一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

屋久島縦走……これ以上望むべきものなどない旅……

2008年05月05日 | 山岳会時代の山行
5月2日の深夜1時(日付は5月3日)、唐津市鏡の「古代の森」を出発した車が、1時35分、多久IC入口に着く。
私はここで車に乗り込む。
これで、参加者8人が揃った。
テツさん、テツJr.(コウくん)、マサルⅡさん、タツミさん、ヤマさん、イチさん、キンさん、タクの8人。
18歳から69歳まで(平均年齢50歳)の、個性豊かな、バラエティに富んだ面々だ。
運転を交代しながら、一路鹿児島港を目指す。
途中、24時間営業のレストランで朝食をとり、7時45分の高速船トッピーに乗り込む。
トッピーが出発して、しばらく経った頃、彼方に開聞岳が見えてきた。
からつ労山の月例山行で、一昨年の秋に登ったことが思い出された。
さすが、薩摩富士。
美しい!


船が宮之浦港に着くと、タクシーに分乗し、白谷雲水峡へ向かった。
5月3日、午前10時33分。
白谷雲水峡を出発。


二代杉、さつき吊橋、くぐり杉などを通過し、「もののけ姫の森」に着く。
ここら辺りまでは、普通の観光客が多い。


すべてのものに苔が生えている。
無機質な石や岩、すでに朽ち果てたと思われる倒木にも、苔はびっしりと生えている。
ここでは、死は存在しないかのようだ。
死に生が重なり、その生に死が重なる。
その死を苔が覆い、再び生が始まる。
本来、生も死も、ひとつのものであるのだろう。
「もののけ姫の森」は「生命の森」だった。


白谷雲水峡から1時間ほどで、辻峠に着く。
ここでザックをデポし、太鼓岩に向かう。
この太鼓岩からの眺めが素晴らしかった。


宮之浦岳や永田岳など、奥岳の連なりが見渡せるのだ。
雲ひとつない快晴!
信じられないような大パノラマだ!




辻峠に戻り、ここで昼食。
12時30分に、辻峠を出発する。
しばらく歩いていると、ヤクシカを発見!
想像していたものより、かなり小さい。
屋久島の山を歩いていると、普通にシカやサルを見ることができる。


13時に「楠川分かれ」に到着。


ここからは、トロッコ道が続く。


中年版「スタンド・バイ・ミー」♪


14時14分、大株歩道入口に着く。
ここから、本格的な屋久杉と対面することになる。
14時40分、翁杉に到着。
胸高周囲12.6m。
この杉には、多くの樹木が寄生している。
人の好いおじいさんといった感じの杉だ。


14時45分、ウィルソン株に到着。
胸高周囲13.8m。


江戸時代の伐り株跡で、中は空洞。
空洞の中には祠が祀られていて、この祠の反対側から屈んで上を見ると、このように見える。
そう、ハートの形に見えるのだ。


ウィルソン株を出発すると、傾斜が急になり、苦しい登りが続く。
やがて大王杉に着く。
縄文杉が見つかる迄は、屋久島最大の杉だった。
故に「大王」杉。
胸高周囲11.1m、樹高24.7m、推定樹齢3000年。


夫婦杉。
『連理の枝』という韓流映画があったが、この杉はまさに連理の枝。
胸高周囲(夫)10.9m(妻)5.8m、
樹高(夫)22.9m(妻)25.5m、
推定樹齢(夫)2000年(妻)1500年。


16時、ようやく縄文杉に到着。
胸高周囲16.4m、樹高25.3m、推定樹齢2000年~7200年。


屋久島に来たからには、一度は見ておきたい縄文杉。
いろんな人が、縄文杉に逢った時の印象をエッセイにしているが、縄文杉に対する期待が大きすぎたせいか、評判はあまり良くない。
写真や映像で勝手にイメージを大きく膨らませ、いざ縄文杉と対面してみると、想像していたものより迫力が感じられないらしい。
生命力に溢れ、今にも襲いかかってくるような巨木をイメージしていた人が多く、作家の森絵都も『屋久島ジュウソウ』の中で、確か「ミイラのようだった」と表現していた。
誰がどのような感想を持とうと、縄文杉は縄文杉である。
それ以上でもなく、それ以下でもない。
根っこの踏みつけなどによる被害をなくす為、現在は展望台が作られており、少し離れた場所からしか見ることができない。
だからなかなか大きさを実感できないらしいが、やはり堂々とした巨樹である。
展望台がなかった昔は、この縄文杉の根っこで一夜を明かした人も多いと聞く。
もはや、縄文杉の下で眠ることはできないが、屋久島の山奥の無名の杉だったら、それは可能だろう。
いつの日か、一人で屋久島に来て、一本の巨大な杉の下で眠りにつけたら……と、私は思った。


16時25分、高塚小屋通過。
17時40分、新高塚小屋に到着。
ここでテント泊。


真夜中、目が覚めて、テントのファスナーを開けて、夜空を見て、驚いた。
天が星の輝きで埋め尽くされていたのだ。
いったい何等星まで見えているのだろう。
夜空がシャンデリアのように輝いている。
私が住んでいる場所も田舎なので星がよく見える。
だが、ここで見る星の数は、その何倍もある。
この星を見ることができただけでも、屋久島に来た甲斐があったと思った。

5月4日、午前6時45分、新高塚小屋を出発。
今日も快晴。
今回、「嵐を呼ぶ男」の異名を持つ雨男のイチさんが参加しているのだが、2日続けての快晴。
一ヶ月に35日雨が降るといわれる屋久島で、何という幸運!
新高塚小屋から歩いてすぐの第一展望台、第二展望台からの眺めも素晴らしく、なかなか歩が進まない。




縦走路にはアセビの花が目立っていた。


8時45分、焼野三差路に到着。
ザックをデポし、永田岳に向かう。
9時35分、永田岳山頂着。
ここからの眺めも抜群だ。
向かいに見える宮之浦岳が美しい!


屋久島を縦走していると、深い森が続き、ここが島であることを忘れている。
しかし、山頂に立つと、遠くには海が見え、自分がいま島にいることを再認識させられる。
この小さな島に、九州最高峰を含む2000m近い山々が数多く存在することに、驚きを禁じ得ない。


永田岳山頂の大きな岩の上で、若い女性が一人、両足を広げて寛いでいた。
話しかけてみると(オイオイ)、一人で広島県からやってきた女性だった。
そのYさんという美しい女性は、我々とほぼ同じコースをたった一人で縦走しているとのこと。
このコースは、男でもけっこうハードなコースである。
正直、驚いた。
屋久島に来て感じるのは、若い人が多い事。
福岡、佐賀、長崎の山を登っていると、若い人はあまり見かけないが、この屋久島では若者が目立つ。
山に若い人が多いことは、実に嬉しいことだ。
Yさんとしばらく話をし、記念に、ツーショットで写真を撮らせて頂いた。(コラコラ)


10時25分、焼野三差路に戻る。
途中の水場で、ペットボトルに水を補給する。
屋久島は水場が多く、水に困ることはほとんどない。


10時50分、宮之浦岳山頂に到着。


山頂は人でごった返していた。
特に淀川登山口から登ってきた人が多く、登頂した後に記念写真を撮り、すぐに引き返す団体が多かった。
宮之浦岳山頂での昼食は無理だったので、少し歩いて、栗生岳近くの岩場で昼食にした。
昼食を終え、投石平の方に歩いていると、登って来る団体の中にどこかで見た人が……
「あっ、大川山人会の人達だ」と思い、最後尾を歩いていた二人に声をかけた。
「えみこさんと画伯でしょ?」
二人とも、とても驚かれていた。


えみこさんは「えみこの山日記」というHPを運営されているので、それをよく見ていた私は、えみこさんの顔はHPの写真で知っていた。
でも初対面である。
画伯には、私は一度だけであるが、絵を教わっていた。
佐賀新聞の主催で、「山に登って絵を描こう」というような企画があり、私が参加した時の講師が画伯であった。
えみこさんのHPに、GWは「春山合宿・屋久島」と書かれてあったので、もしかするとと思ってはいたが、まさか本当に会えるとは……
嬉しい出会いであった。

「大川山人会」←ここをクリックしてね

「えみこの山日記」←ここをクリックしてね

この後、佐賀労山のパーティとも会い、出会いの連続に本当に驚いた。
この後も、いろんな人達と出会い、素晴らしい風景の中を快適に歩いて行った。


天候にも恵まれ、出会いにも恵まれ、何もかもがうまくいって、私は有頂天になっていた。
そんな浮かれた私の心に、スキが生じていたのだろう。
この後、私はとんでもない失敗をやらかしてしまうのである。
途中の水場で、水をペットボトルに補給している時、デジカメを水の中に落としてしまったのだ。
「アッ」と思った時には、もう遅かった。
デジカメは、水深30cmほどの水底に沈んでいた。
慌てて引き上げたが、防水のカメラではなかったので、デジカメの中に水が入ってしまっていた。
丁寧に水を拭き取り、電源を入れてみたが、もはや作動する気配さえ見せなかった。
私は、メモリーカードを取り出し、それをティッシュで拭いた。
カメラは駄目でも、せめてメモリーカードの画像だけでも残せればと思ったのだ。
もし、このメモリーカードもデータが消えていたら、これまで撮った写真は、すべて無になってしまうのだ。
太鼓岩からの眺め、ウィルソン株、縄文杉、宮之浦岳、永田岳……
それだけではない、出会った人達の写真も消えてしまうのだ。
私は、祈るような気持ちで、そのメモリーカードを家に持ち帰った。
そして、すぐに近くのカメラ屋さんに行き、メモリーカードを調べてもらった。
結果は○
画像はメモリーカードの中に残っていた。
私は嬉しくてたまらなかった。
デジカメを落とした場所が、もし汚いドブのような場所だったら、データは消えていたかもしれない。
屋久島のきれいな水が、データを守ってくれたのだ。
もし、メモリーカードの中のデータが消えていたら、こうしてブログを更新することもできなかった。
デジカメは使えなくなったが、こうして写真をブログに載せることができただけでも、幸運と思わなくてはならないだろう。
よって、私が撮った写真は、ここで終わる。

この後、我々は、黒味岳に登った。
黒味岳山頂からの眺めも素晴らしかった。
この山頂で、テツさんの音頭で、万歳三唱をした。
我々の声が、屋久島の山々に響き渡っていった。

(写真提供・テツさん)

花之江河でテツさんに写真を撮ってもらった。
私はデジカメを水に落としたことで、かなり気落ちしていた。
テツさんから、「もしメモリーカードのデータが消えていたら、私の写真を使っていいから」と言ってもらった。
嬉しかった。

(写真提供・テツさん)

淀川小屋に着くと、小屋の中にはまだかなりスペースが空いていた。
皆と相談して、テント泊は止めて、小屋泊まりにすることに決定。
さっそく空いた場所にマットとシュラフを広げて、外で夕食にした。

翌朝4時頃だったろうか、小屋の屋根を打つ雨音で目が覚める。
もし、テント泊していたら、テント撤収が大変だったに違いない。
またまた、われらからつ労山に、幸運は舞い降りたのだ。
「小屋に泊まって良かったね」と、その後皆で話し合ったことであった。
5月5日、午前7時30分、雨の降る中、淀川小屋を出発。
今日は、紀元杉まで、僅か1時間半ほど歩くだけだ。
屋久島縦走は、もうほとんど昨日までで終わっていた。
2日間、晴天が続いたので、「屋久島の雨も体験したいよね」などと、贅沢なことを言っていたのは昨夜のこと。
こうして、雨の中を歩くことができて、もう何も言うことはない。
川上杉の前で記念撮影。

(写真提供・テツさん)

そして、最終目的地「紀元杉」の前で、記念撮影。

(写真提供・テツさん)

これで、すべてが終わった。
天候にも人にも恵まれ、最高の縦走であった。
これ以上、望むべきものなどなにもない。
それほど充実した山行だった。
また、いつの日か、屋久島に来たいと思った。
これは、今回参加した全員、私と同じことを思ったのではないかと思う。

最後に、
今回の屋久島縦走を企画し、車を提供してくれたテツさん、ありがとう!
会計を担当し、船の予約など、煩わしい作業を引き受けてくれたキンさん、ありがとう!
重いビデオを抱え、思い出に残るようにと我々を撮影してくれたマサルⅡさん、ありがとう!
記録係として、正確な時間と行動を細かく記していたヤマさん、ありがとう!
重い4人用テントを入れたザックを背負い、いつも力強く歩いていたイチさん、タツミさん、ありがとう!
そして、最年少のテツJr.のコウくん、7人のおじさんたちにつき合ってくれて、ありがとう!
今回の屋久島縦走が、コウくんにとって、良き思い出になってくれると嬉しいです。

みんな、本当に、本当に、ありがとう!

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4 コメント

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お天気に恵まれ幸運でした(*^_^*) (bamboo)
2008-05-08 15:01:47
メモリーカードが使えたのも本当にラッキー重ねでしたね
嵐を呼ぶ男も敵わない、強い守り神がきっと付いていたのでしょう。
森絵都を始めとし、他の女性作家も屋久島にはかなり惚れ込んでいますが、私は亡くなられた山尾三省さんの詩がきっかけで屋久島にとても興味を持ちました。彼は東京から移り住み、がん発病後も生涯をその地で閉じた記憶があります。

夜空がシャンデリアのように輝いている星空を観にいきたい
もののけの森で「生きろ」と叫ぶのも良いかも~♪。地図は2年前に購入済みなんだけど
>福岡、佐賀、長崎の山を登っていると、若い人はあまり見かけないが、この屋久島では若者が目立つ。
山に若い人が多いことは、実に嬉しいことだ

東京近郊の山々も老若男女、年齢層が厚いですね。

ウィルソン株のハートと若い女性の後姿を写されたタクさんに、奥多摩でのデートの思い出を重ねるとですね?


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ラッキー! (タク)
2008-05-09 02:51:02
bambooさんへ

メモリーカードのデータが残っていて、本当にラッキーでした。
カメラが水に落ちたのは、「カメラに頼らないで、もっと自分の目でしっかり見るように」という、山の神様のお計らいだったのかもしれません。

「山尾三省さんの詩がきっかけで屋久島にとても興味を持ちました」というのは、いかにもbambooさんらしいですね。
普通の人は、「世界遺産」や「縄文杉」や「もののけ姫の森」などのキーワードに惹かれて興味を持つと思います。
山尾三省の著書は、先日、県立図書館から借りたの中に
『「屋久島の森」のメッセージ』(大和出版)がありました。
詩集はまだ読んだことがないので、ぜひ読んでみたいと思います。

山に対する興味は、田舎の人より、都会の人たちの方が強いですね。
東京に住んでいたとき、駅などでよく登山の格好をした人々を見かけましたが、当時の私にはそれが不思議でした。
bambooさんが仰っておられるように、東京は、本当に登山に適した場所のように思います。
九州に住んでいると、北アルプス、南アルプスは、かなり遠いですが、東京からだとそれほどでもない。
割と気軽に行ける。
富士山も近いし、東北の山にもアプローチしやすい。
こう考えると、また東京に住んでみたいと思いますね。
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屋久島、お疲れさまでした (画伯)
2008-05-10 17:08:22
タクさん、屋久島でお会いした画伯です。
画伯なんておこがましいいのですが、あくまでニックネームですから。。。。
今回、私たちもコースは同じなのですが逆廻りで歩いてきました。屋久島は32年前の冬、雪に苦しみ歩いたことがあります。当時、駆け出しの私には、きつかった思い出が印象に残って、景色なんぞは意識もうろうとしてあまり浮かんで来ない状態でした。何せ暗くなって宮の浦岳直下で雪を掘ってのビバーグでしたからね。。。
しかし今回は、しっかりと屋久島を味わうことが出来、悠久の時の流れや重なり、生命の躍動感、様々な表情を持つ屋久島の自然に感動する事が出来た山旅になりました。
☆の美しさも格別でした。又ゆっくりスケッチブックを持って行きたいと思いました。
それから、デジカメ水没は残念でしたね。私も沢登りで2度水没させてしまいましたが、ボディ-のネジをゆるめ電球の光で温めながら、時間をかけて乾燥させたら2度とも復活しました。
最後に、太宰府・宝満山登山口近くに「山の図書館」というものがあります。私はたまに、そこのボランティアスタッフもしています。
よろしかったら、お立ち寄り下さい。
又、山でお会いできることを、楽しみにしています。
それでは!!

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またいつの日か、どこかで… (タク)
2008-05-11 02:56:36
画伯 様

コメントありがとうございます。
画伯に初めてお会いしたのは、2005年の秋だったと思います。
多良岳の金泉寺でのスケッチでした。
温和な人柄な方で、優しくスケッチの描き方を教えて頂きました。
その節は、ありがとうございました。
最近は、私の愛読している情報誌『タウン情報さが』の山登りのコーナーで、大川山人会の方々と共によく見かけますね。
活発に活動されておられるご様子をいろんな媒体でお見かけし、嬉しく思っております。
屋久島は、私にとっては初めての場所でした。
今回は、白谷雲水峡、ウィルソン株、縄文杉、宮之浦岳、永田岳、黒味岳、紀元杉と、よくばりコースでしたが、天候にも恵まれ、素晴らしい山行ができました。
またいつの日か、屋久島を歩けたらと思っております。
大川山人会の皆様とも、またどこかでお会いするかと思います。
その時を楽しみに、今後も山登りを続けていきたいと思っています。
今後とも宜しくお願い致します。
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