一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『レ・ミゼラブル』 ……今こそ見ておくべき、傑出した衝撃作!……

2020年06月23日 | 映画



パリ郊外に位置するモンフェルメイユ。


ヴィクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」の舞台でもあるこの街は、
いまや移民や低所得者が多く住む危険な犯罪地域と化していた。


ステファン(ダミアン・ボナール)は、
地方都市からモンフェルメイユへ転任してきた若手警官。


犯罪対策班に配属され、
口の悪い先輩、
クリス(アレクシス・マネンティ)、


グワダ(ジェブリル・ゾンガ)と共に、


街を巡回しながら荒れた郊外を発見してゆく。


民族や宗教問題も絡まり、
コミュニティー間の緊張状態が続く。


先輩警官は威圧的な態度で住民に接するが、
ステファンは心中複雑だ。


そんなある日、
イッサ(イッサ・ペリカ)という名の少年がサーカス団のライオンの赤ちゃんを盗み、


それが大きな騒動へと発展する。


事件解決へと奮闘するステファン達だったが、
グワダが発射したゴム弾が少年を直撃し、
その様子を別の少年がドローンで撮影していたことから、
事態は取り返しのつかない方向へと進み始める……




『レ・ミゼラブル』と聞くと、
ヴィクトル・ユゴーが1862年に執筆したロマン主義フランス文学の大河小説を、
そして、この小説を原作としたミュージカルを思い浮かべる人が多いだろう。
だが、本日紹介するラジ・リ監督作品『レ・ミゼラブル』は、
内容的には、ヴィクトル・ユゴーの小説を原作としていない。
しかし、まったく無関係かというと、そうでもない。
『レ・ミゼラブル』の舞台で知られ、今では犯罪多発地区の一部となっているパリ郊外のモンフェルメイユを、本作も同じく舞台にしているからだ。


貧困化が進み、犯罪多発地区の一部となったそこに住む人々は、
大人だけでなく、子供までが犯罪と隣り合わせにいて、
それは“悲劇”へとつながっていく。
「Les misérables」を“悲惨”や“悲劇”という意味に解釈するならば、
ストーリーは違えど、本作の内容も合致している。
しかも、社会の闇を描きつつ、
そこに生きる人々のしたたかさや、懸命さまでも描いている点で、
ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル」へのオマージュであることは疑いようがない。


本作、ラジ・リ監督作品『レ・ミゼラブル』は、
今年(2020年)2月28日に公開された。
だが、その後、新型コロナウイルスの影響もあり、
全国順次公開予定が、中断を余儀なくされた。
そして、6月になり、再び全国的に上映されるようになった。
佐賀(シアター・シエマ)でも公開は6月にずれ込んだ。
再び上映されるまでのその間に、ある事件が起こり、
本作が、別な意味で注目を集めることになる。

2020年5月25日、
黒人のジョージ・フロイドが、
首を白人警官に押さえつけられ、
後に死亡する事件が発生した。
フロイドが「息ができない」と訴え、
死亡するまでをおさめた動画が拡散し、
5月26日には現場近くで数百人が「息ができない」などと書いた紙を掲げるなどして警察の暴力に抗議した。
逮捕に関わった警官4人は解雇され、
1人は第2級殺人罪で、残る3人は第2級殺人のほう助・教唆の罪で起訴された。
5月27日にドナルド・トランプ大統領がフロイドの家族にお悔やみを述べるツイートを投稿。
抗議活動は5月27日からエスカレートし、全米に拡大した。
5月28日には抗議デモが暴徒化し、
参加者の一部がミネアポリスの警察署に放火し警察署が炎上。
ミネソタ州知事のティム・ワルツ(英語版)は非常事態宣言を行い州兵を出動させた。
暴動はニューヨークや、カルフォルニアなどで連日発生した。
デモは全米の約140の都市に拡大し、
暴徒化した参加者による店舗からの略奪、
パトカーへの放火などが相次いだ。
抗議行動は世界中に拡大し、
ベルリン、ロンドン、パリ、バンクーバーから、
アフリカ諸国や中南米、中東、アジアの都市まで、世界各地に飛び火した。
フランス、イタリア、イギリス、オランダ、ドイツなどでは、
移民にまつわる問題、
社会、経済的な格差、
過去の欧州列強による植民地化時代からまとわりつく人種主義などがクローズアップされ、
アフリカ系米国人に対する警察の暴力への抗議として始まったこの運動は、今や、
あらゆる形の差別の検証へと発展している。



この“ジョージ・フロイドの死”によく似た事件が、
本作『レ・ミゼラブル』でも起きる。
警官が発射したゴム弾が少年を直撃し、
その様子を別の少年がドローンで撮影していたのだ。


その映像がネットで流されれば、フランス国内で暴動が起きるのは必至で、
それを防ごうとする警官たちと、
その映像を手に入れて優位に立とうする住民たちのバトルが繰り広げられる。
なんとかその映像を手に入れた警官たちであったが、
少年たちは思いもよらないような手法で反撃に転じ、
衝撃のラストへとなだれ込んでいく……


警官の行き過ぎた行動が大暴動に発展した……という過去がフランスにもあり、
それは、“2005年パリ郊外暴動事件”。
2005年10月27日に、フランス・パリ郊外で、
北アフリカ出身の3人の若者が、
警察に追われ逃げ込んだ変電所で感電し、死傷したことをきっかけに、
フランスの若者たちが起こした暴動で、
最終的にフランス全土の都市郊外へ拡大した。


〈大暴動が再び起こるのではないか……〉
と、観客をハラハラさせつつ、
警官と住民、警官と少年たちとの攻防がスタイリッシュな映像で描かれる。
モンフェルメイユ出身で現在もその地に暮らすラジ・リ監督なればこそ、


その臨場感は半端なく、
観客もその現場に立ち合っているような錯覚に陥らされる。


ラジ・リ監督の優れている点は、
本作『レ・ミゼラブル』を単なる“勧善懲悪”の物語にしていないことだ。
警官が“悪”で、モンフェルメイユの住民や子供たちが“善”と描いてはいない。
住民や子供たちは“したたか”だし、しぶとい。
そうでなければ生きてはいけないということもあるだろうが、
そこで働く警官たちの苦労も察せられるのだ。
私など、最初はむしろ、警官の味方の立場で見ていた。
警官たちを批判するでもなく、
モンフェルメイユの住民や子供たちを擁護するでもなく、
ラジ・リ監督のカメラは、現実をそのまま映し出す。
そして、この“社会の闇”は、映画の中の物語ではなく、
映画を見ている我々の問題でもあるのだと提起してくるのだ。
さらに、ラスト、
ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』の中の次の言葉が提示される。

友よ、よく覚えておけ、悪い草も悪い人間もない、育てる者が悪いだけだ。

この言葉が提示される瞬間のラストシーンに、
見る者はきっとフリーズしてしまうだろう。


映画は、2018年のサッカーW杯フランス優勝の際の、
シャンゼリゼで国民がひとつになった熱狂ぶりに始まるのだが、


よもや、このような結末を迎えるとは……
その対比が見事!
衝撃のラストを迎えるまでノンストップの104分。
映画館で、ぜひぜひ。

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