一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『波紋』 ……荻上直子監督のオリジナル脚本が秀逸な筒井真理子の主演作……

2024年01月25日 | 映画


第10回「一日の王」映画賞(2023年公開作品)の発表を2月の上旬に控え、
1月中は、集中して、
昨年(2023年)公開された映画で、見たかったけれども様々な理由で鑑賞が叶わなかった作品を遅ればせながら見ている。
今回レビューを書くのは、荻上直子監督作品『波紋』
見たかった理由は、二つ。
➀荻上直子監督作品であるから。


➁筒井真理子の主演作であるから。




かつての荻上直子監督作品は、
『バーバー吉野』(2003年)
『かもめ食堂』(2006年)
『めがね』(2007年)
『トイレット』(2010年)
『レンタネコ』(2012年)

などが評価されており、
(スローライフ的な)その独特の作風で、
女性から圧倒的な支持を得ているという印象が強かったし、
その分、男性からは、やや物足りなさを指摘する声もあり、
なんだか同じような映画ばかり……という印象を抱かれもしていた。
私もそんな一人であったのだが、
『彼らが本気で編むときは、』(2017年)を見て、考えが一変した。
……生田斗真と柿原りんかの演技が秀逸な傑作……
とのサブタイトルを付してレビューを書いたのだが、
トランスジェンダーのシビアな現実を描いており、
荻上直子監督作品らしいゆったりとした空気感は残しつつも、
内容でかなり「攻めていた」し、
もう一段高い所に到達した作品だと思った。


そして、2022年公開された映画『川っぺりムコリッタ』では、
荻上直子監督は更なる進化を遂げていた。
……満島ひかりの演技が凄い荻上直子監督の傑作……
とのサブタイトルを付してレビューを書いたのだが、
『彼らが本気で編むときは、』と同様に、
前半は、いつもの「ゆったり」とした空気感で経過するが、
後半は、前作以上に「攻めた」内容で、
特に、満島ひかりと松山ケンイチの演技は凄みがあり、圧倒された。
夫を亡くした大家さんの南詩織を演じた満島ひかりの、
夫の遺骨との性愛シーン(これはちょっと言葉にはできないほど凄い)には仰天したし、
山田(松山ケンイチ)が亡き父親の遺骨を砕くシーンにも感心させられた。
このように、スローライフ的な作風の映画から脱皮し、
一作毎に進化している荻上直子監督の新作『波紋』はぜひ見たいと思っていた。



女優・筒井真理子については、以前は、
名前だけは知っているという程度の認識であった。
そういう意味では、
私はまだ筒井真理子に出逢っていなかった。
私が彼女と「真に出逢った」と感じたのは、
深田晃司監督作品『淵に立つ』(2016年)を見たときだった。


筒井真理子を再発見できた喜びを、
私はレビューで次のように記している。

この映画を見て、実は、
浅野忠信よりも、古舘寛治よりも、
筒井真理子が強烈に印象に残った。
『淵に立つ』は、筒井真理子の映画だった……と断言しても、
あながち間違いではないと思えるほどの、素晴らしい演技であった。
最初に登場した時は、
10歳の娘がいるという設定もあってか、
どう見ても30代の魅力的な女性に見えた。
八坂(浅野忠信)が思わず抱きしめたくなるような、
唇を奪いたくなるような、
それが納得できるような、そんな女性に見えた。



8年後の章江(筒井真理子)を見て驚いた。
40代になり、相応に贅肉がつき、
あの魅力的な章江ではなくなっていた。
この演技のために、3週間で13キロも体重を増やしたという。
体型だけでなく、動作や、言葉遣いや、表情までもが、
8年前の章江ではなくなっていた。
その変身が見事であった。



そして、もっと驚いたのは、
このレビューを書くために、
あらためて筒井真理子のプロフィール(Wikipedia)を見た時だった。
1962年10月13日生まれ、54歳(2016年12月現在)。
(※別に、1960年10月13日生まれとの説もある)
「え~~~」と、思わず叫んでしまった。
「さすが女優」と、うなった。
30代に見え、40代に変身し、実は50代だったという……
げに恐ろしきは女優なり。
『淵に立つ』という映画は、
章江(筒井真理子)の変化が、そのまま家族の変化になっている。
その章江の表情やしぐさや体型で、
鈴岡家の“時間の経過”が解るようになっている。
それを、筒井真理子は、見事なまでに演じきっている。
主戦場は舞台やTVドラマであり、
最近は、松本明子と漫才コンビ「つつまつ」を結成し活動しているようであるが、
これからは、映画にも、もっと出演してもらいたいと思った。
本作は、映画女優・筒井真理子を再発見できた記念すべき映画だったといえる。


(全文はコチラから)

第3回「一日の王」映画賞・日本映画(2016年公開作品)ベストテンで、私は、
『淵に立つ』を第5位に、
そして、筒井真理子を最優秀主演女優賞に選出した。(コチラを参照)
筒井真理子はそれほどのインパクトを残したのだった。


その『淵に立つ』の深田晃司監督と筒井真理子が、
再びタッグを組んだのが、2019年に公開された映画『よこがお』だった。
そのレビューで、私は筒井真理子を次のように論じている。

市子・リサを演じた筒井真理子。


TVドラマや他の監督作品で見る筒井真理子よりも、
深田晃司監督作品で見る筒井真理子の方が、
より美しく、魅力的だ。
そもそも、なぜ『よこがお』というタイトルなのかというと、


このタイトルについては、最初、新聞に載った主演の筒井さんの横顔がきれいだったことがあり、プロデューサーと盛り上がって、そのまま勢いで『よこがお(仮)』としていました。

と深田晃司監督が語っていたが、(コラコラ)
筒井真理子の横顔の美しさに起因していたのだ。
人の顔というのは、左右対称のようでありながら、実はそうではない。
左右の横顔はかなり違って見える。
二面性の象徴であり、かなり意味深なタイトルと言える。



世の中の理不尽にどんどん弾かれ居場所を失いながら、裏切った者への復讐を企てつつも、結局は運命を受け入れ生きていく――。脚本開発のなかで、そんなひとりの女性の流転を書きながら、“ああこれは『西鶴一代女』だな”と自分なりにとらえていました。そして、そういう物語にこそ、俳優としていろいろな表情ができ、またご本人の資質としても複雑なものを抱える筒井さんの多面性がいきるだろうなと。案の定、現場ではすべてのシーンにおいてレイヤーをつけながらすごく繊細に演じ分けていらして、筒井さんの俳優としての大きさや底知れなさを改めて感じることになりました。(『キネマ旬報』2019年8月上旬号)

と深田晃司監督が語るように、
筒井真理子は本作で様々な横顔を見せ、
観客を楽しませてくれる。
筒井真理子にとっての代表作とも言える作品が、
深田晃司監督により2作(『淵に立つ』『よこがお』)も生み出されたことを考えると、
女優にとって、自分を活かしてくれる監督との出会いは、
本当に幸運なことなんだと思わされる。



その筒井真理子が、今度は荻上直子監督とタッグを組み、『波紋』という映画を創り上げた。
〈見たい!〉
と思ったのは言うまでもない。
筒井真理子だけではなく、
光石研、磯村勇斗、木野花、キムラ緑子、柄本明、江口のりこ、平岩紙など、


私の好きな個性的な俳優も数多く出演しており、
ワクワクしながら鑑賞したのだった。



須藤依子(筒井真理子)は「緑命会」という新興宗教を信仰し、
祈りと勉強会に励みながら心穏やかな日々を過ごしていた。


そんなある日、十数年前に失踪した夫・修(光石研)が突然帰ってくる。
自分の父の介護を依子に押しつけたままいなくなった修は、
がんになったので治療費を援助してほしいという。


さらに息子・拓哉(磯村勇斗)は障害のある恋人(津田絵理奈)を結婚相手として連れ帰り、


パート先では理不尽な客(柄本明)に罵倒されるなど、


自分ではどうしようもない苦難が次々と依子に降りかかる。
湧きあがってくる黒い感情を、
宗教にすがることで必死に押さえつけようとする依子だったが、
ある日、全てを押し殺した依子の感情が爆発する……




上映時間120分間、
一瞬も目を離すことができず、集中して見ることができた。
「荻上直子監督のオリジナル最新作にして、監督自身が歴代最高の脚本と自負する絶望エンタテインメント」というキャッチコピーに、ウソ偽りは無かった。
クスッと笑わされることも多く、2023年公開の映画の中では随一の面白さだった。
もう、『かもめ食堂』や『めがね』を撮っていた頃の荻上直子監督とは別人とし思えず、
東日本大震災、介護、新興宗教、障害者差別といった現代社会が抱える問題を内包した、
ブラックユーモアあふれる人間ドラマに、驚かされ、笑わされ、感動させられた。


その日は、雨が降っていた。駅に向かう途中にある、とある新興宗教施設の前を通りかかったとき、ふと目にした光景。 施設の前の傘立てには、数千本の傘が詰まっていた。傘の数と同じだけの人々が、この新興宗教を拠り所にしている。何かを信じていないと生きていくのが不安な人々がこんなにもいるという現実に、私は立ちすくんだ。 施設から出てきた小綺麗な格好の女性たちが気になった。この時の光景が、物語を創作するきっかけになる。
日本におけるジェンダーギャップ指数(146ヵ国中116位)が示しているように、我が国では男性中心の社会がいまだに続いている。 多くの家庭では依然として夫は外に働きに出て、妻は家庭を守るという家父長制の伝統を引き継いでいる。 主人公は義父の介護をしているが、彼女にとっては心から出たものではなく、世間体を気にしての義務であったと思う。日本では今なお女は良き妻、良き母でいればいい、という同調圧力は根強く顕在し、女たちを縛っている。 果たして、女たちはこのまま黙っていればいいのだろうか?
突然訪れた夫の失踪。主人公は自分で問題を解決するのではなく、現実逃避の道を選ぶ。新興宗教へ救いを求め、のめり込む彼女の姿は、日本女性の生きづらさを象徴する。 くしくも、本映画の製作中に起きた安部元首相暗殺事件によりクローズアップされた「統一教会」の問題だが、教会にはまり大金を貢いでしまった犯人の母と主人公の姿は悲しく重なる。
荒れ果てた心を鎮めるために、枯山水の庭園を整える毎日を送っていた彼女だが、ついにはそんな自分を嘲笑し、大切な庭を崩していく。 自分が思い描く人生からかけ離れていく中、さまざまな体験を通して周りの人々と関わり、そして夫の死によって、抑圧してきた自分自身から解放される。 リセットされた彼女の人生は、自由へと目覚めていく。
私は、この国で女であるということが、息苦しくてたまらない。それでも、そんな現状をなんとかしようともが き、映画を作る。たくさんのブラックユーモアを込めて。


荻上直子監督は、本作について、こうコメントしていたが、

「我が国では男性中心の社会がいまだに続いている。 多くの家庭では依然として夫は外に働きに出て、妻は家庭を守るという家父長制の伝統を引き継いでいる」

「日本では今なお女は良き妻、良き母でいればいい、という同調圧力は根強く顕在し、女たちを縛っている。 果たして、女たちはこのまま黙っていればいいのだろうか?」

「私は、この国で女であるということが、息苦しくてたまらない。それでも、そんな現状をなんとかしようともが き、映画を作る。たくさんのブラックユーモアを込めて」


という言葉が、本作の骨格を成し、
実際、映画を見ていると、主人公の須藤依子(筒井真理子)に感情移入させられるし、
夫・修(光石研)や息子・拓哉(磯村勇斗)の身勝手さに腹立たしさを感じさせられてしまう。
私など、途中からは須藤依子に成り切って、須藤依子の目線で本作を鑑賞していた。(笑)
夫や息子に本気で腹が立ったし、怒った。


それほど本作に惹き込まれのだが、
その一番の要因は、やはり須藤依子を演じた筒井真理子の演技の素晴らしさにある。


壊れた女、壊れゆく女を演じさせたら、この人の右に出る者はいないだろう。
それほどの圧巻の演技で見る者を魅了する。


喜び、困惑、泣く、怒り、哄笑、狂気……
様々な表情を次々に繰り出し、感情表現の限りを尽くす。


もう、須藤依子を演じる筒井真理子をずっと見ていたい……そう思わせる。


ことにラストシーンには驚嘆させられた。
雨の中、喪服姿で、フラメンコを踊るのだ。
葬儀が終わり、息子の拓哉から、
「またフラメンコでもやってみたら」
と言われ、
〈もしかして、踊るの?〉
と見る者に思わせ、
〈踊るのか? 本当に踊るのか?〉
と気持ちが高まったところで、
本当に踊り出したときの高揚感、開放感はたまらなかった。



新興宗教「緑命会」の信者、小笠原ひとみを演じた江口のりこと、
伊藤節子を演じた平岩紙の演技も素晴らしかった。
宗教に憑りつかれ、感情を消されてしまったような無表情の演技は見事の一言。





「緑命会」の代表・橋本昌子を演じたキムラ緑子も、
新興宗教のリーダーは「かくありなん」と思わせる、
思いやりなのか、商売なのか、どちらともつかないすれすれの演技で魅せる。



依子と同じスーパーのパート先の清掃員・水木を演じた木野花も良かった。
傑作、秀作にはいつも出演している印象があり、
ここ数年でも、
『愛しのアイリーン』(2018年)
『母さんがどんなに僕を嫌いでも』(2018年)
『MOTHER マザー』(2020年)

などで好い演技をしているし、レビューでも絶賛してきた。
本作『波紋』では、
いつも依子を鼓舞してくれるのだが、
飄々としているようでいて、哀しい過去を背負って一人生きているという役で、
木野花にしか演じられない役と思わせた。
唯一無二の女優である。



以上、紹介した、これらベテラン女優たちに引けを取らずに印象に残ったのが、
拓哉(磯村勇斗)の(障害のある)恋人・川上珠美を演じた津田絵理奈であった。


【津田絵理奈】
1987年2月24日、大阪府出身。
先天性の難聴障害を持ち、小学校から高等学校までを聾学校で過ごす。
15歳で現所属エージェンシーに自ら応募。
高校を卒業と同時に、障害を持つ人たちの希望になりたいと女優を目指し、
親の反対を押し切って単身上京した。
2004年に週刊朝日の表紙でデビュー。
その後映画・ドラマ・舞台で活躍する傍ら、NHK「みんなの手話」のレギュラーを務める。
2008年にはNHKで特集番組「ろうを生きる難聴を生きる〜初舞台に賭ける!津田絵理奈」が放送されて話題になる。
2016年には主演した短編映画『君のとなりで』(望月亜実監督)の演技が評価され、
第18回長岡インディーズムービーコンペティション女優賞を受賞した。


映画やTVドラマでは、障害者は「善人」「弱者」として描かれることが多いのだが、
本作での川上珠美は「したたか」な難聴障害者の役で、
依子が、
「拓哉と別れてくれる? お願いします」
と頭を下げると、
ウフフと笑い、
「拓ちゃんから言われてました。もしお母さんに別れろと言われたら、必ず知らせてくれって。そんなことを言うような母親とは縁を切って、もう二度と実家には帰らないって。それから、あの人頭おかしいから何を言われても気にするなって。どうします? お母さん。今のお話、拓ちゃんにしちゃってもいいですかぁ~?」
と、言い放つ。
この津田絵理奈の「したたかな」障害者の演技が素晴らしかった。


『ケイコ 目を澄ませて』でのろう者の俳優・長井恵里の演技も強く印象に残っているが、
様々な障害を持つ俳優たちが出演し、活躍する映画が増えつつあるのが嬉しい。
女優・津田絵理奈にも限りない将来性を感じた。


女優至上主義の私なので、(笑)
もうここで終えてもいいのだが、
もう、腹立たしくなるほどの依子のダメ夫・修を演じた光石研、


依子の身勝手な息子・拓哉を演じた磯村勇斗、


スーパーの商品にクレームをつけて半額で買おうとする客・門倉太郎を演じた柄本明など、


駄目男たちを演じた男優陣の演技も良かったということを、
一言付け加えておこう。(コラコラ)



荻上直子監督のオリジナル脚本が秀逸で、
最後まで楽しく見ることができ、
筒井真理子の魅力満載の映画『波紋』。
2023年に公開された映画の中では、かなり上位にランクされる傑作であった。

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