8月3日に多良岳でオオキツネノカミソリ観賞登山をした折、
帰りに肉まんさんから三冊の本を頂いた。
その中の一冊に本書を見つけたとき、私はちょっと困った。
私は大崎善生の良い読者ではなかったからだ。
評判の作家なのでファンが多いことも知っている。
私も過去に数冊は読んでいる。
だが、私には、彼の装飾の多い気取った文章が、どうしても合わなかった。
私が彼の作品を読んだのは、『ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶』が最後だった。
3年前のことだ。
それ以来、彼の本は読んでいなかった。
もちろん本書『優しい子よ』も読んでいない。
もし肉まんさんに頂かなかったら、絶対に手にしなかっ本である。
本書には、四つの短篇が収められているが、その中では表題作の「優しい子よ」が断然良かった。
大崎善生の文章が良かった……と言いたいところなのだが、そうではない。
この短篇の中に引用されている、ある少年の手紙の文章が私の心を捉えたのだ。
本書の内容に触れる前に、著者と、その妻である高橋和について紹介しておきたい。
そうしないと、よく理解できないと思うからだ。
私事だが、私は高橋和の本も読んだことがあって、大崎善生と結婚する前から知っていた。
本の内容も良く、そのときから私は彼女に好感を抱いていた。
だから、大崎善生との結婚を知ったときには、本当に驚いた。
大崎 善生(おおさき よしお、1957年12月11日 )
作家、元雑誌編集者。
北海道札幌市出身。妻は、女流棋士の高橋和。
早稲田大学卒業後の1982年、日本将棋連盟に就職し、道場の手合い係りを経て、雑誌編集部に移り、「将棋年鑑」、「将棋マガジン」、「将棋世界」を手がける。
1991年に「将棋世界」編集長となり、2000年、29歳で亡くなった将棋棋士、村山聖の生涯を追ったノンフィクション小説『聖の青春』で、第13回新潮学芸賞を受賞。
2001年に退職し、専業作家となった。
2006年に勃発した名人戦の主催社移管問題では、日本将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖から、「騒動の火付け役」と名指しで非難された。(Wikipediaより引用)
高橋 和(たかはし やまと、1976年6月17日 )
将棋の女流棋士。神奈川県藤沢市出身。
身長160cm。血液型O型。
神奈川県立鎌倉高等学校卒業。
佐伯昌優八段門下。
夫は、元『将棋世界』編集長で、作家の大崎善生。
4歳の時に交通事故に遭い、左足の切断も考えなければいけないほどの重傷を負い、治療のための入院・手術を繰り返した。その後、7歳で将棋に出会い、14歳でプロデビューする。タイトル挑戦などの履歴は無いが、サニーサイドアップ所属のタレントとして、テレビへの露出などを通して、女流棋士の存在を大いにアピールした。子供への普及活動にも熱心で、そちらにより専念するため、2005年2月、現役を引退。(Wikipediaより引用)
著者(大崎善生)の妻(高橋和)のHPに一通のメールが届けられたところから、この(限りなくノンフィクションに近い)私小説は始まる。
それは、二人が結婚して1年が経とうとする2004年の春先のことだった。
(ちなみに二人が2003年に結婚したとき、著者は45歳、妻の高橋和は26歳だった)
「病気でベッドに伏している9歳の息子があなたのファンで、子供のために色紙を一枚書いていただけないか」という内容の、子供の父親からのメールだった。
当時、妻の高橋和は将棋界のマドンナ的存在の人で、TVによく出演していた。
TVを見た子供が、高橋和に憧れを抱いたらしいのだ。
だが、インターネット上のことなので、相手の正体が掴めない。
ひょっとしたら、単なるストーカーからの嘘のメールかもしれない。
高橋和は、「もし色紙が欲しいのならば、父親からではなく本人からその気持ちを直接手紙に書いて送って欲しい」と返信する。
そうして、少年からの最初の手紙が届く。
《いつもテレビを見ています。
おとうさんのメールにおへんじをくださって、おてがみを書けてゆめのようです。
ぼくはからだがよわくて、あまり学校に行けません。
(中略)
おとうさんから高橋先生も子どものときにこうつうじこで大けがをしてたいへんだったことをききました。まだいたいですか。いたくならないように、おいのりしています。
あまりながくかけないのできょうはこれでかきおわりにします。
さいごにおねがいが2つあります。
1つはぼくのかわいがっていたくまを1つおくります。(中略)2ひきいますので1ぴきもらってください。かわいがってください。おねがいします。
2つめは先生のサインがほしいです。それとゆるしてもらえれば先生の使いふるしたセンスがほしいです。むりをいってごめんなさい。たからものにします。(後略)》
自分で手紙を書いて欲しいという約束を果たした少年(杉田茂樹くん)に、高橋和は手紙と扇子とサイン入りの本を送る。
少年の父親からお礼のメールがすぐに届く。
治る見込みのまったくない血液の病気であること。
発病したのは小学校に入学する以前のことで、なんとか9歳まで生きることができたが、最近は体調を崩すことが多く、昨年の暮れには覚悟をしておくようにと医者に言われたことなど……そこには少年が立たされている容赦のない現実が書き連ねてあった。
少年から二通目の手紙が届く。
《こんにちは。お手がみと本とせんすほんとうにありがとうございました。
それと、くまをだいてしゃしんをとってくださってありがとうございました。ぼくははじめてうれしなきをしました。うれしくてかんげきしてもないてしまうんだなとおもいました。なぜかお母さんもないていました。
(中略)
おとうさんはしゃしんたてをくれました。ぼくは先生のしゃしんをベッドのよこにかざります。
(中略)
ぼくは先生がじこにあわれていまもごくろうをされているとききました。先生のおてがみにかかれていましたが、あるけなくなるかもしれないのはこわくないですか。ぼくはあしたちかくのじんじゃで先生のあしがいつまでもいたくならずにあるけるようにおいのりをしてきます。
(中略)
ぼくは先生にないしょにしていたことがあります。ぼくはかみのけがありません。同じとしのみんなよりせもひくいし小さいです。だからしゃしんをとるのがいやでした。
もうすこしゆうきがでたらくまをだいてしゃしんをとって先生におくります。
これからもいっしょうけんめいに生きます。そして先生をおうえんしていきます。
(後略)》
髪の毛がなく身体が小さいことを内緒にしていたというくだりが悲しすぎる、可哀相すぎる……と言って、高橋和はこの手紙を抱きしめるようにして読みながら泣いていたという。
続いて少年の母親から手紙が届く。
そこには泣き出してしまった少年の様子や、「近くの神社に連れていって」とせがまれたこと、「高橋先生の足がずっと元気で働くようにお祈りした」と言っていたことなどが書かれてあった。
高橋和は、二通目の手紙を少年に送った。
《茂樹くんこんにちは。たいちょうはどうですか? お手紙ありがとう。とってもうれしかったよ。
(中略)
私は茂樹くんのファンだし、おともだちになりたい。なってくれるよね?
足は茂樹くんがおいのりしてくれたおかげでいたくありません。ぜっこうちょうです! こわくもありません。だってこうつうじこにあわなければしょうぎもしなかったし、こうして茂樹くんとしりあうこともできなかったでしょ。私はね人生って一本の糸みたいにずっとつながっていると思うんだ。どこを切ってもダメになっちゃうでしょ。ぜんぶひつようなことで、神さまがちゃんとあたえてくれているんだよ、きっと。(後略)》
しばらく後、少年の父親から「茂樹が二日前より容態が急に悪くなり、病院に入院させました」との短いメールが届く。
少年の10歳の誕生日が二週間後に迫っていた。
高橋和は、少年の誕生日に少年に会いに行こうと言い出す。
少年の父親と何度もメールの交換をして、会えるチャンスをうかがう。
だが、「今は興奮させることはよくない」と医師から言われ、このときは断念する。
少年の容態は一進一退を繰り返し、とうとう10歳の誕生日がやってくる。
高橋和は、少年に、手紙とカードと熊のぬいぐるみ、それに自分で縫い合わせて作った布袋をプレゼントとして送った。
少年から三通目の手紙が届く。
《くまのぬいぐるみとかわいいふくろありがとうございました。おてがみもうれしかったです。
いつまでもいつまでも、おともだちでいてください。
ぼくはがんばります。
高橋先生にほめてもらえるようなひとになりたいです。
(中略)
あしはいたくないですか。ずっとおいのりしているからきっといたくならないです。
ぼくのたまごっち、おとうさんとおかあさんがかってきたので2ひきいますから1ぴきもらってください。いつか高橋先生とたまつーしたいです。
またおてがみします。
高橋先生、ありがとうございました。
さようなら
杉田茂樹
10さいです》
少年の父親からのメールには、「まさか10歳まで生きられるとは思わなかった」と正直に書かれてあった。
誕生日が過ぎ、高橋和は五通目の手紙を書き、少年からは四通目の手紙が届いた。
5月の中旬、高橋和は、いきなり「茂樹くんに呼ばれているような気がする」と言い出し、少年に手紙を書く。
《こんにちは。お元気ですか?
きのう茂樹くんによばれたような気がするので手紙をかくことにしました。ほんとうによんだ?
(中略)
もしあいたくなったらおとうさんおかあさんにいってね。そしたら空をひとっとびでいくよー。
それじゃあ、またね》
これに対する少年の返事の手紙を見て、高橋和は驚く。
今までの几帳面に書かれた字とは明らかに違っていたからだ。
一行一行丁寧に書かれていたものが、その手紙では、一文字が三行にまで大きくはみ出してしまっていた。
文字が乱れていて、やっとのことで書いているのだということが伝わってくる。
《こんにちは。おてがみありがとうございました。おへんじかけずにごめんなさい。
ぼくはずっと高橋先生をよんでいました。からだがいたいからたすけてくださいってよんでいました。
高橋先生のおたんじょうびまでにがんばります。
高橋先生の大きなしゃしんがあったらほしいです。
もしあったらおくってください。
みじかくてわがままをかいてごめんなさい。
おともだちでいてください。
さようなら。
大好きな高橋先生へ
杉田茂樹
ぼくはいたいけど、あしはいたくないですか。いたくならないようにおいのりしています》
「もっとも恐れていた状況に入ってしまった」と少年の父親からメールが届く。
癌性悪液質。
今は集中治療室にいるという。
枕元には高橋和が送ったプレゼントが並べられいて、少年はそれに触れて小さな声で何事か話しかけているそうだ。
高橋和は、自分が大好きなCDを集めて、オリジナルCDをほとんど一晩中かけて録音して少年に送る。
そして、せっせと手紙を書いては投函する。
だが、ある日、悲報が届く――。
会うこともなく終わった、少年と、少年の憧れの女性との、たった三ヵ月の交流。
透き通るような素直さを持った少年と、同じく美しい心を持った女性(高橋和)の二人だったからこそ起こし得た奇跡。
我々がこの奇跡を知ることができたのは、やはり著者の大崎善生が、二人の交流を書き留めてくれたお蔭であろう。
そういう意味で、著者に感謝しなければならない。
本を読了後、少年が書いた手紙すべてが憧れの女性へのラブレターであったことに気づく。
すべてが命がけで書いたラブレターであった。
これほど心のこもった恋文を、私は他に知らない。
本を読んでいただいたようでありがとうございます。
私は大崎善生さんは「将棋の子」で知りました。
大崎さんには人を暖かく見守る、陰ながら応援する愛を感じてました。
40過ぎまで独身だったので、若い美人の女流棋士との結婚は私も驚きでしたが、なぜかこちらも嬉しかったのを覚えてます。
「優しい子」は読んでてたくさん涙が出た作品でしたね。
本はボロボロですが、硫黄島も当時の戦争をリアルに書かれてあるし、「乞食の子」もたくさん涙が出た作品でした。
私も小説をもっと読む時間が欲しいですね。
良い本を紹介して頂き、ありがとうございました。
実を言うと、本書を読んで、私も大泣きしてしまいました。
ひねくれ者の私ですが、あんなに泣いたのは久しぶりですね。
あんなに無条件に思慕された高橋和は、本当に感動したでしょうね。
少年と高橋和の純粋な気持ちがピタッと一致して、奇跡のような三ヶ月が生まれました。
この二人の交流は、巷の下手な恋愛小説などとても敵いません。
この三ヶ月、少年は高橋和の心を完全に奪っていますね。
「お前はたいした男だったよ」
と、私は少年に声をかけてやりたいですね。
少年は、ただの「優しい子」ではなかった……と思います。
本を読むのは小刻みですが
これはじっくりと読みたい。
一人になった時間に読ませて頂きました。
この少年の存在は、この夫婦の絆も深めていますね。
高橋和と会えるチャンスがあったのに
拒む姿は凛として健気です。
瀕死の状態でありながらも、高橋和の足を心配する
これが9歳の少年の手紙なのでしょうか・・涙はmaxでした。。
読み終えてしばらく何も手につきませんでした。
本当に良い本を紹介して頂き感謝です。
>毎日時間に追われているので
>本を読むのは小刻みですが
>これはじっくりと読みたい。
>一人になった時間に読ませて頂きました。
もう読まれたんですね。
ありがとうございます。
>この少年の存在は、この夫婦の絆も深めていますね。
>高橋和と会えるチャンスがあったのに
>拒む姿は凛として健気です。
やはり「病気の姿を見せたくない」「病気の姿を記憶しておいてほしくない」との思いが強かったのでしょうね。
幼い子供ですが、「男らしさ」を感じます。
>瀕死の状態でありながらも、高橋和の足を心配する
>これが9歳の少年の手紙なのでしょうか・・涙はmaxでした。。
高橋和の足が痛くならないように、神社にお祈り行きますよね。昔の「お百度参り」に匹敵する行為だと思いました。
自分の痛みよりも、高橋和の足の痛みを心配する姿に、私も泣かされました。
>読み終えてしばらく何も手につきませんでした。
>本当に良い本を紹介して頂き感謝です。
私は今でも時々取りだして読み返しています。
少年の手紙の文章は、拙いひらがなばかりの文章ですが、どんな名文家よりも感動しますね。
私も、この本を読む機会を与えて下さった「肉まん」さんに感謝しています。