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『世界一と言われた映画館』
このタイトルを見て、興味を示さない映画ファンはいないと思う。
私もまずそのタイトルに惹かれた。
〈なにをもって世界一と言うのか?〉
スクリーンの大きさなのか、
スクリーン数なのか、
客席数なのか、
音響設備なのか、
上映本数なのか、
上映回数なのか、
上映作品なのか、
スタッフの応対なのか……
様々な思いが駆け巡る。
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そこで、映画『世界一と言われた映画館』の内容について調べてみた。
映画の題材となったその“世界一と言われた映画館”とは、
山形県酒田市にかつて存在した映画館「グリーン・ハウス」であることが判った。
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1階席と2階席を合わせても505席(のちに349席に改装)なので、
今のシネコンでいえば、一番大きな「スクリーン1」程度の規模。
それほど大きいとは言えない映画館だったのだ。
では、なぜ、世界一と言われるようになったのかというと、
映画評論家・淀川長治が「世界一の映画館」と評したからなのだ。
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映画館「グリーン・ハウス」は、1949年5月17日に開館している。
地酒・初孫の醸造元「金久酒造」(現・東北醸造)を経営する佐藤久吉によって、
ダンスホールを改造して造られた。
1950年、20歳になった久吉の長男・久一が支配人に就任。
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この久一によって、「グリーン・ハウス」は、
後にも先にも例を見ない見事な造りとサービスで話題を呼び、興行的にも成功する。
1963年(昭和38年)9月に発行された『週刊朝日』(10月4日号)に、
「港町の“世界一デラックス”映画館」
という記事が掲載され、その中で、
「あれは、おそらく世界一の映画館ですよ」映画評論家の淀川長治氏が、断固として言明した。たいがいの国の映画館を見たが、あんな映画館はなかった、と保証するのである。
と淀川長治によって絶賛されたことにより、一気に知名度が上がった。
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回転扉から劇場に入ると、
コクテール堂のコーヒーが薫り、
バーテンダーの居る喫茶スペースが迎える。
少人数でのシネサロン、
ホテルのような雰囲気のロビー、
ビロード張りの椅子等、
その当時東京の映画館でも存在しなかった設備やシステムを取り入れ、
多くの人々を魅了したという。
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だが、1976年(昭和51年)10月29日、
「グリーン・ハウス」が火元となった大火事によって、状況は一変する。
この火災で酒田市中心部の商店街約22万5000㎡を焼失した。
焼失家屋1774棟、
負傷者1003人、
死者1人(消防士)、
罹災者3300人もの被害を出し、
翌日の30日、午前5時にようやく鎮火したという。
戦後4番目の大火であった。
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「グリーン・ハウス」が火事で焼失してから40年が経ち、
2年に一度開催されている山形国際ドキュメンタリー映画祭の1コーナーで、
「グリーン・ハウス」についての短篇を上映したいという話が持ち上がり、
佐藤広一監督によって撮られたのが本作なのだ。
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はじめは20分くらいで、と言われていたんです。ただいろいろ調べていくうちに、20分では収まらない、予算からはみ出してもと、採算度外視で臨みました。(『キネマ旬報』2019年1月下旬特別号)
佐藤広一監督がこう語るように、
当初20分くらいの短篇の予定が、67分の中篇になり、
全国の映画館でも公開が決まり、
今年(2019年)1月5日に封切られた。
佐賀では、7ヶ月半も遅れて、
シアターシエマで、8月16日から8月22日まで1週間限定で上映された。
で、先日、やっと見ることができたのだった。
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「グリーン・ハウス」では、
上映ベルの代わりに、ジャズの名曲「ムーンライト・セレナーデ」を流したという。
本作『世界一と言われた映画館』も、
冒頭、この「ムーンライト・セレナーデ」が流れる。
だが、その後に映し出された映像に、観客は少なからず衝撃を受ける。
酒田大火の映像であったからだ。
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酒田の人も見ることを考えると、じわじわと後半に火事をもってくるより、最初に出してしまおうと思いました。皆さん、大火のことは知っているわけですから。また、知らない人にも、良いところばかりでなく、負の歴史も併せ持つ複雑な存在であることを最初に知っておいてもらおうと思いました。(『キネマ旬報』2019年1月下旬特別号)
理由を、このように語る佐藤広一監督。
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そのことによって、この“酒田大火”は、本作の“核心”となっていく。
大火映像の後に、
かつて「グリーン・ハウス」に集った人々へのインタビューで、
煌めいた思い出をもとに「グリーン・ハウス」のことが語られていくのだが、
誰もが大火のことに言葉を多く割いていたのだ。
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日本を代表するカクテル「雪国」を考案した伝説のバーテンダー・井山計一は、
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大火の日が、「柳の木が倒れそうになるほど風が強かった」ことから語り始め、
「グリーン・ハウス」から煙が見え、瞬く間に火が広がっていったことなど、
克明に語っている。
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グリーン・ハウスで『タワーリング・インフェルノ』を2回観た元消防士・土井寿信は、
「消防士として頑張ろう、と思わせてくれた映画館が大火の火元になったのは、残念で因果的な出来事でした」
と語る。
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【蛇足】
昔、私が映画館でバイトしていたときに上映されていた作品も『タワーリング・インフェルノ』であった。
この映画を、私はバイトの前や後や休憩時間に何十回と見た。
スティーブ・マックイーン、ポール・ニューマン、
それに、私の好きな『慕情』のジェニファー・ジョーンズも出演していた。
皆、もうこの世にはいないのが寂しい。
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この他、
映画サークルあるふぁ'85の佐藤良広、
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かつてグリーン・ハウスに通いつめた映画ファン・加藤永子、
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元 グリーン・ハウス映写技師・太田敬治、
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ティーギャラリー サライ経営者・近藤千恵子、
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元 グリーン・ハウス従業員(チケットガール)・山崎英子、
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歌手(白崎映美&東北6県ろ~るショー!!)の白崎映美、
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日本大学教授・博士(社会学)・仲川秀樹などが、
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「グリーン・ハウス」について語るのだが、
語れば語るほど、「グリーン・ハウス」とは何だったのかが分らなくなっていくという、
不思議な現象が起きていた。(笑)
「グリーン・ハウス」を媒介にして、
酒田大火が語られ、郷土愛が語られ、
もはや、何が“核心”であるかも分らなくなっていく。
リズミカルな方言を聴いていると、
睡眠不足気味の私は、眠りに引き込まれそうになった。(コラコラ)
67分という短い上映時間ながら、
8割以上がインタビューで語られる言葉のみで、正直辛かった。
大火でほとんどが焼失してしまっている所為か、
当時の写真や映像が極端に少なかった。
撮影の準備期間が少なかったこともあろうが、
「グリーン・ハウス」の良さが十分には伝わってこなかった。
それでも、本作のレビューを書いてみようと思ったのは、
本作を見ながら、様々なことを考えたからである。
佐賀県にも、かつては、多くの映画館があった。
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1960年(昭和35年)には、90館もの映画館があった。
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佐賀県に限らず、まだTVが無かった頃は、
全国、どんな小さな町にも映画館があった。
映画を語る時、その映画を見た映画館も思い出される。
どんな劣悪な環境であっても、
その当時に見た映画館は輝いて見えた。
どの映画館も、それぞれが世界一の映画館であったのだ。
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映画撮影の資料とされた、
『世界の一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(岡田芳郎/講談社)
も読んでみた。
映画ではあまり語られなかった佐藤久一のことをより理解することができた。
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映画『世界一と言われた映画館』を見たことにより、
様々なことに思い巡らせ、学ぶことができた。
これは、『世界一と言われた映画館』という映画が私に与えた恵みであったろう。
……何を見ても何かを思いだす……
映画ファンなら、見て損のない作品である。
2018年2月に急逝した名優・大杉漣のナレーションと共に、
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忘れがたい作品になるに違いない。
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すでに上映を終了している映画館が多いが、
機会がありましたら、ぜひぜひ。