一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

私自身のための第1回「一日の王」紅白歌合戦 ……対戦8組目「銀座」対決……

2024年12月10日 | 私自身のための「一日の王」紅白歌合戦


私自身のための第1回「一日の王」紅白歌合戦の、
対戦8組目は、「銀座」対決。(これまでの対戦はコチラから)

紅組は、和泉雅子・山内賢「二人の銀座」。


白組は、黒沢明とロス・プリモス「たそがれの銀座」。



「二人の銀座」は、
ザ・ベンチャーズが作曲し発売したシングル曲(1966年7月発売)であるが、


元々のタイトルは「GINZA LIGHTS」(銀座の灯り)で、
ベンチャーズが、銀座の夜景をイメージして書いたものを、
(経緯は不明ながら)越路吹雪に提供したものであったが、
曲を聴いた越路は「これは自分が歌うより、もっと若い人が歌った方がいい」と、
青春映画スターである和泉雅子と山内賢に曲を譲り、
「二人の銀座」(和泉雅子&山内賢)として1966年9月にリリースされ、
100万枚を超える大ヒットとなった。


後に映画化もされている。(1967年2月25日公開)




「二人の銀座」のヒットをきっかけに「ベンチャーズ歌謡」なるものが生まれ、
「北国の青い空」(1967年、奥村チヨ)
「京都の恋」(1970年、渚ゆう子)、
「京都慕情」(1970年、渚ゆう子)、
「長崎慕情」(1971年、渚ゆう子)、
「雨の御堂筋」(1971年、欧陽菲菲)
など、
次々とヒット曲が誕生した。
「二人の銀座」は勿論のこと、私はこの「ベンチャーズ歌謡」が大好きだった。





あの当時「銀座」は、日本人にとっては憧れの地で、
全国各地に「〇〇銀座」というものが数多く存在していたし、
タイトルに「銀座」が付いた曲も数多くあった。
その中から私が(白組に)選んだのは、黒沢明とロス・プリモスの「たそがれの銀座」。


1968年5月に日本クラウンから発売されたロス・プリモスの7枚目のシングル曲で、
発売と同時にオリコンに登場し、(最高順位7位)
この曲で同年NHK紅白歌合戦に初出場している。(出場はこの1回のみ)


メインボーカルの森聖二の甘い歌声が魅力的で、
(当時の私は中学生ながら)「好い曲だな~」と思っていた。



和泉雅子のデュエット相手の山内賢(1943年12月9日~2011年9月24日、享年67歳)
ロス・プリモスのリーダー・黒沢明(1934年5月30日~2009年4月9日、享年74歳)
メインボーカルの森聖二(1939年7月7日~2009年10月18日、享年70歳)
の3人はすでに亡くなっており、
和泉雅子(1947年7月31日生まれ)も77歳になっている。(2024年12月現在)
「二人の銀座」も「たそがれの銀座」も、もう永遠にマナで聴くことはできないのだ。


※和泉雅子・山内賢「二人の銀座」(1966年9月発売)


※黒沢明とロス・プリモス「たそがれの銀座」(1968年5月発売)

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