』は若い調理師の話である。当然、そこにある森とはピアノのことで、実際の森と呼応させた書きかたをしている。行儀のよい作品、というのが私の印象ではあるが、その行儀のよさが作品の弱みとみまちがえされないか、という懸念があった。この作者は豊富な知識をあえて顕現しないように心をくばっていたようであり、また猥雑なイメージを排除するために、非現実の音を創るピアノをわかりやすい森の形象に帰すことをくりかえしてゆく。そのいさぎよさにも好感をもった。二度、三度とくりかえし読みたくなる作品である。この作品からは、作者の風尚が感じられる。
一方、否定的な評価の選考委員は5人。
林真理子
宮下奈都さんの「羊と鋼の森」は、私には物足りなかった。主人公の内への向かい方、登場人物のキャラクターが、少女コミックに思えてくる。音楽を寓話にまで高めるには、いろいろなものが足りない。
浅田次郎
宮下奈都氏「羊と鋼の森」は、選考委員の評価が二分された。是非論はともに理解できるのだが、それは読み方のちがいというものであろう。私には古典的な成長小説、もしくは自然主義風の日常小説というほかに、さしたる感懐はなかった。
高村薫
宮下奈都氏の『羊と鋼に森』は右三作と異なり、ピアノの音に慣れ親しんだ作者の身体感覚が紡いだ作品ではある。ピアノの音が作者のなかで鳴っているのが感じられるような種々の表現は、どれも静謐でうつくしいが、そこから広がってゆかない。作者はピアノの音に耳をすますことはできるが、残念ながら人間に見入ることができていない。そのため、描かれる人物がみな平板で定型を出ておらず、読後感も平板である。
桐野夏生
『羊と鋼に森』
音楽を森に喩える主人公の造型が素晴らしい。特に欠点もなく、美しい作品だと感心したが、主人公の外村に、実年齢に相応しい格闘が見られない点が気になった。真面目で聞き分けがよく、青春の葛藤や暗さが微塵も感じられない。北海道の原始的な森の恐怖や暗さが描かれていないのと、どこか通じているようにも思えた。「ふたご」の逸話も、もう少し読みたかった。
東野圭吾
『羊と鋼に森』は、私には合格点に達しているようには思えなかった。調律師の仕事内容や環境について書かれているが、その上に読者を楽しませようとするドラマが構築されていない。職人を取材すれば、いろいろと興味深い蘊蓄を聞けるだろうが、そこからのもう一歩が足りないと感じた。たとえばオリジナリティ溢れる法螺話が一つでも入っていれば、印象は大きく違ったかもしれない。
この中では、
私の意見は、宮部みゆき、高村薫、桐野夏生の三氏の評に近い。
やはり、ファンタジー小説にしか思えなかったからだ。
直木賞の選考委員でも意見が二分されているくらいだから、
一般の読書人ならなおのこと、
様々な意見が出てもおかしくはないであろう。
あなたの意見は如何。
本屋大賞受賞作ということで、
いつかは映画化されるだろう。
映画になれば、
原作である小説に「時代」や「場所」や「人物」についての情報がなかったとしても、
映像としてそれを鑑賞者に見せなければならない。
小説にはなかった、それら映像化された情報が、
血となり肉となって、
小説とはまったく違った芸術作品として生まれ変わるかもしれない。
情報がないことで、かえって優れた映画になる可能性もある。
傑作映画として登場するかもしれない。
映画『羊と鋼の森』が公開される日を待ちたいと思う。
宮下奈都氏と、私の好きな(コラコラ)中江有里氏のスペシャル対談